ポール・マッカートニー&ウイングス「レッド・ローズ・スピードウェイ」


Release Date
May,1973

Song List

Big Barn Bed 3:48
My Love 4:06
Get On The Right Thing 4:15
One More Kiss 2:27
Little Lamb Dragonfly 6:18
Single Pigeon 1:52
When The Night 3:36
Loup (First Indian On The Moon) 4:21
Medley (11:14)
Hold Me Tight
Lazy Dynamite
Hands Of Love
Power Cut

https://www.discogs.com/ja/master/view/48944

バンドは出来た。しかしメンツはギターとドラム、後は素人のキーボード。これではライブは覚束ない。ポールはジョー・コッカーのバックバンド、グリース・バンドのギタリスト、ヘンリー・マッカロウに声をかける。これでリードギタリストを加えられ、自分がキーボードを弾く時にはデニー・レインにベースを弾かせることも出来る。

バンドはライブで成長する…それが経験則。1972年2月、バンに機材を積み込み、アポ無しでイギリスの大学を回り、ランチタイム・ギグを繰り返す(11箇所)。シンプルなブギーとブルース、ロックンロールでエンジンを温める。

ツアーを終えてからは再びレコーディングに着手。曲はある。リンダとデニーの相性の良さを活かせればいける。ツアー直前にレックし、緊急発売、「血の日曜日」を題材にした「Give Ireland Back To The Irish」はBBCから放送禁止の憂き目にあった。ならば子どもむけの曲を出してやる、と「Mary Had A Little Ram」をシングルリリース。今度は評論家筋から「ガキの歌作ってどうする」と批判の矢が飛んでくる。それならこれを、とセックス&ドラッグソング「Hi Hi Hi」をリリース。再びBBCから放送禁止通達。

こうした流れもあり、かつバンドの成長もあって、創作スピードは加速度を増す。アルバムの制作は3月から9月まで断続的に続けられ、20曲以上のレックが行なわれる。「ラム」では収録曲のバランスを考慮し外された「Get On The Right Thing」が掘り起こされ、同じくお蔵入りしていた「Little Ram Dragonfly」はデニーのコーラスを被せて再生される。更に「Big Burn Bed」もリンダとデニーのコーラスが大々的にフューチャー。ウイングスが1979年までトレードマークになったコーラスは、ここで完成する。

デニーやリンダ、ヘンリーの歌まで含めた17曲の2枚組で「バンド」としてのリリースを目論むものの、アップルはセールス不振を恐れ難色を示す。結果、大々的に曲をカット、更に小品を繋ぎ合わせた「Medley」を追加レコーディングし、全9曲のシングルアルバムとしてリリースになる。リンダやデニー、ヘンリーの曲は外し、大好きだったピンク・フロイドを模した「Loup」は残し、作品は「ラム」に匹敵する完成度を誇るものになる。先行シングル「My Love」が全米1位に輝き、アルバムも好調なセールスをあげる。評論家筋は相変わらずなものの、市場は、ファンは、「ポール」が帰ってきていることを実感する。しかし、ウイングスという名前の知名度を考え、ポール・マッカートニー&ウイングスの表記、ジャケはポール1人が顔を出す。バンドを走らせるためのシビアで堅実な対応。

レコーディング終盤、ジョージ・マーチンとの久々のコラボとなった「Live And Let Die」もアルバムカラーとの違いから外す。世界的な大ヒットになったこの曲の制作、ジョージ・マーチンの手法に改めて触れることで、ポールは何かを掴む。その何かは次作が明らかにする。

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