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私の高校入試の話。

もうピークはとっくに過ぎているようですが、私の高校入試・合格発表の時の思い出についてお話しようと思います。(唐突)


元々、中学3年の春ごろまでは、(結果としては)母校とは別の高校を志望していました。
仮に母校をA、別に志望していた高校をBとします。

BはAよりもレベルは少し下がるのですが、大好きだった部活の先輩が進学しており、制服が可愛いと評判の学校でした。
自分で言うのもあれですが、Bでは上位20本(刻むな)の指に収まって合格するだろうという学力は持っていたので、当時の担任からは推薦で合格間違いなし!と太鼓判をおされていました。

が、3年の夏、突如180°違うAを志望し始めた私。
この高校の校内推薦を出願させてください!」と担任に言ったら、何故か逆ギレされました。笑

それでも校内推薦までは出願できたのですが、そのタイミングでふるいにかけられ、私は本推薦には出願できず。
一般入試一本で挑むことになりました。

Aはいわゆる(自称)進学校で、頭がいいと噂だった別の先輩が進学しており、「私には正直厳しい」と、雲の上のような存在の学校でした。
受験当日、そして合格発表まで、私は受かるとは思ってませんでした。

ただ、当時通っていた塾の高等部の先生からこんな話が。

確かにつなさんなら、Bでもトップレベルで3年間過ごすことができるかもしれない。でも、学校の先生になるなら大学進学は必須だよね?Bよりも進学校のAの方が大学の進学率は高く、選択肢も広がるかもしれないから、僕はAを受験することをオススメします

そんなアドバイスもあり、高校3年の秋にAを志望校として受験することに決めました。


その頃の私は、「もし合格したらこのリュックを買ってもらおう」という、一種の願掛けというか目標がありました。

ある日、ショッピングモールでふらふらしていたら、とあるリュックに一目惚れしました。
パステルカラーの水色に大きな水玉がたくさんプリントされているリュック。
当時、熱狂的な水色loverだったので、「これを背負って通学したい!」という目標ができました。

そんなこんながあり(すっ飛ばし)、いよいよ受験当日。
当日、試験が終わっても、手応えは正直ありませんでした。
「きっとあのリュック買えないんだろうな…」と、半分諦め気味でした。

試験から数日後、合格発表当日。

あの頃は学校前での受験番号掲示が普通に生きていたので、学校前にはたくさんの受験生が。

15時に掲示されるのでそれを目標に向かって行くはずですが、受かっている気がしなかった私は、人が少なくなった16時頃見に行こうということに。
周りが合格の喜びで満ちているところ、自分だけ不合格だったら嫌だよね、という話になりました。笑

案の定、16時頃に見に行くと周りには誰もいませんでした。

そしてその中で見つけた、私の受験番号。

一緒に喜ぶ友人も周りにいなかったので(笑)、付き添いで来てくれた母と喜びを分かち合いました。

1年前の私には想像もつかなった学校への進学。
なんなら眼中になかったので、夏休みのオープンキャンパスすら行ってない学校でした。笑
そんな学校に行くだなんて、1年前の私は考えもしなかっただろうなあと思いました。

私が知っている限り、地元の中学からAには5人受験をしていました。
うち1人は推薦で既に合格していたので、一般入試は私を含む4人が受験。
そして合格したのは私を含む3人。
落ちてしまった1人は、私よりも頭のいい人だったという噂を聞いていたので、彼が落ちてしまったことにちょっと衝撃を受けたことを覚えています。

ただ、後からいろいろ聞くと、何となく彼が落ちてしまったのがわかったような。

Aの一般入試では、実際のペーパーテストの点数だけでなく、日々の学校生活の態度(=内申点)も試験結果に反映されるという噂がありました。

いろいろ噂を聞いていると、普段の生活態度やら内申点が彼はあまりよくなかったらしく。
一方の私は、ペーパーの成績は芳しくなかったのですが、それなりに真面目に生きて、ちゃんと授業も受けて宿題も出てたので、きっとそこが合否の境目だったのかなあと、今でもたまに思います。

(ただ、世の中的には私みたいにど真面目に生活している人より、彼のようにちょっと不真面目な人の方が、上手く世渡りしていけるんですよね。不思議。)

母と2人きりで喜んでいると、とある人影が近づいてきてるのを感じました。

合格おめでとうございます!よかったらうちの部活入りませんか?

そう、先輩在校生による新入生への部活勧誘でした。

しかもその時勧誘されたのが、まさかのラグビー部
いくら周りよりガタイいいとはいえ、女子勧誘します?(笑)となったのですが、マネージャーという可能性もありましたね。

あと勧誘されたのは水泳部
小学生の頃1年だけ水泳教室に入っていたので、こっちは可能性なくはないのですが、入るならやっぱりマネージャーかな、と思いました。

ま、結果選ばれたのは吹奏楽部でしたけど。


あれから10年以上経って、この学校を選択したことは間違いじゃなかったなあと。

教師になる夢は諦めてしまったし、今思うような生活は送れていないけど、未だに遊んでる友人たちと出会えた、ということが何よりの財産なのかなと思いました。
勉強は全部忘れたけどねー!

長々と失礼しました。

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