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突然始まる、私の推し遍歴。(毎日note3日目)

皆様こんばんは。つなです。
来ました、魔の3日目。これをクリアできれば、次は3週間続く。と信じてます。

今日は、突然ですが私の推し遍歴についてお話ししたいと思います。

①幼少期:郷ひろみさん

私の記憶には全くないのですが、親からはよく「あんたは郷ひろみ好きだったよね」と言われていました。
私の記憶には全くないのですが。(2回目)

②小学6年〜中学2年:タッキー&翼

ジャニーズ事務所の前副社長であり、最近新たな芸能事務所立ち上げを発表した滝沢秀明さんと、フラメンコの名手であり横浜ベイスターズを愛する今井翼さんからなるユニット「タッキー&翼」。
数年前に惜しまれつつも解散をしてしまいましたが、彼らは私が初めて好きになったジャニーズのタレントさんです。

タッキーが主演を務めた大河ドラマ「義経」が放映されていた頃、私は家族で義経ゆかりの地・平泉を訪れたことがありました。
ふと立ち寄ったお土産屋さんで、タッキーが写ったドラマの告知ポスターを見かけ、当時小学6年生だった私は心を奪われました。

今の世の中で「推し」ができると、各種SNSで友達を作ったりできますが、その頃はまだそのような手段は発達しておらず。
それでも情報収集のため、とあるファンが作ったホームページに入り浸り、BBS(掲示板)で全国各地のファンのかたと交流を重ねてました。
そこで知り合ったかたからチケットを譲ってもらい、コンサートに一回お邪魔したこともあり、当時の小学生としては随分と最先端を行っていたのだな〜と、今になっては思います。

③中学2年:上地雄輔さん

時は流れ中学2年生。「クイズ!ヘキサゴン」という番組は流行っていた頃。

つるの剛士さん・上地雄輔さん・野久保直樹さんの3人から成る「羞恥心」と、スザンヌさん・里田まいさん・木下優樹菜さんの3人から成る「Pabo」という2組の派生ユニットがいたことを、みなさんは覚えていらっしゃいますでしょうか?

私はなぜか、その頃羞恥心にはまっていました。
野外活動のレクリエーションか何かで、羞恥心に合わせて踊った記憶があるので、おそらくそれがきっかけなのかなと。

その頃、クラスの同級生と手紙のやり取りをすることにはまっていました。
やり取りをよくしていた子がKis-My-Ft2の玉森くんのファンで、私が上地さんのファンだったので、「玉森はなこ(仮名)へ   上地つなより」だなんて、ジャニーズの伝統芸をかましていた記憶があります。
これは黒歴史として、闇に葬り去りたいレベルです。

④大学3年〜社会人1年目:V6

時はまた流れ、大学3年生。周りは就職活動だ、ゼミだと少しずつ騒がしくなり始めた頃。
私の推しはV6の皆さんでした。

岡田准一さんと榮倉奈々さんが主演を務めた「図書館戦争」という映画を見に行き、それがきっかけで岡田さんの沼へ。
YouTubeを見漁るうちに、あれよあれよという間にV6の沼にずぶずぶと・・・

私たちぐらいの世代だと、「学校へ行こう!」がドストライクに刺さるんですかね。
「みのりかリズム」は小学生の時によく遊びました。

大学4年生の夏、私が誕生日を迎える頃。
自分への誕生日プレゼントだと言って、彼らのファンクラブに入会しました。
ジャニーズのグループでは初めて入ったFCです。

今となっては、カード型の会員証やデジタル会員証が主流という中、V6の会員証はある意味イカした会員証だったのを覚えています。
(気になるかたはぜひ検索して見てみてください)

結成21年目の時にあったツアーで仙台と横浜公演に行ったのが、唯一行った彼らのコンサートでした。

一昨年の11月1日。彼らのデビュー26周年の記念日に、彼らは解散しました。
偶然にも、その日は転職先への初出勤の日でもありました。
配信コンサートが18時からなのに、定時の17時半に仕事が終われず、帰りのバスの中でラスト公演を見届けました。

⑤大学4年〜社会人4年目:ジャニーズWEST

周りの友人たちは就職先を決め、あとは卒業を待つだけとなっていた大学4年生の3月。
私はまだ就職先が決まっていませんでした。
アルバイトをしながら半ば諦め気味で就職活動を続けており、「最悪はバイト先でもう少し働きながら就活してればいいか」とも思い始めていました。

そんなフリーターになりかけの頃、ふと家で見ていたお昼の番組で、私はとある人に心を奪われました。
その人こそ、ジャニーズWESTの中間淳太くんでした。

その時見たのは、友近さんと中間くんが台湾の観光地を巡る特集でした。

台湾にルーツを持ち、幼少期は台湾に暮らしていた中間くん。
中国語(台湾語?)だけでなく、英語も彼は堪能。
第二の故郷を訪れた彼は、その能力を存分に発揮していました。

そんな彼の姿に、私は軽率に落ちてしまい、あれよあれよという間にジャニーズWESTの沼へ・・・
前述のV6と推していた時期が被っており、いわゆる「掛け持ち」をしていました。

ジャニーズへの貢ぎ具合はこの頃は一番ピークだったように思います。
CDはほぼ全形態購入、雑誌も出ているものはほぼ全て購入し切り抜き、過去のCDもフリマサイトで漁って購入・・・
いくら注ぎ込んだのか考えたくないです。

前職を退職し、フリーターをしながら転職活動をしていた頃、支出を抑えるべくやむを得なく彼らを追いかけるのをやめました。

最近はクイズ番組によく出るようになった中間くん。
正解した時に喜ぶ顔を見て「かわいいな〜」と思ってしまうあたり、私にはまだヲタクの気質があるのでしょうか。

⑥中学2年〜:ポルノグラフィティ

言わずもがな、私の一生の最推しと言っても過言じゃないです。
病める時も健やかなる時も(?)、私のそばにはポルノの曲がありました。

出会いは中学2年の時。
当時通っていた塾の学生チューターさんがファンだったのをキッカケに気になる存在に。
たまたまツアーで地元にやってくるということで、チケットを取ってライブを見に行きました。
ただその時はそこまでどハマりすることなく。

それから半年ぐらいしてから、彼らの曲が主題歌になった映画を見に行った時。
その時が全ての始まりでした。(?)

その時以来、かれこれ15年近く彼らを追いかけ続けています。

私の語彙力では収まりきらないぐらい、ポルノグラフィティにはたくさん助けてもらったと思ってます。
それこそ、病める時も健やかなる時も。(2回目)

受験勉強、就職活動、転職活動・・・
様々な私の人生の分岐点に、ポルノがいたように思います。

ポルノは、私にたくさんの「初めて」をくれました。(言い方)

初めてライブ遠征をしたのもポルノのライブ、初めてファンクラブに入ったのもポルノ、初めての場所に連れてってくれたのもほぼポルノがきっかけです。
むしろ、ポルノを好きにならなかったら、きっと私はもっと内向的な人間だったかもしれないなとまで思っています。

⑦終わりに

今回もまとまりのない投稿になりました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。

見出し画像は、先日行われたポルノのツアー最終日・日本武道館での一枚です。
この時、初めて日本武道館を訪れました。

推しがいるって、こんなに人生を豊かにしてくれるんですね。
推しのいる生活 is wonderful

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