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横浜市長選挙の候補者を全員回ってみた。


はじめに。

なんとなく「選挙」は元々好きだった。

そういえば、候補者も政党も分からなかった子供時代にも開票速報を眺めたり、街頭演説や街宣車の声を聴いたりしていた。

選挙権を得てからは毎回投票日に投票に行くのは勿論、選挙区外の政見放送をわざわざ録画して見たり、開票速報のテレビ中継が終わった後もネットの情報をリロードしながら最後まで票が振り分けられるのを見届けたりするくらいには今も選挙は好きだ。

ただ選挙を眺めることを楽しんでいた私は「選挙とは何か」をあまり理解していなかったのだということを今回の横浜市長選挙を通じて痛感した。


選挙を全力で見てみたい。

今回行われた横浜市長選挙は市外でも話題に上がっていた。
主な争点としては大方の予想の通り、カジノ・IRの誘致についての話題が目立つ。
続いてワクチン接種の対応の遅れなど、横浜市の目下の課題である新型コロナウィルス対策。
そして、数年前から話題に上がり続ける中学校給食の導入。などなど。

恐らく横浜市長選挙に限った話ではないのだが、候補者たちの訴えの内容は現職への批判の声も大きく、カジノ誘致への反対は殆どの候補者が大きな文字で掲げていた。

今回の横浜市長選挙は自分の住む土地であること、市内という比較的狭い範囲内での選挙であることから、いつもより積極的に情報を追うことを個人的な目標に設定した。
具体的には候補者のSNS投稿をこまめにチェックし、時間の許す限り政策動画等を視聴し、なるべく全員の演説を直接聞きに行くことを心掛けた。


「選ぼう!」という割に、選ぶ時間がない。

告示日から、市内には「選ぼう!」という標語の書かれたポスターが多数貼られているが、果たして市民は候補者を「選べた」だろうか。

8人の候補者の政策を選挙期間の冒頭でじっくり読み込み、討論会や演説への参加。候補者と直接話してより詳しく内容を聞いたり、必要があれば質問を投げかけたりする。特に、街頭演説の配信が無い候補者の場合には時間を作って現地に直接足を運ぶ。

ビラに書かれている公約の内容は各候補者のサイト上で公開されているため、現地にわざわざビラを貰いに行く必要はないが、配布されるビラだけではわからない情報も沢山ある。

メディアや有志の市民から出されるいくつかの候補者向けアンケートの回答を比較したり、候補者のSNS投稿をよく読んだりして得られる情報もある
候補者の人柄や思いについては演説会で初めてわかることも多い。

告示前の活動にも注目し、選挙期間である2週間の大半を候補者の話を聞くことに費やして、やっと「選ぶ」ことができるまで各候補者の訴えを聞くことができたように思う。

今回は私自身が夏休みの最中ということもあり、十分な時間を取れたため全員の話を現地で聞くことができたが、時間も体力も使うこの方法はあまり現実的ではない。

政策等を吟味せずに、なんとなく知っている人や政党名を見て選ぶ選挙になりがちなのは、じっくり選ぶ時間がないからというのも理由のひとつだと思う。

もし、候補者が2-3人であれば自分で情報を集めて比較することもさほど大変ではない。しかし、さすがに8人の候補者が並び立つ選挙となると、短時間で各候補の比較ができる全員参加の討論会はどこかで開催して欲しかったという思いがある。


市長選挙では何をする人を選ぶのか。

各候補の動向を追う中で目にする候補者以外の発言やSNS上での書き込みに、私はある違和感を覚えた。

それは首相を支持するか否か、国のコロナ対策に対する評価、それが市長選の結果に現れるのだという書き込みや、横浜市長選挙の国政への影響やそれに同調する声に対してだった。

勿論、市長選挙は国政政党の代理戦争ではないと訴えるコメントもある。
私も以前からそれらの意見に対して「まぁ、国と地方は違うよな」とぼんやり思っていたのだが、そんなぼんやりした話ではなかった。

○○党を倒すには△△候補に投票してください、という書き込みがネット上では散見される状態。
その状態を見て、そもそも市長というのは何をする人か、それをあまり知らずに投票する有権者も少なくないんじゃないかと思った。
かく言う私も「横浜市長は横浜市のトップの人」くらいのぼんやりしたイメージを抱いていた一人だった。
おそらく公民の授業で習ったとは思うのだが、当時はそこまで役職の仕事内容までは興味が持てなかったのか、あまり記憶になかった。

市長とは何をする人か。
それについては検索すればすぐに仕事内容を定めた地方自治法という法律の条文が出てくるけれど、選挙の前にわざわざ調べる人は少ないと思う。

広報ポスターは「選ぼう!」というが、そもそも誰のために何をする人を選ぶのかが分からなければ、選ぶものも選べないのではないかと思う。

選挙をする際には有権者が持つべき最低限の事前知識として、市長の具体的な仕事内容や権限の限界くらいは広報ポスターに書くなど、もっと周知してもいいのではないかと感じた。

市長の役職は国会の議席でもなければ、国政の決定権を持っているわけでもないのだけれど、それすら伝わってないのではないかと思う。
市長選挙では、現政権をひっくり返すためのコマを選ぶわけではないのだと。
サッカーボールで野球はできない(という例えが良いかはわからないが)、そもそも「国政に関する選挙」と「自治体の今後を決めるための選挙」は別物なのだと。

そこがあまり認識されていないような気がして、何だか残念に感じた。


「投票に行こう」と言うけれど。

また、世間は若者の投票率を上げようと言うが、この状況では選挙に投票に行け、興味を持てと言う方が無茶なのではとすら思った。

横浜市長選挙に限った話ではなく、近年の地方選挙を見ていて思っていたことだが、メディアからは主要候補と言われる限られた人の、特に国政政党との関わりが報じられる。政策については軽く触れられるかどうか。
結局、報道からは身近な自治体に関わる話であるということがあまり伝わってこない印象があり、興味は惹かれないように思う。

そのように一方的に発信されるメディアからは限られた情報しか得られず、自分から情報を取りに行かなければ実際に候補者の訴えは見えてこない。

報道されない候補者は、その姿すら見えてこない。
有権者の手もとに与えられる選択肢がメディアの裁量によって予め絞られてしまっているように感じる。

調べればわかるだろうと言っても、興味がない曲の歌手の名前をいちいち検索したりしないように、そもそも興味が持てなければ調べるという段階にすら移れない。

政策が吟味されず、自治体のことが二の次にされた自治体の選挙が行われる現状では投票の結果、街が良くなったという実感が得られるわけもない。

それでは投票では何も変わらないと思われるのも、仕方がないように思う。

投票率を上げるなら、投票で住む街が良くなったという成功体験を積み重ねて、前向きに票を投じたいと思える選挙にするしかないのではないか。

そうすれば少なくとも、地方選挙の投票率は上がってくると思う。


感想。

消去法で全部消えるなんていう風にも言われていたけれど、私は前向きな気持ちで投票先を選べました。

候補者の8人の話を直接聞くことはとても興味深く、それぞれの候補者の訴える将来の横浜像を思い描くのは楽しいことでした。
住んでる市のことでも知らないことはたくさんあり、選挙は改めて自分の住む街のことを考えるきっかけともなりました。

地方自治体の選挙って、楽しいものなんだと思います。
自分の住む街をどう育てるか、わくわくするものなのではないかなと。

色々ありましたが、それでも、私は今回が今までで一番楽しめた選挙でした。

次の選挙はひとりでも選挙を楽しめる人が増えればいいなと思います。
お読みいただきありがとうございました。

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