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凡庸な悪の相貌


 今から半世紀前の1961年、元ナチス親衛隊将校を被告とする裁判が、全世界の注目を浴びていた。被告の名はアドルフ・アイヒマン。ヨーロッパ各地から絶滅収容所へのユダヤ人移送を統括したアイヒマンは一貫して、「命令に従っただけの歯車の一人」であったと無罪を主張し続けた。映画『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』は、イスラエルで開廷されたこの裁判の中継放送を実現させたテレビマンたちを描く作品だ。

 600万人に及ぶ犠牲者を出した、ナチスのホロコースト政策。ドイツの配色が濃くなり、ナチス最高幹部の一人ハインリヒ・ヒムラーによるユダヤ人虐殺の停止命令が出たあとも、アイヒマンは独自の折衝により車輌を確保しユダヤ人の移送業務を続行した。アイヒマンとはいったいどんな男なのか。四ヶ月にわたる裁判を伝える番組は視聴者を釘付けにし、世界37ヶ国で放映された。


 

 法廷には、百人を超える証人が出廷した。絶滅収容所の生き残りを含む彼らの証言により明らかとなった国家犯罪の相貌は、視聴者の想像をはるかに超えて残虐なものだった。妻と娘の遺体処理をさせられた中年男性、証言席で感極まり卒倒する詩人、裸にされ銃殺された遺体の山で目を覚ました老女……。本作は当時放映された実録映像をふんだんに用いながら、並行してこの歴史的放送を実現させた男たちのドラマを映し出す。放送実現のためアメリカからイスラエルへ飛んだ若き敏腕プロデューサーは、番組の監督としてアメリカ本国でのマッカーシズム(赤狩り)旋風により長年干されていたベテランのドキュメンタリー監督を採用する。二人を中心とするスタッフたちは、判事の消極姿勢、相次ぐ脅迫など、予想もしない多くの壁にぶち当たっていく。

 プロデューサー役を演じるのは『シャーロック』の相棒ワトソン役や『ホビット』の主人公役で知られるマーティン・フリーマン、ベテランのテレビ監督役を演じるのは豪州出身でトニー賞及びエミー賞受賞の名優アンソニー・ラパリア。両名とも、他作では見られない重責と緊張を終始強いられる役柄を果敢に演じ切っている。 

 また昨今のハリウッド作品では恒例ながら、近過去の建築やインテリア再現も本作の見どころだ。『ブリッジ・オブ・スパイ』の冷戦下東ベルリンや『キャロル』の50年代ニューヨーク同様、本作『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』の60年代テルアビブ(とその近郊)もなかなかの視覚体験を供してくれる。

 ユダヤ人の政治哲学者ハンナ・アーレントはアイヒマン裁判を傍聴したのち、現実に起こる悲劇的事件の根に蠢くのは超人的な巨悪ではなく、盲目的な凡人の群れによる《凡庸な悪》なのだとしてこう述べた。


 “悪は決して「根源的」ではなく、極端なだけで、深遠さも悪魔的な次元も備えていないというものです。それは表面を覆う菌のように広がるがゆえに、全世界にはびこり、それを荒廃させるのです。” (ハンナ・アーレント 『イェルサレムのアイヒマン』)


 《凡庸な悪》は、それを抱える人間とそうでない人間とを分かつものなどではない。「わたしは《凡庸な悪》とは無縁の人間だ」ともしあなたがいま思ったなら、その思いの底にこそ悪の悪性は息づいている。

 映画『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』は、アイヒマンの犯罪そのものについては結論的な価値判断を控えた展開に終始する。主人公のテレビ監督は、「誰もがアイヒマンになり得た」という立場を貫き、他のスタッフとの対立を招きながらも被告人席の表情だけを追い続け、アイヒマンが感情を露わにする瞬間を待ち続ける。さて本作において《凡庸な悪》はどのような顔を見せるのか。ここから先はぜひ本編にて。

 


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