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青衣島

 

 二階建てバスの二階の先頭席は、事故のとき一番死ぬから香港人はあまり座らないんだよ。


 嬉々として先頭席に陣取ったぼくの隣に腰をおろして、そう教えてくれたのは誰だったろう。美蕾かな。いやdelphineか。はっきりと思い出せない。隣席からこちらをのぞき込む、いたずらっ子のような瞳の光と声の反響だけが脳裡によみがえる。

 窓外は雨のぱらつく濃い曇り空で、弾丸道路がランタオ島の北側を貫通していく。こうして香港へと降り立って、九龍城砦の間近にあった啓徳空港を思いだすのも今はもう、もっぱら外国人のすることかもしれない。香港の人たちはどちらかといえばもっとそう、現実的だ。

 

 さらなる拡張の進む香港國際機場からバスで市街へ向かうのは初めてで、指定された通りに動けたことへの安堵に疲れや興奮が加わってか、むやみに頭がクリアになる。こういうとき毎度思い知るのは、日本やタイでの日常が、いかにこの思考をタガに嵌めているかということだ。なおもこうして日常言語によりすがる習性すらもが、どこか不全に思えてくる。

 

 トランジットも含めればこの空港にも何度かは来ているから、高層住宅のひしめく周辺の景色そのものに新鮮さはあまりなく、しばしスマホをいじることにする。着陸前に機内で撮った写真を補正、つぶやきを打つ。これから向かう待ち合わせ場所がスタバなので、そこのフリーwifiからたぶん投稿できるだろう。以前であればこういうときに向かうのは、手書きノートだけだった。


Tweeted on bus:   https://twitter.com/pherim/status/711064260827152384/


 やがてバスは大橋をわたり、青衣島へ。

 青衣島は、delphineの出身地だ。

 今でこそ九龍市街に半ば呑み込まれかけているけれど、香港返還の1997年、青衣島にはまだ九龍半島からの橋すら存在しなかった。だから完成寸前の大橋を見わたす展望施設へ、delphineは連れて行ってくれた。岬の端で他に使い途もなさそうだし、いまは廃墟化しているのかもしれない。

 青衣=Tsing Yiの音は、その頃から日本でも注目を浴びだした大陸女優の章子怡=Zhang Ziyiと、ぼくのなかではずっと重なってきた。外国語に不慣れな人間の幼稚なこじつけとはいえ、不思議なものだとすこしおもう。いつものように今回もまた、映画が実世界の前にある。やがて銀幕に浮かぶ写像をナマの手触りが突き破る。毎度のことだ。



 沙田へ着く。香港中文大學の本拠地だ。バスターミナルや鉄道駅に直結したショッピングモールは予想外に広大で、簡単に見つかると思っていたスタバがどこにあるのかわからない。沙田には97年にも来たはずだが、このような巨大空間はたぶんなかった。九龍の不夜城市からひと山越えて、もっとこじんまりとした住宅街だったのに。

 宝石店の店頭に立つ人の良さそうな売り子の女性に、スタバの場所を尋ねる。教えられた通りに歩き、彼女が本当は知らないのに、親切心に負け嘘を教えてくれたことがわかる。わかった瞬間、彼女はきっと香港人ではないのだろうなと合点がいった。香港に生まれ育った人はなんというか、佇まいの輪郭がくっきりしている。大陸の人の輪郭はもっと大らかで、彼女のそれは後者だった。そう気づくと同時に、わけのわからない地下空間の暗がりへ出た。やっぱりこうでないとな。旅上災厄こそわが薪炭。



 

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