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”聴覚”頼りな命綱

840回目です。φです。

先日、久しぶりに聴きました。避難のアラーム。突然スマートフォンが鳴り響いて、止めたと思えば次は市内のアナウンスが。雨の音もひどくて、これは本当にひどいかも、と思うものでした。

私は雨になるとほぼ確実にガレージは川の水で沈む家で暮らしておりまして…小さい頃から大雨の音を聴くと、川の様子を部屋の窓から1時間おきに確認する癖がついていたりします。

ほんと、川って水の増える勢いがすごいんですよ。あっという間に水が溜まって、あっという間に水が引く。本当に一瞬です。

そんな具合になりまして、慌ただしい朝だったのですが。なんとか乗り越えることができて、ほっとしたのが午後。

振り返ると、アラームや放送って不便だなぁ、と思います。

今回市内に流れた放送は”高齢者の避難を勧告するもの”です。スマホにもその勧告が来ましたし。

しかしながら、明らかに高齢者には聴こえないだろうな、というものでした。耳が遠い人にとっては、雨にかき消されるか、もしくは音さえ聴こえないでしょう。そして何を言っているかも。

私は音が聴こえていました。この音程は市内の放送だ、ということも。聴こえていても、聴覚情報処理障害の私にとっては、「何を言っているのは分からない」という状態。

いつもの何かの放送かなぁ、とか。その程度にしか分からないんですよね。特別な音程を使っている、というわけでもありませんから。

それらを考えてみると、聴覚からの情報にほとんどを頼りにして警告はなされるんだなぁと思う。耳からの情報だけが頼り、という危ないものだと思う。

そりゃ、聴覚に困難を抱える方は、他の手段を持っているのかもしれない。例えば、外の音が鳴ったら反応する何か、とか。自治体で聴覚を補う系のアナウンスが渡される何とか、とか。

けれど、認定が下りる、もしくは病的なもの、ではない中途半端なものだと、そういった補助はないことがほとんどです。

結果的に、いろいろと不便になるんだろうなぁ…と、先日の慌ただしい時間を過ごし終えて思いました。誰もが平等に情報を手に入れること、は難しいものですね。

災害時の不安も、何かしらの困難を抱える人にとっては倍増するのだろう、と思います。誰もが不安なのは変わりありませんが。

安心して過ごせる社会、がやってくることを願うばかりです。

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