”学生期間”は自分の殻を破るためにある
おひさしぶりです、φです。
いろいろとご報告したいことがあるのですが、本日は省きます。
ふと思ったことを、残しておきたい。
ただ、それだけの想いで書きます。
学生時代の学びについて。
学生とは”チャンスにあふれた期間”
学生というと、ちょっと対象年齢が変わってきてしまうかもしれません。
私の前提としては、”学生=中学校+高校+大学”ということにしています。
自我が確立されていき、「私とは何か」をふとしたときに考えたり、熟考したり、が始まるお年頃。
この学生期間は、さまざまなことを学びます。
そして、さまざまなチャンスにあふれています。
中学生対象、高校生対象、大学生対象。
こうやってしぼられたプログラムだったり、体験だったり、は目にしたことが多いかと思う。
私が今朝見たのは、国際交流系。
若い頃に世界を知ろう、平和を考えよう、これからの未来を考えよう、といった趣旨のもの。
このようなチャンスは、若い頃にこそ役立つ。
若い頃に”自分の生きている場所以外の、外”を知ることで、得るものは大きなものでしょう。
まったく想像できないようなことに出会い、若い心は何かしらの刺激を受けるでしょう。
年齢は関係ない、ということもできますが、若い頃の未成熟な心に得たものと、
それなりに経験を経た心を持って得たものというのは、どこか異なるものです。
未成熟だったら、自分の価値観を形成する際に”得た経験”を持って成長できる。
成熟したものだったら、既存の、確立した価値観にプラスされていく。
違いがあるかと思います。個人的には。
社会から提供される期間を得るには、学生期間というものは素晴らしいものなのです。
学生期間の私が得たもの
今振り返ると、私は学生期間というものを”社会・世界・自分以外の世界を知る”というものにまったくなりませんでした。
代わりに私が知ったのは、”生きるとは何か?””なぜ生きるのか?”というもの。
前述した学生期間が外的なものを知る、というのなら、
私は”内的なものを知る”ということになりましょう。
ひたすら自分に問いかけ、答えのない問いさえ自分で答えていかないといけない。
哲学者のはじまり、のようなことをしていたとも言えるかもしれませんね。
私は小学校を卒業する辺りから心のバランスを壊し始めました。中学生になって、摂食障害になった。
だんだんと痩せ細っていって、高校生になった頃には入院するほどまでになった。退院しても、周りのように学校に行くことはできなかった。
学校に行っても保健室で寝ていたり。早退したり。
なんとかかんとか、周りの支援があってようやく卒業。ほぼ奇跡に等しいものでした。
そして、大学。
バイトする体力もそこまでなくて、ひたすら大学の勉強に力を注いだ。さまざまなことを知ったけれど、”知識を詰め込むこと”に変わりはなかった。
夜中まで遊び、明け方まで語り合う友人を見て、「なぜ自分はできないのだろう」という問いを自分に投げ続けました。
結局、私にとって10代から20代前半は”内的な世界を知る期間”になった。外的なことを知らないまま、優しい環境に自分を浸したまま、差し伸べられる手を享受したまま、育ったのです。
逆に言えば、未成熟だからこそできるものをすべて蹴ってきた。蹴らざるを得なかった。もし挑戦していれば、何か変わったかもしれません。
しかし同時に、生き続けることは難しかった、と言わざるを得ません。
自分が生きるためだけに必死になった。それが私の学生期間です。
学びの途中にある人たちへ
今、夏休みを迎えていることでしょう。
もしかしたら満喫中ってくらいかも。満喫してください、その時間は尊いものです。帰ってこないものでもあります。
自分の世界を広げることに、必死になってください。がむしゃらに自分の”好き”を追いかけてください。
ちょっと怖いな、と思うことも「やってみないと分からない」と思って、一歩を踏み出してください。
もし本当に怖くなったら、大人に声を掛けてみて。信頼する大人を選んでね。
社会人として世界に出る前の若い人の勉強でもあります。信頼できる大人に出会い、関わりを持つことは。
目の前のチャンスを掴んでください。好奇心を持って、さまざまなことに挑戦してみて。
あなたの心を豊かにする期間が、学生期間でもあるのです。
私が願うこと。学びの途中にある人たちが、将来を明るく考えられることです。自分のことをポジティブに考えられるようになることです。
そのために私ができることを、私も探し続けます。自分の学生時代に取り残したことを、いまから始めるために。
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