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生き延びるのも悪くない

φです。タイトルが不穏ですかね。正直な気持ちで書いたところ、これ以外の言葉がありませんでした(笑)

改めて、「私は人生で何をしたい?」と考えまして。そのとき、ふと頭をよぎったことがあった。摂食障害で入院してたときのこと。

そんな時代、あったなぁ。そういえばあのときは骨と皮だけだったなぁ。よく生きてたなぁ。心が歪む、って表現あるけど、あのときはねじ曲がって複雑骨折状態だったなぁ。

なんて、今では思う。

若気の至りさ、って言うくらい、今は穏やかに振り返ることができます。隠す必要ないし、私の人生の一部だし、摂食障害のおかげで分かったこともあるし。

なんだかんだで、感謝しています。全面的にってわけじゃないけどね。少々しかめっ面で、「嫌いじゃないよ!!」って言う感じ(笑)

今思えば、あのときの私は傲慢だった。自己愛がひどかった。視野が狭かった。

とは思います。まぁ…今でもそうかもだけど…いやいや、少しは良い感じになってるはず。なってるなってる。多分。

それはさておき、摂食障害の時代、入院時代…と振り返ると、同時に思い出す人たちがいます。同じ病棟にいた人たち。


誤解を招きたくはありません。あくまで、”私が見た”ことです。全部の病院が当てはまるってわけじゃないよ。

私が入院していたのは、その地域では一番大きい病院。大学病院。自分で言うのもあれですが、「手に負えない患者たちが行き着く場所」だと思う。私も個人病院、ちょっと大きい病院、総合病院、などなどから回されまくって行き着いた場所ですしね。

あまり覚えてないけれど、当時の私は悲惨なものでした。髪抜けまくってたし。骨が浮き出ていたし。浮き出た骨のせいで皮膚が剥げてたし。青あざまみれだし。低血圧に低体温だし。顔色なんて白いどころか青い…青よりは紫だったかなぁ…

多分、当時の私と現在の私が再会したら、開口一番に「え?ゾンビバージョンの私?」とか言っちゃいそう。

まぁそんな具合の、よぼよぼの私。よぼよぼ過ぎて感情表現も薄い。感情ってパワーがいるんですよね。そんなよぼよぼよぼよぼしてた私でしたが、病棟で出会った人たちは私に衝撃を与えました。

体重が20kg台の人もいる。動けない人もいる。動けないのに暴れる人もいる。入退院を繰り返している人もいる。

「もうあの人、次はだめかも」。そんな言葉さえ、日常的に聴こえてくるところでした。

私も直接目にしました。車椅子で運ばれる、がりがりに痩せ細った人。細すぎて、入院着が余っていて。入院着が歩いているような光景も、毎日見ました。

治療に専念するように。そう言われて、携帯も勉強も取り上げられた私。ひたすら本を読んで、自分と向かい合って、音楽を聴いて過ごした。聴いていた曲は、Carpenters。

「こうしちゃいられない」。そう思って、自分を変えていきました。与えられたものをちゃんと食べた。過度の運動を辞めた。体重体型への執着を捨てた。自分の理想像を変えた。

食べましたよ、すっごく嫌いなハムもかまぼこも。あのピンク色の薄っぺらいの、どうも嫌いなんですよね。私にとって、「何奴!」って反応したくなる系の食べものです(笑)

私の入院期間は1カ月でした。その期間は決められていました。

たった1カ月間で、誰かが亡くなったという話も聞いた。誰かが退院してすぐに緊急入院したという話も聞いた。

1か月間で、多くの”命”と接したと思う。”死”とも接したと思う。”生と死”について、たくさん考えたと思う。

命って終わるんだ。当たり前のことに気づきました。ちょっと前、入院前くらいは自分のは捨てちゃえーなんて思ってたものが、急に愛しくなった。捨てるのが惜しくなった。

退院直前。私は入院前とは異なる視点から、1か月間過ごした場所を見ていました。

「摂食障害は、いつかなくなる病気になるだろうか」「摂食障害で悩む人を助けるには?」「摂食障害の死亡率を低くするには?」「どうして摂食障害になってしまうんだろう」「どうして心は傷ついてしまうんだろう」

そんな疑問をもって、病棟を歩きました。


振り返ると、あの時代がターニングポイントだった。良くも悪くも、あの経験が私を変えた。

大学で心理学を専攻したのも、自分の経験を通して”心を救いたい”と思ったから。心を知りたい、というのも理由のひとつだけどね。大学で心理学を学んで、ホースセラピーの専門家になって、摂食障害の人を救いたい。心に傷を持った人を助けたい。そんな想いがありました。

私が「人生で何がしたい?」と自分に問いかけると、人の心、という言葉が真っ先に浮かびます。そして病棟の光景が浮かぶ。

振り返ることができるのは、「私が生きているから」。あのときの経験をこうやって書き残せるのも、「私が生きているから」。

生き延びることができたからこそ、振り返ることができる。「そんな時代あったなぁ」なんて思える。当然だけどね。

生き延びるのも、悪くないものです。謳歌できたら上々。謳歌できなくても、できたと思えたら上々。人生ってそんなものです。多分。

生き延びれたからこそ出会えた人がいる。出合えた経験がある。出合えた選択肢がある。生き延びなかったら、失意のうちにすべてが閉ざされていたことでしょう。

生きてればいろいろ悩むだろうし、悲しむだろうし、惑うだろうし。人生って楽しいことばかりじゃありません。楽しいと思えるようになるまでは、なかなか難しいものです。

でもまぁ、「なんか楽しいかもね」なんてゆるっと思っておけば、なんだか楽しくなります。苦痛と思えば苦痛だし、楽しいと思えば楽しい。人の心って難しいようで、案外単純。

結論、生き延びるのって悪くないよ。気楽に生きていきましょ。

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