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なぜ現代人はニュースを見て「怒る」のか:フェイクニュース=セクト・コミュニケーションとポピュリズムの現代

現代ではコミュニケーションの手段が多様化して誰でも全世界に情報発信ができる時代になった。国民のセクト化をねらうフェイクニュースも無数に生み出される。それは国民国家を単位とする民主主義を崩壊させる熱量を持った爆弾である。

ファシズムとマス・コミ

丸山眞男が『超国家主義の論理と心理』(岩波文庫)で言うには、ファシズムは国民をマス化して均質化しこれを飼い慣らす方策で反ユダヤ主義・反資本主義・反共産主義の言説だけを煽り立て、その枠に入らない者を戦前戦中の日本でいう「非国民」として排除することで独裁政治を行っていたという。

この点においてマス・コミはたしかにファシズムの本質を構成していた。

私はこの記事ではファシズムの対極の軸としてポピュリズムを据えることにしたい。これが誤っている可能性は当然否定できないが、以下その仮定で現代の言論界の不自由性を論じたい。

ポピュリズム分析

ファシズムは過去のものかもしれないが(隣国は現役のファシズムだが)、現代日本ならびに「西側」などのポピュリズムではどうかというと、これらポピュリズム諸国の言論はファシズムが常套とした国民のマス化ではなく職業・階級・人種・性別といったセクト化に向かって進んでおり、国民を分断することによって互いに「怒り」の感情を抱かせて、統治をしやすくしている。そうした中で大多数を占める特定の層だけを優遇するのがポピュリズムである。

セクト・コミュニケーションの現代

読者諸賢はニュースなどを見て「怒り」の感情を持ったことはないだろうか。

なぜわれわれは実生活に直接的に関係のない、たとえば芸能界やスポーツ選手、あるいは間接的にしか関わりのない政治家・皇室などの不祥事などが報じられ、それに「怒り」を感じたり、憤ったりするのだろうか。

そこにはマスコミならぬセクト・コミュニケーションの分断工作が進んでいると私は考えている。

「怒り」による国民の分断

日本でも大衆紙やSNSやまとめブログなど様々なメディアで恣意的なフェイクニュースが投稿されている。

なぜこのような現象が発生するかというと、それはその主体者が「怒り」を媒介として記事に広告価値を持たせ、かつそれを支える層の出現=国民のセクト化を狙っているからである。

なぜ我々がこうした虚実の曖昧なニュースに接して「怒り」の感情を抱くかというと、そうした国民のセクト化の工作が背面に潜んでいるからであろう。

ポピュリズムが生み出す分断は健全な民主主義の発達を脆くする点において、その害悪はファシズムと比肩するものである。

国民国家が解体する時代

国民のセクト化は国民国家を瓦解させる。
わたしは国民国家に対して批判的立場であるが、国民国家は民主主義を維持する上での必要悪でもあると考えている。

英国のスコットランドはどうか、スペインのカタルーニャ独立運動はどうか。
これらはセクト化した集団が地域的な権益を独占しようとする動きである。それは排外主義とパッケージで主張される。

それは現地に住む人々の感情としては当然かもしれないが、同時に富の分配を特定の集団で独占するという面においても排外主義を取る点においても民主主義的ではない。

結論

われわれは国民を民主主義において分断させてはならない。
ひとりひとりが知的なリテラシーを向上させて、マス・コミともセクト・コミュニケーションとも戦っていかねばならない。

令和三年四月二十五日 枯野

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