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長すぎる自己紹介(7000文字)

🌼自己紹介🌼

✧京都在住┆フォトグラファー10年目
✦夫、息子(R4生まれ)、猫♀(7歳)、猫♂(5歳)
✧36歳で出産。女性ホルモンに振り回されがち。PMDD改善中
✦産後の調子が悪くすべての自信を失う。からの再出発としてのnote
✧産後大変だったこと、子育てのこと、写真のことなどを書いています。

詳細自己紹介InstagramXWebサイト

昨日で100記事連続投稿を達成しました㊗️
今日からどうしようかな、と思いながら
とりあえず「自己紹介マガジン」を作りました。

ぽんこつ母さんについて、ちょっと知ることができます(誰得

というわけで
普通の自己紹介を書いてなかったので
今更ですが今日は自己紹介記事を書いてみようと思います。
正直、最後まで読まなくて大丈夫です。

0歳 ぽんこつ爆誕

春、日本に生まれる。
子煩悩で仕事好き、好きなことをとことん追求する父と、
我慢強く子ども好きな看護師の母との間に、
三人兄弟の2番目に生まれる。

3歳 ライバルと妄想癖爆誕

妹が未熟児で生まれる。
日本昔話とグリム童話をこよなく愛し、
物語の中に自分を登場させて妄想するのが自分の居場所だった。
内気で人に面と向かって話すのが苦手であるものの、
文章にのせるといくらでも心が自由に動き出す才能は、
このころの妄想癖が影響していると思われる。
頭脳明晰で学力優秀な兄と愛され上手な妹のはざまで、
居場所がないような幼少期を過ごす。

5歳 自分を殺す技術爆誕

幼稚園の給食がパンの時に吐く。
その時にパンと牛乳が大嫌いになる。
ご飯を食べるのが遅く、いつも居残りさせられて給食を食べていた記憶がある。
山中先生が大好きだった。
お遊戯会ではドレスや着物の女の子に憧れるも
「それがやりたい」とは言い出せない控えめな女の子であった。
体操クラブや英会話クラブのような華やかなクラブに憧れるも
実際に自分がしていたのは鼓笛隊のピアニカであった。

10歳 コンプレックス爆誕

内弁慶な性格で、家ではワガママもイヤなものはイヤだと騒ぎ立てるが
一歩家の外に出ると借りてきた猫のように大人しくなるのであった。
他人の前で自分を表現するのは苦手であった。
自分の家と、外の世界との間に、非常に分厚い扉を作る性格であった。

小、中学生のときも控え目にすごし、
ありのままの自分をごく少数の仲良しの友達や、
先生以外の前で表現することは少なかった。
自分の世界と、外の世界を大きく区別して認識していたものと思われる。
学力も優れていたが、特に国語や図工、家庭科が得意であった。
没頭できるもの、夢中になれるものにはとことん夢中になっていた。
これは父親の影響を受けているものと思われる。

また、負けず嫌いな性格はこのころからあり、
算数の九九の計算の競争ではいつも上位にいた。
人より優位に立つのが好きであったが
控えめな性格ゆえ、自分を出せずに悩むことも多かった。
小学生の頃からメガネをかけており、
地味な自分の姿がコンプレックスであった。
こだわりも非常に強く、
いつもロングヘアーを後ろで1つに束ねていた。

12歳 男嫌い爆誕

小学生卒業前に、
男の子の友人にからかわれたことがきっかけで、
男性と話すのが苦手になる。
中学に入るとちょっとしたことで兄と大げんかし、
あまりにもこわかったために
以来数年間に渡りお互いに存在を無視するようになる。
それもあり、
ますます男子と話すのが苦手になり、
同時に酷く緊張するようになり、男性と話すと顔が赤くなってしまい、
それがイヤで近づかなくなっていった。
そろばん、書道を習う。
本当はピアノとかバレエを習いたかったが、なぜかダメと言われて習えなかった。

13歳 思春期爆誕

中学生になると、
余計に外見コンプレックスは強くなり、
メガネにくせ毛、ニキビ肌に酷く悩まされ、
そんな自分を嫌がり、苛立ながらも、
何もできない、どうしていいかわからないまま
とにかく控えめに控えめに日々過ごしていた。
中学生の頃から
生きる意味が見いだせず苦しい日々を過ごしていた。
愛とはなにか、
どうして生きることはこんなに苦しいのか、
そんな思いを、新しい物好きな父が買ってきたパソコンの
インターネット上で公開するようになる。
チャット上、インターネット上ではなんでも自分を表現できる気がしてり、どっぷりはまる。
自分でホームページを作ったり、日記を日々投稿したり、詩を作ってはサイトに投稿していた。
すると、いろんな人が自分に関心を持ってくれ、
文章を褒められたり、素直な表現に心を打たれたと感想をもらうようになる。
自分を表現することで、世界に受け入れてもらうことの悦びを
この頃知るようになる。

15歳 高校デビュー爆誕

高校受験時に猛烈に勉強をがんばり、
希望の高校に入学する。
それとともに、高校デビューを実行。
ストレートパーマにコンタクトレンズ、
がんばって男子とも話すがうまくいかなくなりまた避けるようになる。
ほんとは、恋もしたかったのに、
いっぱい話したかったのに、
勇気が出なかった。

16歳 最低な奴爆誕

高校在学中に、半保健室通いになる。
酷く生きづらく、成績も落ち、
将来が見えず、授業中も寝てばかり、
そんな自分を責めるようになる。
保健室の先生だけは
私の話を聞いてくれた。
死にたい欲が強く、
保健室の先生に送ったメールで
外部のカウンセリングを紹介される。
保健室の先生に連れられて
箱庭をしたり、話を聞いてもらったりする。
遅れていた勉強も教えてもらった。

「私ってやっぱり普通じゃないんだ。もうダメなんだ」
そんなことを思いながらも
なんとか高校を卒業。
振り返ると、内弁慶なくせに、我が強くわがままで嫌なものは嫌で、
弱いものに強く強いものに弱く、ずるい性格だったので、
まぁまぁ最低な人間だったと思う。

17歳 写真人生爆誕

高校の卒業旅行で手にした父のデジカメ。
そこで写真に興味を持ち、
バイトをして自分のデジタルカメラを購入。
空や風景などを撮り始める。

18歳 安定思考爆誕

ほんとうは、製菓学校や専門学校に行きたかったけれど
安定志向の親と祖母の話を聞き、
大学受験。
一本狙いの国公立を受けたが不合格。
滑り止めの滑り止めの短大だけに合格。
プライドはズタズタ、
浪人するほど気力もない、
早く卒業して早く働いてみんなよりお金稼ぐぞと
短大に通い始める。

19歳 バイト人生爆誕

短大では写真部に所属。
実家の近所の写真屋のおじさんと仲良くなり、
写真にはまっていく。
おじさんが褒め上手でどんどん撮りまくる。
フィルムの1眼レフを購入する。
背景をボカす撮影方法にはまる。
短大に入ると、バイト三昧な生活を送るようになる。
今まで我慢してたものが爆発したかのように、
イベント派遣のバイトが楽しくて
授業そっちのけではまる。
人と会うのが楽しかった。
だけど怖がりな部分もまだあり、
なかなか思うように人間関係はうまくいかなかった。

20歳 うつ病爆誕

写真関係の会社を狙い就活するが数社不採用になると
もう嫌になって就活をやめる。
将来自分で雑貨屋を開くんだ、その勉強のために正社員じゃなくフリーターとして勉強するんだ!とやりたいことをやるんだと自分を納得させ、
短大卒業後は大阪の雑貨屋でアルバイトとして働く。
が、1年も経たないうちに辞めることになる。
お客さまからの電話に対応できなくなりパニックになる。
号泣してどうにもならない状態になり帰宅させられる。
そして心療内科デビューをし、
うつ病と診断を受け、アルバイトを辞める。
病院に通い大量の薬を飲みながら
自分を殺して生きていた。
生きる価値がない自分は食べてはいけない、と1ヶ月で10キロほど体重を落とし、ガリガリになった自分の姿がうつくしいと勘違いしながら生きる。
1年ほど実家で休養してから
当時付き合っていた遠距離恋愛の彼氏のもとへ行き、関東の地方で同棲するようになる。

21歳 新妻もどき爆誕

地方で同棲するようになると、うつ病が回復。
勝手に薬を減らしていき、
車の免許を取ったり
研究所で働きながら、
新妻のようなことをして楽しく暮らす。

22歳 暗黒時代爆誕

研究所で働いている時、簿記の勉強にハマる。2級を取得する。
そのうちに
「正社員として働いてみたい」という思いが現れ
「全国転勤の仕事をしている彼といては雇ってもらえない。大阪帰る」
と、
彼とまた離れ実家に戻る。
そして会計事務所の正職員として勤め始める。
が、
すぐに彼にすきな人ができたと言われふられる。
もう死ぬと、家族や友だちを巻き込み辛い日々を送る。
暗黒時代へ突入と思われたが、
私にはもう写真しかない。
死ぬ前に自転車で行ける所まで行ってみよう。
カメラをぶら下げて。
写真撮りに、いこう。
やるだけやって、死のう。
と、意味のわからない行動をとり、
真夜中に家を飛び出し、
2駅ちょっと走ったあと、
疲れたので帰宅する。

23歳 写真家人生爆誕

そしてその後
とにかく写真を撮りまくる。
何かを忘れるように、
新しい出会いのために、
写真展に出展しまくった。
とにかく、
新しい出会いが欲しかった。
そこではじめて、
自分の写真が思いのほか評価されることを知る。
はじめての出展はとてもこわかったけれど、
想像以上に評価され、どこに行ってもチヤホヤされ、どんどんはまっていった。
運命の写真屋さん、ナベカメの店長と出会う。
駆け込み寺として多いに通いまくる。
あたらしいカメラを手に入れ
自宅での花の撮影にどっぷりはまる。
いつでもできるその花の撮影は
わたしから煩わしい感情を遠ざけてくれた。
頭を埋め尽くす苦しい思考を
一瞬にして取り払ってくれた。
まるで麻薬のようだった。
出会い欲しさに始めた写真活動をする中で、恋もする。
会計事務所では人間関係のトラブルをよく起こす。
入社当時からいた人からほとんどすべての人とトラブルをおこす。
所長には可愛がられ給料も順調に上がり、初めての一人暮らしも始める。

24歳 個展爆誕

写真企画展の人気投票で1位をとる。
個展開催権をもらい、個展を開催する。

26歳 自営業爆誕

心屋仁之助師と出会う。
テレビで発見し、ブログを読みあさり、即会いにいった。
カウンセラー養成コースを通して、
私は自分をひとつも信用していなかったということに気がついた。
他人の言葉をあまりにも素直に信じこみ、
その通りにできない自分はダメなんだと、
一生懸命他人軸で生きようとし、
自分というものを見失っていたから
いつも苦しかったのだと。

カウンセラー養成コースに通う中で
5年勤めた会計事務所を退社、
昔から大好きだった京都へ移住、
会社に勤める道以外選択肢になかった私が、
カウンセラーとして、
また写真家として生きていく道を選ぶ。

それまでずっと自分の人生に遠慮し
自分の力を過小評価し
自分はこんなもんだと思って生きていたのを
疑うことからはじめていった。
「写真で稼ぐのは無謀」
という呪いを解いていった。

人を撮影してお金を頂くことにした。
2013年の7月頃からはじめ、
個人撮影8,000円のモニター価格からはじめていった。
正規価格3万円にすると、
依頼はガクンと減った。
会計事務の派遣社員を週4日ほどしながら
写真の仕事をしていたが、
京都を一望できるステキなデザイナーズマンションでの
一人暮らしは、貯金を切り崩していく生活だった。

27歳 パートナー爆誕

パートナーたけしくんと出会う。
もうやばい、
もう来月こそ家賃が払えないかもしれない。
というときに、武家に転がり込むことになり難を逃れる。
「頼る」ことを

同居し始めて3ヶ月くらいで
派遣社員を辞めることを決意。
2014年10月頃退社。
また写真一本でやっていくことにした。
そこで「写真に写るお稽古 みやびの撮影会」を考えだす。
写真に写るのが大嫌いな写真家みやび監修の撮影会。
写真は慣れ、
そして
自分のステキな写真が撮れた時の
心や身体に与える影響を
自らいろんなレッスン受講や撮影体験をして知る。

2014年冬、
あっという間にみやびの撮影会は満席多数の
大人気イベントとなる。

28歳 オリジナル講座爆誕

コンサルで生まれた撮影とカウンセリングを組み合わせたサービス
「目で見るカウンセリングコース」が2015年2月にリリースされ、
順調に申し込みをいただく。

写真を使って、自分を客観的に見つめる大切さを知る。

29歳 初海外進出

会社を辞めてアメリカに短期留学をした武くんに会いに、
はじめて海外に行く。
サンフランシスコ、ニューヨークの街の雰囲気にびびりながらも、満喫する。
ニューヨークでモデル体験をする。大きな教会前で撮影をしてもらう。
武くんに手伝ってもらいながら撮影会を多数開催する。

30歳 フランチャイズ店爆誕

札幌に頭を生花で飾り付けて写真を撮るプロジェクトHANANINGENを体験しにいく。
ものすごく感動し、その場にいた代表に「関西でやってほしい!」とラブコールを送る。
撮影後もメッセージでお礼と関西でやる時お手伝いしたいアピールをする。
数ヶ月後、京都で武くんとHANANINGEN KYOTOをオープンすることが決まる。
ドイツのアルプ湖でプロポーズしてもらう。結婚、法人設立。
HANANINGEN KYOTOの準備に向けクラウドファンディングを行い、目標200万円を2週間で達成。最終290万円を支援してもらう。
ヘアメイクを大阪まで通い習得する。
スタジオ撮影(ライトを使った撮影)を覚える。
装花も教えてもらう。
京都一乗寺にAKIZUKI galleryをオープン。
HANANINGEN KYOTOな毎日を送る。
テレビ出演やラジオ出演や、ライブ装花など忙しい毎日をすごす。

31歳 にゃんだふるライフ爆誕

猫の花ちゃんと出会う。
自分と同じ誕生日、思い描いていた通りの子を見つけ、運命を感じて迎え入れる。
にゃんだふるらいふがはじまる。
スタジオを移転する。
以前入ったことのあるお店が賃貸に出ていて、みるだけ~と思っていったら「どうしてもここに引っ越したい」と思うようになり、なんとか引っ越す。

32歳 にゃんだふるライフ2爆誕

悩んだ挙句2018年末で
HANANINGEN KYOTOを卒業することになる。
辞めてスッキリし、自分たちの仕事をどんどん生み出す。
黒猫のむーちゃんと出会い、迎え入れる。

33歳 人生長いかもと気づき始める

上がったり下がったりしながら、写真の仕事を続ける。
誘われて80万円の出版ゼミに通う。
苦手な環境の中で、ひたすら言葉を磨く毎日を過ごす。
写真に写ることで、女性の自分嫌いを癒すような本を作りたいと試行錯誤する。
大嫌いで苦手なプレゼンを2日目に自分でも満足のいくよう成功させる。
その後のフォローがうまくできず、出版には至っていない。
本を出版する覚悟も、やる気も、今は全然ないことをその後自覚する。
仕事のスタイルが定まる。
好奇心の新陳代謝が高いと自覚し、固定した撮影プランをやめ、プロジェクト形式でその時やりたいことをやるようになる。

いつ死んでもいい。
はやく人生が終わってほしい、と思春期ごろからずっと思いながら生きてきたが、「もしかして、わたしってしぶとく生きるタイプなんじゃ・・・?」と気づき始め、どうせ生きなければいけないのなら、やりたい放題で幸せな時間を多く過ごしてみようと思い始める。

34歳 内側を満たす大切さに気づく

毎日毎日、自分の心に正直に生きる生活を行う。
やるときはやり、サボりたいときはサボり、
そのときやりたいことに集中し、丁寧に心に従う決断を行う。
コロナの自粛期間中に、撮影がまったくできなくなったので、
メイク(主に眉)をオンラインで教えるようになる。
人の眉の描き方をチェックする楽しみを知る。

今まで自分だからできているんだと思っていたメイクの技術などを、他人にわかりやすく伝えるには?ということを考えるようになる。

作家さんの器の撮影の仕事を始める。
女性のみためを美しく整える仕事をしておきながら、
「見えないもの」にフォーカスするようになる。

2000人以上の一般女性の写真撮影に関わってきて、
いくらこちらがいいところを褒めたり、いい仕事をしても結局
「本人が自分で自分をどう思うか」なんだということを再確認し、
見た目と共に心の内側から満たせるようなことをしようと日々あれこれ考える。

35歳 脳内お花畑人間爆誕

美髪に目覚める。サロンに通い腰まで髪を伸ばす。
髪を緑に染める。
卵管閉塞で人生初日帰り手術。
結婚5年目にして妊娠。
人生で一番脳内お花畑で幸せな時期を過ごす。

36歳 ほぼ死体爆誕

出産。
脳内お花畑から一転、地獄を見る。
女性ホルモンのバランスの変化に身も心もついていかず
産後うつ状態に。
友人にほぼ死体と形容される。
必死で各所に助けを求め、なんとか毎日を生き延びる。
タンパク質、鉄等の栄養素の重要性を身を以て知る。
授乳フォト撮影を始める。

37歳 ぽんこつ母さん爆誕

育児と仕事のバランスの取り方に激しく悩む。
秋ごろ、燃え尽きて燃えカスになる。
ひっそりと暮らしていたが
PMSが悪化。命の危険を感じ婦人科を受診。
ピルと出会う。
noteを始める。
「ぽんこつ母さん」が生まれる。
note100日連続投稿にチャレンジする。

超低用量ピル服用、栄養療法を経て
どんどん元気になっていく。
ぽんこつ味が増す。
今までスカスカだった内側が細胞から満たされる感覚を覚える。
noteを毎日書き続け、100日連続投稿チャレンジを達成。

今に至る。

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