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人は自分が落としたお金に執着する

ただの寄付キャンペーンは、皆興味がなくなっているのかもしれない。

昔、友人が新宿の路上で「アフリカに募金を」と募金箱を持って立っているアフリカ人の集金状況を調べた動画を撮っていたことがあった。
その調べによると、2時間で1人か2人が募金し、1000円ほどが募金されていた。
周知するという役目もあると思うが、これだと「普通に自分でバイトした自給のほうがアフリカにお金送れるよね?」という話も上がっていた。

このことからも、ただお金や物を寄付しましょうというのでは、人はなかなか動きにくいということが分かる。
無数に寄付する対象も溢れていて、興味や何かしらのリターンがなければほぼ寄付額は皆無な状況が多いのではないだろうか。

その意味で「旅行することが被災地の応援」や「買うことで寄付される」といった着実にメリットを感じられる打ち出し方は人気だ。


昔、飲み会の幹事をしたときに面白いことが起きた。
一度会費を回収しお店を予約したため、キャンセル料が返せない状況だったが、1人直前でキャンセルが出た。もちろんその1名への返金は無しだ。
後日、その飲み会の様子を写真共有アプリでシェアしたのだが、その参加者は、自分がいないはずの飲み会の写真をすべて、真っ先にチェックしていたのだ。
誰がどの写真を見たか分かる仕組みだったので、その閲覧する様子がとても興味深かった。

「ああ、自分が参加できるはずだった飲み会はこんなに楽しかったのか」と嘆くかのように、その参加費の成果物としての飲み会を、1枚1枚要確認していた。


つまり人は「自分が出したお金の行方と結果を知りたい」のだ。それは、執念に近いものがある。
「金のあるところに心もある」の言葉通りなのかもしれない。

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