【作品解説】syrup16gイメージアート展2nd「待ちぼうけの日々も」
2022年11月に開催された、2回目となるsyrup16gファン主催の非公式イメージアート展「待ちぼうけの日々も」に参加いたしました。第1回に続いて素敵な展示を企画・運営してくださった主催者さまと、開催にあたりご厚意を賜ったUKP遠藤さまに改めて御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
振り返るのが少々遅くなりましたが、出展作品の紹介と解説をしようと思います。
シロップのこととなると例によって作品解説という名の自分語りになってしまいますが、ご興味あればぜひお付き合いいただきたいと思います。作品だけ見たい方は目次から飛んでご覧ください。
ただし、〈着想を得た楽曲〉と〈おわりに〉ではsyrup16gの曲を紹介しておりますので、どうか飛ばさないでいただけると大変うれしいです。
それではごゆっくりお楽しみください。
〈作品〉
〈着想を得た楽曲〉
〈解説〉
作品のテーマと画材、2つの視点から解説します。
まずはタイトルについて。こちらは『ニセモノ』からそのまま、そして『宇宙遊泳』の“眩いものは全てまやかし”という歌詞から拝借しました。
なぜそのフレーズを引用したのか、テーマに選んだのか。少々長くなりますが、昨年のことを振り返ります。
個人的に2022年は「つらい、しんどい、苦しい」についてものすごく考えさせられた1年でした。そういう感情を自覚すること、誰かに聞いてもらうこと、ぶつけること、比べること、受け入れること、拒絶されること、……。
自分の苦しさを盾にとって他者を攻撃するようなトラブルが身の回りで実際に起きて、救いきれなかったこともありました。
人の痛みを「まるごと完璧に」理解するというのは、どうしたってできません。考えに考えて、やっとの思いで人にかけた言葉も、相手にとって薬になるのか傷になるのかは言ってみるまでわからないものです。
「最後まで救うつもりがないなら中途半端に励まされたくない」という気持ちも、「もし救えなくても黙って見ているより可能な限り手を差し伸べたい」という思いも、どっちも間違っていないじゃないですか。
“人のつらさに寄り添う”って、“自分のつらさを伝える”って、一体何が正解なんだろう、と。常々考えているつもりでしたが、昨年は特に悩まされたように思います。今もずっと考え続けています。
自分があまりにもしんどいとき、他人の抱えるしんどさに気づけなかったり、自分よりしんどくなさそうに見えてしまうことがあります。自分ばかりが後回しでいつまでも救済の順番が巡ってこないような、そんな感覚に陥って回りが見えなくなってしまった人もいます。
昨年の自分はむしろその逆でした。職場の人や友達、オンライン上で交流している方たち、皆それぞれにしんどさを抱えながら生きている日々について打ち明けてくれます。
それを聞くうちに、果たして自分の持つ痛みや苦しみは本物なのだろうか?と、ふと考えてしまったのです。比べようのないことを比べてしまい、悩み続けていました。
痛みや苦しみに、嘘も本当も、大も小もないと思います。トリアージという意味で比較する場合の、それとこれとは別です。
「人の痛みを理解する」というのは、その痛みの程度や内容を直に解ることではなく、「その人が痛い・苦しいと感じている事実をありのままに受け入れること」ではないのでしょうか。
それらを踏まえた上で、です。
私は、たった1個の傷をたった一言「痛い」と吐くのにさえ、聞かれてもいない過去の傷までさかのぼって説明したくなるほど「その程度でつらいだなんて」と誰かに言われるのを過剰に恐れ、怯えていました。
そうやって「結局なんとかなってしまう」ことへのどうしようもないコンプレックスが、長きに渡って私を形成してきたように思います。
それが良いとか悪いとかじゃなく、でも、ただその「どうしようもなさ」に寄り添ってくれるのが、今の私にとってのsyrup16gなんだと思います。
「わかっちゃいるけど、でも──」の「──」の部分を、この絵で少しでも受け止めてみたかったのかもしれません。結果、できなかったとしても。
タイトルやテーマについてはそんなところです。
続いて、画材や画法についてのお話をします。
このイメージアート展は個人的に、syrup16gへの愛やリスペクトを込めさえすれば(良い意味で)あとは本当になんでもよかったので、画材はそのときの気分で気楽に選びました。
画法と呼べるほどちゃんとしたことはしていませんが、派手な背景に対して人物は鉛筆で地味に仕上げるやり方は前回の展示「すきまのひとびと」から続いていますね。マイブームらしいです。
多めの水に絵の具をボタボタと滲ませるのはお気に入りのやり方です。たらし込み、ウェットオン(イン)ウェットなどというそうですが、これは自己流なので大目に見てやってください。
過去にどこかで「たとえば紫という独立した色ではなく、赤と青が混ざりあってできる名前のないあの色という意味での紫が好き」と話したことがありました。それです。
今回の作品でいうと「どうしようもなさ」とか、この痛みは本物?偽物?とぐるぐるしている感じとか、それが表せていたらいいなと思っていますがどうでしょう。
構図は『宇宙遊泳』の“爪先に合う三日月は無く”というフレーズから膨らませていきました。宇宙に引っ張られたのか所々きらきらを入れたくなったので、金色のボールペンで三日月を描いています。背景の仕上げにもパールの絵墨を使いました。
フレームの色はちょっと迷ったのですが、白でも黒でもない感じがこの絵には一番似合うかなと思ってあの色にしました。
あ、今思い出したけれど、そういえばお店でブルーだと思って手に取ったら包装にグレーと書かれていたんだっけ。それか逆だったかな。まあでも、大事なのは色の名前じゃなくて絵に似合うかどうかです。最後までモヤっとしているのが実に自分らしいと思います。
画材、画法の解説は以上です。
〈おわりに〉
結びにひとつ、ステマでも回し者でもなくただの一介のシロップファンとして、展示期間中にリリースされた最新アルバム『Les Misé blue』も一緒に聴いていただくことを全力でおすすめいたします。
こちらをもって、私のsyrup16gイメージアート展2nd「待ちぼうけの日々も」作品解説といたします。
最後までご覧いただきありがとうございました。
それではまた。
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