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好きな器に出会って閃いたこと(食育と器)

10年位前に「人間の仕事はAIの発達により減る、そして失業者が増える」という趣旨の話を耳にしました。2007年の野村総合研究所が出した記事によれば、10年から20年後には49%の職業がコンピューターに代替可能になると言われていましたね。
https://www.nri.com/-/media/Corporate/jp/Files/PDF/news/newsrelease/cc/2015/151202_1.pdf


2020年の現在のようすを見る限り、そのようなことにはならずに済みそうです。でも近い将来は事務系の仕事、組み立て、運転などの仕事はコンピューターによって代替可能になり、そして本当に代替するべきか真剣に議論されると思われます。
その後失業者が増えるかどうかはわかりません。新しい仕事も増えますので。ただ何となく、根拠はありませんが、失業者は増えるように思います。急にPCを使えと言われても「できません」と言わざるを得ない方たちもいるはずです。

まぁ未来のことは未来にならなければ分かりません(´・ω・)

人間の仕事がコンピューターに代替される、ということは最近の私が感じていることに比べたら、騒ぎ立てるほどのことではないのでは?と思います。


先日ある患者様を診た時のことです。その患者様の症状は「疲れがとれない、目眩がひどい、でも病院で検査しても異常なし」とのことです。20代後半の男性です。

食生活について質問してみると
 出勤時間ギリギリに起床(朝起きれない)
→ササっと身支度を整えて家を急いで出発
→途中のコンビニでおにぎりを二つ+お茶(またはレッ〇ブル)を買う
→職場まで移動しながら先ほど購入したものを食べる
→職場に到着、そして仕事をする
→昼食はコンビニで弁当を軽くすませ、その後は昼寝(寝ないと体が1日もたない)
→勤務終了、帰り道のスーパーで安い弁当(野菜を摂取するように心がける)+お茶(たまにビール)+お菓子など
→自宅で食事、食後すぐに寝落ちしたり、そのまま趣味の時間にしたり、勉強したり…
このパターンは1人暮らしの20~30歳代の方に多いように思います。稀に40歳代以上の方もいらっしゃいます。ミネラルどこで摂取るのだろう…お菓子かな?(´・ω・)
このようなパターンの人には「自炊しましょう」とアドバイスをします。いくら漢方で治ったとしても、同じ食生活をしていれば元の身体に戻ります。根本的な完治とは患者様の心持を変えることですので、なんとか自炊をしてほしいとこちらからお願いします。でも「時間がない」という返事をされる方もいます。
この食事に対して「時間がない」という言葉を聞くと思うのです。

もしかして人間が機械化している?

って。

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1800年代後半(だったと思う)食肉加工業者が世界で初めて「ライン生産方式」を導入しました。労働者が横にずらっと並び、各自の作業を黙々とこなし始めました。これにより、食肉加工のスピードはアップし、食肉の価格は下がります。大量に安く簡単に食べることが出来る時代の到来です。

食品加工のイノベーションの100年後にはオーブン、レンジ、冷蔵庫などの白物家電が家庭に普及して家事の負担が減りました。

家庭ではいつの間にか台所と応接間は1つとなり、リビングと呼ばれるようになりました。

早く食事を済ますために、ファストフードも登場しました。また、どんな不味い食材でも美味しくしてしまう魔法の液体”ケチャップ”が発明されました。

…バーガーキング美味しい…ᐠ( ᐛ )ᐟw

人間の自身の生産効率を高めようと努力した結果、食事は早く短くそして満腹感を得る為だけの事になったように思います。
もちろんこれらの出来事は悪いことではありません。しかし、食事について少し軽視しすぎているのでは、と思います。また、機械のようなシステマティックな生活は徐々に体を蝕んでいくようです。

人間が最優先することはお金を稼ぐことだったのでしょうか。
これらは本当に効率的なのでしょうか。

お金を効率よく稼ぐために食事の時間を削減した結果、病気が増えています。病気になれば稼いだお金も水泡に帰すでしょう。また重い病気になれば自由な選択はできなくなり、お金を使うことが出来なくなるかもしれません。安定した思考には、血糖値が安定した状態が必要です。早食いや単純な食物は血糖値の乱高下を招くと同時に集中力の低下やイライラを引き起こします。そんな集中力もなくイライラして思考もままならない人が効率よく仕事ができるでしょうか。

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太古の時代から現代までの食事について考えると、生命を維持する以上の役割があったと言えます。

食事は言語を発達させ神話を生み出し、権力の象徴になり、宗教に多大な影響を与え、工業の発展を促しました。そして食を通じて健康管理、会話能力、弱者への配慮、男女関係、異文化について、仕事、気候、人間以外の生物、命などについて学んできたはずです。

人類は、食事を通じて進化し学び、生きてきました。

どう考えても文明の中核を担う食事は、現在では効率を求めてお腹が膨れればOKの存在になりました。

これは進化のなでしょうか。または退化なのでしょうか。

どちらか分かりませんが、この社会の構造では致し方ないかもしれません。

しかし、人間の身体は正直です。先ほども述べたように機械のようなシステマティックな生活は徐々に体を蝕んでいきます。

それらを考えると、子供には元気でいて欲しい。だから食の大切さをしっかりと教えなければいけないと思いました。

私は三歳の息子と8か月の娘がいます。その子たちの健康を守るにはしっかりとした食事を教えなければと考えています。

とはいえ、食事が自身の健康を維持することであり、弔いである事を教えるのは非常に困難です。

最近医学に興味を持っている息子は「命」について初歩的な理解してきたように思います。もしも心臓が止まったら私たちに会えなくなるの?という事を訊ねてくることがちょこちょこあります。

でも、目の前にある食べ物が命であると理解はまだできません。好きなものを食べて嫌いなものを残すという行為に何の罪悪もありません(3歳なので仕方がないかもしれませんが)

うーん、こういう事はちゃんと教えないとな…
でもどうすれば楽しく美味しく食べてくれるのだろうか…
なんて事をホワンと思っていました。

かずと粘土

↑息子氏、粘土で遊ぶ


先日ある場所に陶器を見に行きました。もうかれこれ7年前…いやもっと前かもしれないのですが、ブラブラと当ての無い旅行をしている最中に、たまたま出くわした陶器市でたまたま手にしたコップがありました。

私は触ったものの感触を忘れないという変な特技があるのですが、そのコップの印象がまぁ強烈で、重くてゴツゴツして非常に独特なコップだったわけです。

見た目も何というか自然のランダム性をそのままコップにしてみました、というか、土がこの形に変容したがっていたのでこの形になりました、というか、人間が手を加えた感が極限までそぎ落としてあるような、コップが生き物のような感じがしました。

とにかく忘れられないので、東京にいる間に絶対に買いに行こうと決心していたのですが、わりと人見知りなので、何度も躊躇してやっと勇気を出して連絡して見にいったわけです。

そこで出会った窯の奥様、その場の雰囲気、器の説明等々、お話をしていてある事に気が付きました。

生産性を追い求めた食事はビニールに包まれているか、トレーに盛られています。でもしっかりとした食事は器に盛られている。

大発見(∩´∀`)∩

と思いました!!すごく単純化すれば

良い食べ物は器に盛りつけてあり、悪い食べ物はビニールかトレー

なんてことが言えるかも。いや、実際は悪い食べ物なんてないのですけどね。悪いのは人間です。

食育をするにあたり器は無視することが出来ない要素の一つであると確信しました。そして息子も自分が選んだ好きな器なら美味しく楽しく残さず食事をして、最終的には命について考えてくれるかもしれない。

これから器を買う時は息子自身に選んでもらい、好きになった器で食事をしてもらおうと思います。

そして昨今の人間が機械化している問題も、もし最高の器に出会えたのなら、すこし歯止めがかかるかもしれません。

皆さまが最高の器を手にすることで健康になるかもしれません。
食養生を頑張っている皆様、最高の器を探してみてください(:D)┓ペコ


おしまい。


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