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ADHD判定を食らってから、大体10年くらいになる

 私は20代前半くらいにADHDだねって診断されました。
 ネットで出来る簡易的なテストでなく、ちゃんとお医者さんにお前はADHDですって言われた。

 そもそもなんでADHDの診断を受けたのかというと、「私は人間じゃない」と思ったからだよ。
 当時は仕事が全然出来なくて、遅刻も寝坊もして、覚えも悪くて、ちょっと間違えると酷いパニックに陥って、社会のゴミと言っても差し支えなかった。「普通の人間」なら出来ることを、私は出来なかった。
 だから私は人間じゃないんだって、そうなったわけだ。

 そんで実際に発達障害です、あなたは普通ではありません。
 逆に私は安心したよね。「だから出来ないんだ」って言い訳が言えるって、誰が相手でも口先では言い訳にしませんって言ってたけどね。

 それでまぁ、薬をもらう。ADHDには一応だけど薬があって多少はマシになるかもねって薬がある。
 それを私はいろいろテキトーに試して飲んで、でも全然効果は無かった。仕事は出来ないし時間もルーズなまま、やる気も出ないし体調不良。
 これは想像つくと思うんだけど、通ってた医者が……まぁ、ちょっと、アレだったんだよ。

 ほんで20代後半になる。
 私は好きなイラストレーターさんが表紙を担当するのが確定していた小説の公募があるのを知って、四苦八苦しながら参加した。
 小さい頃から文章を書くのが好きだったし、これは運命かもしれないって本気で思って本気で書いた。
 当然ながら1次選考にすら通らず落ちたよ。
 だって応募したのは人生で初めて書く長編小説で、なのにプロットすら無いものだった。今思うとマジで舐めるなよと言いたいけど、いったん置いとくとしよう。
 私はいっちょ前に悔しくて悲しくて落ち込んで、お医者さんにツラいです体調ヤバいですと素直に伝えた。
 それで多分お医者さんには、こう言われたはず。
 ごめん覚えてないんだ。かなり嫌だったことは、特にそうなんだけど。

「その程度でツラいなら向いてない、辞めたら?」

 そんな一言で私は狂ってしまった。
 めちゃくちゃに泣いて叫んで筆を折った。二度と文章なんて書くもんか、文章なんて大嫌いだ。
 それからは大好きだった小説も読めなくなったし、好きだったイラストレーターさんの絵を見る度につらかった。
 更には受賞した作品を見て嫉妬に狂い、作者をブロックした。売れないでほしいと本気で思ったし呪った。我ながら怖すぎる。

 もちろんだけど、そのお医者さんには通わなくなって全てが悪化した。
 死にたい、死にたくない、生きたい、生きたくない、もしかしたらこの瞬間に誰かに殺されるかもしれない、乗ってる電車が爆発するかもしれない、家族が死ぬかもしれない、明日のことなんて考えたくない。
 日常のなんでもないもの全てに不安を抱えて、死にたいのに死ねない日が続いた。

 そんな時、心配してくれた数少ない友人がお世話になっているという別のお医者さんを紹介してくれた。
 そのお医者さんは友人が勧めてくれただけあって、良い人だった。
 改めてADHDのテストを受けて、改めてADHDですねと言われた。更には自閉症もあるって言われた。こりゃあ私ってば終わってんなと、でも私の発達障害は重度とまではいかないらしい。

 何よりも重症だったのが、うつ病だった。

 私はうつ病の薬と、ついでにADHDの薬、全く眠れていなかったから不眠症の薬も貰った。しばらく、数年間ちょっとずつ生きてた。うつ病が治まらんねって、薬を増やしたり変えたりしてた。
 するとある日、1個の薬がめちゃくちゃ体質と仲良しになった。
 やる気はぐんぐん満ち溢れて、アレもやろうコレもやろうって凄い勢いで元気になった。私はうつ病が治ったんだ、そう喜びに満ち溢れたわけですが。

 全ては元気の前借りというやつだった、体調はすぐに安定しなくなる。それはもう落ち込んだ、元気が、やる気が、出来ていたことが出来なくなった。無くなってしまった。
 生きてるだけで劣等感がまた出てきてしまった。とても悲しかったし、また悔しかった。

 でも最悪の時期よりかはずっとずっとマシだったから、出来ることをしようって思った。コレしたら? って言われたことを素直にすることにした。
 それが着飾ること。オシャレだった。
 まず髪を染めた、ずっと黒髪だったから初めて染めた。それから長かった髪を肩に当たるくらいのセミボブとか、そんくらいまでに切った。
 赤っぽい茶色の髪の自分はむず痒くて、美容院から出た時はかなり挙動不審だった記憶がある。でも帰り道で寿司を食った。美味しかった。

 それからは洋服を買ったり、アクセサリーを買ったりした。ちょっとでも似合う洋服を模索する日々。
 更におメイクまでした。今まで全然してこなかったのに。
 職場の人からキレイになったねと言われた。私はそこで少しだけ「人間」になれたなって、ようやく思うことが出来た。
 まぁ未だにまともな職につけてないし、金も無いけどね。

 ちょっとオシャレになって、ちょっと自信を持った私。
 そしたら、また大好きだった小説が読めるようになった。本を読んで悔しいとかツラいとか思わなくなって、ただ楽しいをやっと享受することが出来た。
 ADHDは相変わらずだけど、ぶっちゃけそれ自体はどうとでもなるって思った。自分でも少しは対策出来るし、こういう障害があるって相談が出来る環境に私はいられたから。

 私にとってはADHDの特性を何とかしようとか何とかしなきゃとか、そんなことすら思えなくなるうつ病の方がよっぽどヤバかった。
 私は最早うつ病がいつからだったかすらも思い出せないから沼ってるけど、うつ病になった原因が分かってる人は取り除くべきだと思う。簡単に出来たら苦労しない、それはそうだ。

 原因がADHDかもしれない? それはもう仕方ないから薬と一緒に生き続けていこう。
 私が今こうして何か書く元気があるのも薬のおかげだし、夜眠ることが出来るのも薬のおかげだ。無かったら未だに本も読めず何も書けず、死にたい死にたくないと自己矛盾の毎日だったかもしれない。

 私は薬と生きてくことを決めた。頼りになる先生と、自分の体と相性の良い薬を一生探しながら生きていく。
 もちろん減薬するに越したことはない。でも無理な人は無理、潔く諦めよう!
 そしたら、なんかこう、覚醒する日が来るかもしれない。
 だって「人間じゃなかった」私がこうして人間らしく生きてるんだからさ、なんとかなるなる。みんな一緒に生きようね。

#エッセイ部門
#創作大賞2023

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