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鬱屈オーケストラ(#シロクマ文芸部)

(本作は4,917文字、読了におよそ8〜12分ほどいただきます)



「走らない! 特にファースト! 何度言えば分かるんだ! 勝手にテンポを変えるな!」

 静まりかえった練習場に指揮者の野太い怒声が響き渡り、微かにティンパニに共鳴する。数日前より、エアコンの調子が芳しくなく、高温多湿になりがちな練習室は、オケメンバーの苛立ちが充満している。
 しかも、今回の客演指揮者は、河内というパワハラ気質の短気で悪名高い人物だ。オケに絶対的な服従を求め、少しでも気に入らないと火山の噴火の如く、怒り狂う。業界でも有名な「怖い指揮者」なのだ。
 また、くだらないことに異常に拘ることもあり、どうでもいいことを解明しようと試みる悪癖もある。要は、面倒臭い男だ。
「気持ちが昂ってテンポが走る、若しくは、難しい細かいパッセージだから、焦って走ってしまう、そう言い訳したいヤツはいるか? いたら手をあげろ」
 指揮者の問い掛けに、団員は黙り込む。ここでの挙手は、地獄を見る予感がしたのだ。
「いないんだな? 当然だな。お前らはプロだもんな? もしいたら、追い出してやろうと思ってた。じゃあ、何故この部分、何度言っても走るんだ? おい、お前、答えてみろ」
 ファーストヴァイオリンの第二プルト外側に座る橋爪は、指揮者に指名され、チェッ、とバレないように小さく舌打ちした。



 誰だよ、めんどくせぇ指揮者を呼んだヤツは……何で俺が個人攻撃されないといけないんだ?
 しかし、即答しないと、コイツはブチ切れるだろうな。何て言い訳すりゃいいんだ? 考えろ、時間はねぇぞ。
「気持ちの昂り」と「焦り」は却下されちまったもんな。一番手軽な言い訳を封じ込めやがって、ホント嫌なヤツ。他の言い訳を考えないといけないじゃないか。

「ファーストヴァイオリン全体で、少し走ってしまっているのは感じました。ただ、皆んなが絶対的に信頼しているコンマスの吉村君が、意図的にテンポアップを図っているようにも感じたので、ファースト全体が瞬時に意思統一した結果だと思います。おそらく、セカンドもそれに倣ったのでしょう」
 どうだ? 吉村のヤツ、焦ってるんじゃないか?
 大体、アイツはコンマスになってから調子乗り過ぎなんだよな。歳下のクセに、俺のことも見下しやがって。それに、ヴァイオリン全体が咎められてんだからよ、コンマスなら率先して発言しろって話だよ。



「吉村、お前、俺のタクトを無視して、わざとテンポアップしたのか?」

 橋爪さん、どうしてあんなこと言ったのだろう? ファーストの仲間として、先輩として、橋爪さんのことは尊敬しているし一目置いていたつもりなのに……でも、元はと言えば、橋爪さんが指名された時に、僕が真っ先に庇わないといけなかったんだ。そうか、橋爪さんは、そういうリーダーシップの在り方を教えてくれようとしているんだ。
 僕はコンマス以前に、ヴァイオリンのリーダーなんだ。オケ全体もそうだが、今はヴァイオリンのメンバーを守らないといけない。

「そんなつもりはありません。先生が創ろうとする素晴らしい音楽に、僕たちが意見するようなことはいたしません。でも、だからこそ、少しだけ、テンポアップを意識はしました」
「どういうことだ?」
「あの場面、明らかにチェロが遅れそうな感じでした。それだと先生の音楽にならない、先生の解釈に傷を付けてしまうと思い、チェロにテンポの維持を促すつもりでした。ヴァイオリンのメンバーは反応してくれたのですが、チェロには届きませんでした。結果的に、ヴァイオリンが走ったような形になりましたが、彼等の責任ではありません。私とチェロの責任です。申し訳ありません」
 これでどうだろう? さりげなく指揮者を讃えつつ、責任をチェロになすりつけてみたんだけど、あのチェロのおばさん、怒ったかな?



「松岡さん、コンマスはああ言ってるけど、ホントなのか?」

 もう、吉村君は一体何考えてるのかしら? チェロに責任転嫁するなんて、最低なクズ男だったのね。あんな小僧に熱上げてたなんて、ホント馬鹿みたい。
 コンマスのクセに、オケ全体じゃなく、ヴァイオリンだけを守ることにしたのね。所詮は若造ってことか。だから、私は吉村君のコンマスには反対だったの。性格はアレだけど、橋爪君あたりにしておいた方が上手く回るのに。
 確か、強硬に吉村君をコンマスに推したのは、弦より管の人達だよね。責任取ってもらわないと。

「チェロが遅れたですって? そんなことないと思いますけど? もしそうだとしたら、明らかに木管のせいじゃないかしら? スコア見れば明らかでしょ? この部分、八分音符で動いてるのは木管アンサンブルですよ? チェロは木管に合わせて四分音符で刻んでいます。強いて言えば、木管が走る傾向があるので、無意識に落ち着かせようとする気持ちが働いたかもしれませんが、遅れてはないはずです」



「柚木、木管の代表としてお前に聞きたい。お前らの八分音符が走るって話だが、どうなんだ?」

 何よ、あのおばさん! いつも問題が起きると木管のせいにするよね。私が若いから、馬鹿にしてるの? それとも、ヤキモチ? そうね、ヤキモチよ! コンマスに相手にしてもらえないから、私が彼にデートに誘われていること、根に持ってるんだわ。
 でもね、私は吉村君には興味ないの。トランペットの鈴木君狙いよ。なのに、アイツ、ホルンの伊東さんに気があるみたいね。ムカつくはね、あの女!

「木管は金管に合わせるのが基本です。そして、木管と金管を繋ぐのは、ホルンではないでしょうか? はっきり言いまして、ホルンのテンポはいつも不安定なので、もし木管にテンポのズレがあるとすれば、金管、或いはジョイント役のホルンにあるのだと思います」



「伊東、ホルンの繋ぎが原因らしいぞ」

 柚木さん、またヒステリー? 今日はアノ日なのかしら? それとも鈴木君に振られちゃったかな? お気の毒に。鈴木君はね、もうずっと私の部屋で寝泊まりしてるわよ。半同棲ってやつね。ごめんね、彼は貴女みたいなブスに興味ないわ。
 で、何? ホルンのせいだって? アホくさ。もうね、テンポのことはティンパニに振っておけばいいのに。皆んな馬鹿なの? それに、パーカッションの連中、鬱陶しいのよね。特に、リーダーの中田! 最年長で団員長で、指揮の河内より歳上なんだから、黙ってないで責任取ればいいじゃん!

「馬鹿馬鹿しいわね。金管はここではリズムセッションですよ? ティンパニの頭打ちに合わせて、和音をタンギングしてるだけです。単純に、ティンパニが走り気味だったのではないでしょうか? それに、ホルンの繋ぎですって? この部分で? 何言ってるの? って話ですね。スコア読めないのかしら」



「中田さん、確かにテンポの全責任は打楽器にあるかもですな。で、どうなんです? テンポはブレてないですか?」

 やれやれ、最後はやっぱり俺のせいになるんか。コンマスも管の連中も、逃げてばかりでどうすんだ。すぐ人のせいにして自己保身に走って……この団、このままだとダメになるな。
 よし、ではちょっと、俺が率先して河内に逆らってみましょうか。

「河内先生よ。テンポが何だって言うんだ? 弦が走った? 気のせいじゃないか? ここで聞いてる限り、テンポは全く乱れてなかったぞ」
「いやいや、中田さん、私が何年指揮振ってると思ってるんです? 歳上だからって、舐めたこと言うもんじゃないですよ」
「それを言うなら、俺が何年リズム刻んでるか分かるか? 確かに、指揮者ほどの耳はないけどよ、リズム感は負けませんよ。間違いなく、インテンポで通しました」

「でも、伊東さんはティンパニが走るって言ってたじゃないですか? どうなんだ、伊東さんよ?」
「私は、オーボエの馬鹿女が私のせいにしようとしたから、アホくさくて中田さんに治めてもらおうと思ったまでです」
「はぁ、誰が馬鹿女ですって? この男タラシが!」
「男タラシって何よ?」
「知ってるわよ。いつも鈴木君に色目使って、甘えた声出して、気持ち悪いんですけど?」
「貴女に関係ないでしょ? 鈴木君と私はね、今は一緒に住んでるの! 恋人に甘えて悪い? 貴女こそ、人の恋人に色目使わないでくれる?」
「ウソつかないで! 鈴木君が……そんなはずない……」
「残念でしたね。本当の話よ。何なら彼に聞いてごらんなさい」

「口喧嘩は他所でやってくれ! 柚木は伊東のホルンの繋ぎが悪いって言ってたよな?」
「あんなの嘘です。このヤリマン女がムカつくので、コイツのせいにしてやろうと思っただけです。それに、チェロのおばさんが木管がどうのこうのって言い出したんですけど、あのババァ、いつも管のせいにするんです」
「誰がババァですって? 信じられない。最近の若い子は、年長者を敬う気持ちもないのかしら?」
「どうして敬う必要があるの? 自己中で若さを妬んでるだけのババァじゃん! 吉村君に構ってもらえないから、ヤキモチ妬いてるんでしょ? いい歳こいて、恥ずかしいおばさんね!」
「貴女、言いたいことはそれだけ? 立場わきまえなさいよ。ババァはね、伊達に長生きしてるんじゃないわ。貴女、仕事失いたい? 私に楯突くってどういうことか分からせてあげましょうか?」
「脅しですか? 沢山の人が聞いてる前で、恥ずかしくないんですか?」
「いいえ、脅しじゃなくて、予言よ? たまたまヽヽヽヽ、貴女は仕事を失うかもしれませんねって話。予想でもいいわ。お気を付けてね」

「ところで、松岡さん、貴女は木管の八分音符が走るって言ってましたよね?」
「あぁ、アレね、あんなのはウソ。能力不足のコンマスが、チェロの責任にしたからね、あの若造をコンマスに推した管の皆さんに責任取ってもらおうと思ったまでですわ」
「松岡さん、確かに貴女から見ると、僕は若造に過ぎないことは否定しません。ただ、団員全員で決まったコンマスでもあります。能力不足は言い過ぎではないでしょうか? 訂正を求めます」
「あらあら、偉そうな口を利くのね。コンマスってね、別に偉いわけでも上手いわけでもないのよ?」
「お食事のお誘いを断ったこと、まだ根に持っているのですか?」
「まぁ、とんでもない勘違い野郎なのね! ビックリだわ。貴方みたいな若造なんて、興味ないわよ?」
「でも、しつこく誘ってきましたよね? 全部お断りしましたけど」
「そんな話、今は関係ないでしょ? 貴方はコンマスのクセにヴァイオリンだけを庇って、チェロに責任転嫁したわよね? なんて情けないコンマスなの! 度量もリーダーシップ性も何もないじゃない。器じゃないのよ! だから、私は反対したのに。そもそも、ヴァイオリンが走ったというご指摘なのよ?」

「そう言えば、元はと言えば、橋爪君がコンマスがテンポアップしようとしていたので、それに合わせたって言ってたよな? 橋爪君、どうなんだ?」
「俺はさ、テンポなんか意識してねぇよ。指揮を見て合わせてるつもりだ。コンマスのせいにしたのは、アイツ、ちょっと調子乗ってやがるから、コンマスならコンマスらしく話をおさめてみろよ、って思っただけだ」
「つまり、君は私に聞かれた時、本当はテンポアップなんてしてないと思ってたんだな?」
「あぁ、そうだよ。あのさ、河内先生よ、アンタ、評判悪いよ? すぐキレるし、ごちゃごちゃうるさいし、思い込みとか勘違い多いし、間違いは認めないだろ? めんどくさくてよ、適当に言い訳探したんだ。悪かったな。で、俺がやめればいいんだろ? こんなオケ、未練なんかねぇよ」
「いや、君が辞める必要はない。つまり、勝手にテンポアップしたように感じたのは、私の勘違いなんだな?」
「多分、皆んなそう思ってるよ」
「そうか……テンポアップはしてないけど、みんなをヒートアップさせてしまったってことか」
「ふん、笑えねぇよ」

「じゃ、二楽章、最初から通すぞ。柚木、オーボエのアーの音をくれ」
「え? 嫌ですけど?」


(了)

#シロクマ文芸部 久しぶりにパスティーシュっぽい作品を書いてみました。



オーケストラの話は、過去にも書きました。
よろしければ、合わせてお楽しみください。