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言語学を学ぶ⑨過剰修正(hypercorrection)

(1) はじめに

 シリーズ「言語学を学ぶ」。今回は第9回目。
 第1回目から第8回目までは、主に著名な言語学者を紹介してきたが、専門性が強く、読みにくい記事だったかもしれない。
 今回は身近な言語学の話題を取り上げる。言語学の専門用語でいうところの「過剰修正」について考える。


(2) 過剰修正(hypercorrection)とは何か?

 過剰修正(hypercorrection、過剰矯正、過剰訂正ともいう)とは何か?具体例はあとで挙げるが、一応ちゃんとした定義を最初に書いておく。


hypercorrection(過剰矯正)

威信(PRESTIGE)をもつ言語形式を念頭に過度に一般化すること。非標準変種の話者が標準変種を話す際に、その差異を埋めようと、標準変種の発音を強調しすぎたり、文法を拡張しすぎたりする。例えば、下流中産階級の話者が上流中産階級の話者より/r/の発音を過剰に矯正した事例がある(Labov(1972))。

「最新 英語学・言語学用語辞典」
[監修]中野弘三・服部義弘・
小野隆啓・西原哲雄
開拓社、2015、p286

 過剰修正(過剰訂正)をちゃんと定義すると、今引用したような説明になるが、簡単にいうと、「言葉の間違いや文法の間違いを指摘されたとき、本来正しくて直す必要のないことまで『訂正』してしまうこと」をいう。


(3)具体例
ら抜き言葉、さ入れ言葉

 「ら抜き言葉」については、以前記事にしたことがある。

 「食べることができる」という意味の「食べられる」を「食べれる」と言ったり、「見ることができる」という意味の「見られる」を「見れる」と言ったりすることを「ら抜き言葉」という。
 (私自身は「ら抜き言葉」にさほど違和感を持たないが)「ら抜き言葉」を間違いだと指摘された人が、文法に気をつけ過ぎるようになって、「さ入れ言葉」を使うようになったら、それは「過剰修正」になる。

 「さ入れ言葉」とは、「せる」だけ良いのに、「させる」というように、不要な「さ」を「入れて」しまうことを指す。

 「やらせていただきます」でいいのに、「やら"  さ  "せていただきます」と言ったり、「歌わせていただきます」でいいのに、「歌わ"  さ  "せていただきます」と言うようになったら、それは「過剰修正」である。

⚠️余談だが、「やらせていただきます」という文法的には正しい言葉も私はキライ。単に「やります」でいいではないか?、と思ってしまう。
歌うのだって「歌います」でいいんじゃないか?、なんて思ってしまう。
「やらせていただきます」も「やらさせていただきます」も、「過剰な謙虚さ」を装っていうようで、気持ち悪い。

どう思いますか?


(4)具体例
「ヴ」(V)か「ブ」(B)か?

 過剰修正の例は他にもある。
 黒田龍之助先生の「ことばは変わる」(白水社、2011年)には、次のような例が掲載されている。

わたしはあるとき、古本屋で見た戦前の世界史の本で、驚くべき表記を見つけた。
「ヴァルカン」
怪獣の名前かと思った。BalkanはBなのだから「ヴァ」になることは考えられない。これも「誤れる回帰」の例である。

黒田龍之助(著)
「ことばは変わる  はじめての比較言語学」
白水社、2011年、pp.165-166

 日本語では、「ヴァ」も「バ」も区別しない。だから、わたしはすべて「バ」に統一してもいいかな、と思っている。
 しかし、あえて区別したいのならば、英語の「V」は「ヴァ」、「B」は「バ」と書かなければおかしい。


(5)むすび

 今回は、hypercorrectionという言語学の専門用語をとりあげた。
 「だから、なに?」と思われた方もいたかもしれない。私もそう思わないでもない😄。
 しかし、言語学の専門用語を学ぶと、「普段うまく説明ができなかった」モヤモヤした言語現象にちゃんと「専門用語」があるんだ!、と思えて、少し落ち着いた気分になるのです。
 「過剰修正」「ハイパーコレクション」という言葉を知ると、他にもこの言葉で説明できることがあるのではないか?、という楽しみが増える。そんな気がする。

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