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同じところを答え合わせ的に探すだけだともったいないな

「同じところ」を答え合わせ的に探すだけだともったいないな

柴崎友香


 今朝の「折々のことば」(鷲田清一)。

 はじめて人と出会ったとき、同じ出身だったり、趣味が同じだったり、考え方が同じだったりすると、親近感を覚えることがある。まったく自分と違うところを持つ人より、自分と同じところを持つ人に人はひきつけられやすい。

 友だちや恋人になるような人と親しくなるきっかけは、何かを共有しているという感覚に依るところが大きい。

 しかし、しばらく交流をつづけていると、相手と自分との違うところが気になり出す。
 共感できることが多ければ「相性が良い」と考え、共感できないことが多ければ「相性が悪い」という。


 出会った初期の頃は「同じところ探し」をするが、しばらくすると分岐点に到達する。

 「同じところ探し」に狂奔して、もっと共通点を見出だそうとする人。
 「違うところ探し」をして、もっと理解を深めたいと思う人。

 前者の場合、相手の相違点を見つけると、初期の頃に抱いた「同じところ」さえ忘れて、「あの人とは相性が悪い」「話にならない」「正論はわかりました」「無理に付き合う必要はない」と言って袂を分かとうとする。

 後者の場合、「この人にはこんな面があるのかぁ」「自分にはない価値観と出会えた」「同じところが多いのに、なぜこの点では意見に隔たりがあるのだろう?」とさらに連帯感を生みやすい。


 同じところを見つけるのは嬉しいものだが、違うところを見つけたとき、「あの人とは相性が悪い」と言って斬り捨てたいと思うのか、それとも「分からないけど分かりたい」と思えるのか。
 
 「相性が良い」というのは、共通点が多いことではなく、相手に自分と違う価値観を見出だしたとき、「分かろうとする気持ち」を持てるのかどうかにかかっている。

 あなたの疑問を相手に投げ掛け、それに相手が懸命に応えようとし、また逆に相手があなたに疑問を投げ掛け、それにあなたが懸命に応えようとするならば、あなたとその相手との相性はいい。疲れることもあるけどね。

同じところを答え合わせ的に探すだけだともったいないな」。

 「答え合わせ」というのは、自分が考えた通りのことを相手が考えていたかどうか確かめる行為だが、相手は相手で、本心を隠し、あなたの望む答えをあなたに言っているだけかもしれない。そういう言葉を聞いて「私と同じだ!」「相性が良い」と快哉をあげるのは幼稚な考え方だ。

 誰にでも、共通点もあれば相違点もある。共通点が多ければ多いほど良いわけではなく、相違点が多ければ多いほど悪いとも限らない。
 分かりたい気持ちを持てるか、分かりたくないという気持ちになってしまうのか。それが相性の良さ・悪さなのだろう。
 

 

記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします