見出し画像

エッセイ | ChatGPT

 ChatGPTという言葉を聞かない日はない。そもそもGPTって何の略だろうと思って調べた。

 GPTとは、Generative Pre-trained Transformer の略で、「生成可能な事前学習済み変換器」を意味する。

 朝日新聞(2023/4/11)に「人のように答えるAI」という記事が載っていた。

 「チャットGPTとはどのような仕組みで、何が人間並みにできますか、限界は何ですか」という質問に対して、チャットGPT、精神科医の春日武彦さん、哲学研究者の八幡さくらさんの三人?(二人?)が答える。

 三者とも読み比べた。チャットGPTの文章を最初に読んだが、小論文というか教科書の記述のようだが、とくに不自然さはなかった。入試の小論文として模範解答だろう。少なくとも合格レベル以上だと思った。
 しかし、やはり春日さん、八幡さんの文章のほうがイキイキしている。少なくとも私はそう思った。


 今のところ、人間の文章に軍配があがると思うが、改良されていけば、限りなく人間の文章に近づき、そして凌駕していくようになるだろう。しかし、文章を書くことそれ自体は、大したことではないように思う。

 私の興味は、ChatGPTを含めてAIが、既存のものではなく、今までにない新たなモノや概念を作り出すことができるかどうかということにある。

 アナウンサーのような仕事、工場内での単純作業、書類作成などの事務的な仕事はAIにとって代わられても仕方ない。それでいいとすら思う。


 もう何年も前から、チェスや将棋というゲームにおいて、人間がAIに負けるというニュースを聞いている。感情がなく、動揺もしないAIに対して負けても、それは当然だろう。
 しかし、まだ人間は負けていない。囲碁や将棋のような「ゲーム」それ自体を作り出したのは人間だ。
 人間が理解できるくらいの単純で、しかも、勝ち負けの行方のわからないようなゲームそのものを作り出すことができるようになったら。。。
 それでも人間が不必要だとならないとすれば、いったい何が残っていくのだろうということは興味深い。AIにまったく新しい哲学を樹立するときは来るだろうか?



記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします