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#期待しない 期待されない

 だいぶ前に読んだ記事だけれども、
#この記事に救われた 」という言葉を聞いてすぐに思い出したのは、かっちーさんの記事でした。

 それほど長くない記事なので、未読の方はぜひ一度読んでほしいのですが、「『期待しない』のは、『信じない』とはちがう』」ということをおっしゃっています。


 ここからは私の蛇足ですが、例えば、私が誰かから過去に耐え難い苦痛を受けたとしましょう。

 おそらく私は、相手に対して、「私が思う事実を認めること」や「謝罪すること」を求めるでしょう。

 けれども、おそらく私は、相手が謝罪したとしても、「もっと心からの謝罪」をしてほしいと求めてしまう。期待してしまう。
 相手が全面的に認めたとしても、「なんであの時に認めてくれなかったの?」と問い詰めてしまうだろう。

 それは心の中で、相手を軽蔑しつつも、「話せば分かるはずだ」と心の深いところでは相手を信じているからにほかなりません。相手を憎みながらも、相手に期待しているんです。

 もしも私が逆の立場だったら、相手の怒りを真正面から受け止めて、「心からの謝罪」なんて言える自信はありません。せいぜい「悪かったなぁ」と思う程度でしょう。口に出していう自信すらありません。

 人間はそんなに強くない。頭で分かっていても、出てくる態度が違うなんてことはザラにあります。
 怒りながら泣くこともあるし、笑いながら泣くこともある。

 相手に期待し過ぎること。
 相手に期待され過ぎること。
 どちらも期待なんか捨ててしまえば、もっと楽になれるはずなんですけどね。


 花咲ありすさんの記事で、たろじいさんの企画のことを知りました。
 素敵な企画をありがとうございます。



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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします