6-7月 観たもの・読んだもの

6月に現場が終わって、次の仕事を入れずにいる。勉強しながら本とか読みながら、仕事も探しながら何かしないといけない。

劇団普通『風景』(演劇)
@三鷹市芸術文化センター 星のホール
追いかけている劇団の一つ。また青柳さんが出ていた。今回、出演者が多くて、親戚の集まりで集合する人数も多かったし、3つくらいの家族のシーンがそれぞれあったので、少し長くて途中眠ってしまった。内容は詳しく覚えていないけど、法事か何かで集まった親戚たちの話だった。青柳さんて、どこの親戚の集まりにも居そうだし、居てほしいと思ってしまう。いやむしろ、青柳さんの居るところがどこでも親戚の集まりめいてしまうのかもしれない。勝手なこと言ってすみません。

紙魚『NORA 〜人形の家』(演劇)
@王子スタジオ1
「近代演劇の父」ことヘンリック・イプセンの代表作。予習して行ったほうがたのしめるかなと思い文庫本を買ったが、結局当日の電車の中で第一幕だけ読んでの観劇となった。そうしたら、第三幕でお話の展開が180度ひっくり返って衝撃的でたのしかったので読んでなくてよかったかもしれない。
さっきまた、思い返すためにもう一度戯曲を読み返してみたが、面白くて最後まで読んでしまった。第一幕では、金遣いの激しく、社会経験のない若妻であるノラが天真爛漫に、いささか情緒不安定気味に振る舞うさまが描かれて、いわゆる「ヒステリー娘」のような様相を呈すのだが、第二幕では複数の人物が絡むサスペンスの展開に重心が置かれ、第三幕の後半に至ると、彼女は人が変わったように冷静に夫と向かい合って対話し、家父長制の呪いを淡々と暴き立てるのだ。
上演を観ながら、これは本当に1879年に書かれた戯曲なのかと思われた。(でもそれは、自分の中でシェイクスピア〜現代演劇の間の知識がすっぽり抜けてしまっているためなのだが。)王族・貴族は出てこないし、デフォルメされたキャラクターもいない。物語の展開はタイトで、台詞の端々に労働や経済社会、世間体、家庭などの今日的なテーマが窺える。第三幕後半のノラとヘルメルの会話に至っては、交わされる言葉や反応がフェミニズム的にきわめてラディカルなやりとりの連続で、ひとりの人間が家父長制の呪いから目醒める瞬間が鮮やかに描かれており、設定を現代としても何度もはっとさせられるシーンである。上演ではノラ役を男性、クログスタット役を女性の俳優が演じており、また医学士ランクの役は声による出演だった。ランクの役を声のみにしたのはとくに効果的とは思えず座組みの人数的な都合があったのかもしれないが、ノラとクログスタット、ヘルメルとリンネ夫人はそれぞれ気になるところもなく上手に演じられていた。4人だけであの密度を立ち上げられるのは凄いのではないかと思う。紙魚は今回初めて観たが、取り上げる戯曲も面白そうだし、今後も観ていきたい。
改めて読み返して思うのだが、この戯曲はとんでもなく面白い。リンネ夫人とクログスタットのスピンオフとかもみてみたい。

三宅唱監督特集 @早稲田松竹
三宅監督はどんな映画を撮る人なのかまだピンと来ていなかった。公開当時に観た『君の鳥はうたえる』(2018)はそれなりに面白かったと思うのだが、さらっとした印象で深く思い入れの残る映画ではなかった。同じ年に観た『ワイルドツアー』(2018)にはなんだか戸惑ってしまうほどキュンとさせられた。去年の末に観た『ケイコ 目を澄ませて』(2022)はすごく元気が湧いてくる映画だった。しかし今回、初めて観た『Playback』(2012)が衝撃的に良く、次の日もう一度観て、この監督の映画に夢中になってしまった。『ワイルドツアー』ももう一度観て、やはり身悶えながらずるい映画だと思った。三宅さんの映画は、本人も使っている言葉だが「かっこいい」映画なのだということがひとまず間違いないし、多分これから重ねるフィルモグラフィーもずっとかっこいいんだろう。このかっこよさだ。映画はかっこいいものなんだ——。

金沢(旅行)
金沢に初めて行った。主に市内の中心部でいろいろ訪ねるうちに地理的な情報を把握していったのだが、金沢市は犀川と浅野川という2つの川に挟まれていて、ちょうど真ん中に金沢城公園がある。
泊まったホテルのある通りを歩いていると、ときどき生い茂った緑や石垣が見えて、自然とそちらへ足を運ぶ。金沢城公園は周りよりも高いところにあって、桟橋で道路を越えて中へ入る。平日というのもあるのか人はまばらに歩いている。中に入ると観光名所然としていなくて、入場料もないし、まさに公園のように人々は自由にゆっくり過ごしている。すり鉢状の立派な庭園を通過して、さらに奥に坂道が続いている。キャプションによれば金沢城は石垣の博物館のようなところらしい。積み方や石の種類にもいろいろあって、中には鑑賞するために設られたという石垣があった。たしかに、直線的で大きな石が縦に横にダイナミックに積み上げられた石の壁はかっこいいと思った。道の途中にある立て看板の地図で、公園の全体像を徐々に把握していく。一番大きな建物は五十軒長屋という倉庫なんだそうだ。お城の建物は皆、度重なる火災で消失しており、その五十軒長屋も平成13年に再建されたものだ。確かに妙に綺麗で、どことなく嘘っぽい外観にも見える。だけど中に入ってみると、梁の組み方や壁の塗り方まで、当時のものを忠実に再現しようと丁寧に建築されたことが展示されていて感心した。また、前田利家入城後の初期から城の中心であった二の丸が現在再建中で、白い囲いに覆われ、隙間からは土嚢や手押し車が並んでいる様子が見えた。その囲いに貼られたキャプションには、金沢城が明治に入り陸軍の管理地となり、その後昭和24年に金沢大学の土地になった経緯の説明があり、二ノ丸跡地の地面にはかつてそれぞれ別の建物であった形跡が確認されると書いてあった。金沢城公園の広場を歩いていると、かつてそこを闊歩していた武士たち、隊列を組んで訓練していた歩兵隊員たち、芝生に寝転がってだべっている大学生たちが重なって思い浮かべられた。
金沢という町は、かつてこの金沢城を中心に、堀や川に囲まれた城下町を構成し、利家から14代も続く前田家の時代に様々な文化が栄えたのだ。そして今では金沢21世紀美術館をはじめとする現代のアートカルチャーも集積し、古いものと新しいものが重なり合う豊かな文化を有している。大通りから一本脇道に逸れれば、九谷焼や金箔、加賀友禅を扱うギャラリーや武家屋敷通り、寺院などがあり、兼六園から森を抜ければ、近現代の有名建築が立ち並ぶエリアがある。休館日だった鈴木大拙館の脇のベンチに腰掛けて、芝刈り機の音と鳥のさえずりをBGMに、細かく揺れる水面と柳の木をぼんやりと眺めている時間はとても贅沢だった。
浅野川を越えてひがし茶屋街へ向かう手前に泉鏡花記念館がある。生家跡に立つこの場所で、作家の足跡を辿る展示と直筆の原稿を見たのち、浅野川大橋から視線を山の方角へ向けて、鏡花の小説のような幻想的なイメージを重ねてみる。ひがし茶屋街では江戸時代の造りをそのまま残した志摩というお茶屋を見学した。細部まで洒脱な装飾が施された狭い座敷に立ち、粋の精神に思いを馳せる。翌日は犀川を越えて室生犀星記念館へ足を運んだ。犀星が著した膨大な詩作、その丸みを帯びた筆跡をじっくりと眺めて、目に映るものはみな詩に詠んでいたかのような純粋な詩人の呼吸というものを体感した。宿泊客の少ないカプセルホテルから、毎日違う方角へ歩いて出掛け、金沢城公園の石垣を横目にまた戻ってくる。このまちの中心には城の跡があるのがいいのだと思った。文化や伝統というものがたんなるスローガンではなく、しっかりと景観や人に馴染んでいて、台地と2本の川という地形的条件がそれを緩やかに支えている。

「アレックス・ダ・コルテ 新鮮な地獄」展(金沢21世紀美術館)
ヴェネズエラ系アメリカ人アーティスト、アレックス・ダ・コルテのアジア初個展。アメリカのポップカルチャーや美術史などを参照しながら、自身が本格的な衣装やメイクを施し、画面上で演ずるスタイルの映像作品がたくさん展示されていた。アメリカのポップカルチャーにも美術史にも詳しくないので文脈的な鑑賞はできなかったが、映像の中でスローモーションで動くアーティスト本人や出演者の、身体や顔の筋肉の細かい「演技」につい足を止めて見入ってしまった。
例えば、《開かれた窓》(2018)という映像作品は、アメリカのヤングアダルト向けの人気ホラー小説『フィアー・ストリート』の表紙のイラストから着想された。画面中央の猫を抱えた女性による恐怖の表情をスローモーションで再生しながら、その手間に重なるレイヤーではCGで描かれたカラフルなプールボールによるビリヤードがプレイされる。ボールのイラストはハロウィンの仮装用コンタクトレンズのカタログに由来しているらしい。
ダ・コルテの映像作品は、ポップでカラフルな擬態とアメリカ大衆文化や美術史のサンプリングが特徴的だが、画面内の人物の表情や音楽の作用によってエモーションを湛えているのが奇妙だと思う。またそれらの多くがスローモーションで再生されることによって、参照元に紐づく鑑賞者の記憶と画面から感得されるエモーションを剥離させ、ヴィヴィッドに彩られた仮想のイメージ世界を異化し、反省させるような時間に巻き込んでいく。イメージとして固定化し、商品化してしまったキャラクターやシンボルの世界に擬態し入り込むことが、作家独自が対象を理解しようとする身体的衝動と結びついているのだろう。
日本だったらなんだろう。サザエさん、ドラえもん、ちびまる子ちゃん、ジブリ?、ジャンプ?、ジャニーズ?、AKB? 美術史だったら浮世絵とか? アプローチとしては面白そう。漫画原作の実写化について考えていることにもつながってくるなー。
参考:https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/alex-da-corte-review-202306

「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容
―瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄(富山県美術館)
ダダイズムに興味出た。
瀧口修造の著作も読んでみたい。
大辻清司の物撮りが良かった。
牛腸茂雄の短編映画が良かった。
キノコヤでアヴァンギャルドムーヴィーも観た。

きっとあの人は眠っているんだよ

『また点滅に戻るだけ』
カウンター説得力?

かぞかぞ
大九監督はラブリーでユーモラスである。

マティス展
癒された。

アンティゴネー
ポリスを優先するかオイコスを優先するかという政治的ジレンマをアテネの市民たちが楽しんでいたようで、かなり成熟した文化なんだと思った。
現代から見直すときに、生—権力に取り込まれ、テクノロジーの発達が拍車をかけることでますます曖昧になる「死」という概念/出来事を取り戻す身振りとしてのアンティゴネー。

NTLive『オセロー』
オセローの嫉妬。イアーゴーの悪。
夫の同僚を辞めさせないように妻が夫に頼む、というのは『人形の家』にもあったな。

勉強の哲学
自分の課題を見つけられるか。

千葉ルー
この人すごい本読んでる。

シャブロル
なんて面白い無駄のないサスペンスなんだ。

『怪物』
三幕構成の失敗。プロデューサーしっかり!

ストローブ=ユイレ『シチリア!』
こういうのもありなんだ。他のも観てみたい。

黒沢清
この人映画オタク。
東京って映画に向かないんだろうか、どうなんだろうか。
ドラマ。

オフィスマウンテン『ホールドミーおよしお』
横田さん好き。

ダダルズ『ダダルズ袋 7月号』
この人ほんとすごい。
ビート?

スヌーヌー『長い時間のはじまり』
演劇っていいな。
『路上』を見直す。

セツコの豪遊『授業』
演劇はよい!


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