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レックスGSR

 白い、スバルレックスを持っている。スバル360のなれの果てだ。「王様」という意味らしいが、ギタリストの王様とは関係ない。王様のほうが歳上だ。昔、代ゼミの大西の化学で、先生が何かの化学反応を例えて、「スバルにポルシェが追いつき・・」と言っていたが誰にも通じていなかった。当時の年配者にとっての「スバル」は「スバル360」であった。そもそも「スバル」は車名である。日本語のくせに国内でもアルファベット表記の「SUBARU」は過大評価され人気沸騰中だが、その前の「富士重工業」時代の製品である。

 グレードはGSRで、スポーツ系の最上級車だ。スバル軽スポーツの中で、ヴィヴィオRX-RA(クロスミッション)と同じくらい希少だ。ただ、希少でも価値は低い。しょせんスバルである。

ミラーとフォグランプのセットがGSRの証(どうでもいい)

クルマの紹介

 簡単にクルマの紹介をしてみよう。

 この車は、排ガス規制でバイクでも駆逐された2サイクルエンジンを持つ。設計方針は「実用的なスポーツエンジン」であり、空冷スポーツに比べ、高速性能を同等以上、大幅に最大トルクを増し、燃費、低中速加速、騒音を改良した、とある。キャブは三国ソレックス36PHH、ソレタコデュアルの「ソレ」だが、三国ソレックス製双胴カーブレータは一般的に44PHHを指す。36パイは既にオーバーホールキットすらない。

 R-2と同形状の懸架装置だが、トーションバー径をあげてサスを固め、かつフロントのロールセンターを30mm上げた。ロール量は、ロールセンター高と重心高の関係に依存する、と、昔読んだレン・テリーの「レーシングカーの設計」という本に書いてあった。車高は標準車に対し50mm下げられ、結果コーナーに安定して突っ込める。

 車体構造はR-2に対し合理化しかつ剛性をあげ、先代比曲げで100%、ねじりで30%上げた。GJ値は$${1.27*10^6(Nm^2/rad)}$$とほほえましい。
 アセントは初めてのMid-sized SUVで、GJ値は$${6*10^6(Nm^2/rad)}$$以上だ。運動性能実験部署は車体剛性に対し何も提案できず、車体剛性は旧ナンバー設計の良心としての安全率を含む。米国のMid-sized SUVはPU派生で足回り強度が高く、車体剛性はそこそこなのがセオリーだ。アセントは唯一PC派生で、足回りの貧弱さを補うかの如く車体剛性は高い。達成企画がなく各論で是非判断する企業は、高いGJ値を無駄と考え、次世代は低下する方向に行く。
 レックスでも強度剛性設計を各構造断面のモーメント算出からアプローチしているが、現開発との差はCAEを併用するかの違いで、設計者の具現化に向けた検討手法は何も変わらない。

 少なくとも1990年代半ばまでの車体衝突開発は、塑性変形域の強度算出は確立できておらず、剛性に置き換えていた。そんな近似で衝突性能が簡単に見通せるわけがなく、何度もやり直した辛酸を糧にしてCAE技術を量産開発に使えるようにしてきた。同時に定量的な達成企画を確立させた結果、具現化に向けた高精度の机上検討が可能になった。

 ところが、CAEや性能設計を知らない、運動性能を始めとする自称技術者共や出身の経営層は、CAEを魔法の杖と考えている。CAE自体は達成企画を構成できないし、必要十分な代用特性を設定できない。また、結果をリアルワールドに精確に変換する必要がある。それらはすべて技術者の質に依存する。しかし、技術者や管理者は断片的なノウハウに基づく要求値を提示すれば十分だと誤解している。達成企画を体系立て構成する事には無関心だ。それがその企業の「技術レベル」である。正しく量産仕様を決められないプロセスこそ不具合が生む原因だと気づかない。悲しい哉それが現実だが、それでも増収増益だから、悲惨な状況は見えない。

 レックスの企画は「古い酒を新しい革袋に入れる」だから、当時流行りのウエッジシェイプを無理に3m×1.3mに押し込んだ。ベース造形がジウジアーロであるスズキ・フロンテクーペほど割り切れず、CG誌に酷評されていた。当たり前だ。ハーリーアールが実践した「造形」意義は理解するが、現在のトヨタやSUBARUの造形はキッチュで本質でない。普遍的な美しい造形が売れる世の中を望む。

写真加工で前後をつぶしているわけではない

 キャッチフレーズは“共鳴”レックスで、テーマ曲はよしだたくろうだ。それはどうでもいいが、Rガラスが逆ぞり2次元形状で剛性がなく、室内の空洞共鳴モードを助長する。昔上司は「これが本当の共鳴レックスだ」と言っていた。確かにこもる。企画や造形のマネジメントは造形が性能に与える影響に無知で、昔も今も変わらない。彼らは勉強不足である。

手に入れてから

 入手してからすぐ、壊れた。ある日、いきなりエンジンがロックした。

 それは自宅近くだったので、クルマを押していたら、パトカーが来て「何で押しているのか」と止められた。押すのはだめだと言う。仕方なく、2kmもない距離をローダーを呼んで運んでもらった。

 ヘッドをはぐと、ピストンやリングは欠け、クランクケースを割るとクランクベアリングがパチンコ玉のように降って来た。万事休すである。このエンジンは冷却水を循環させる水ポンプがクランクシャフト先端にあり、クランクケースとはメカニカルシールで隔てている。ここからクランクケースに水が入ってしまったのである。

 一時は「もうポンコツかよ」と諦めた。だが、捨てる神あれば拾う神ありで、徐々に部品の目途がついてきた。基本構造がスバル360なので、日本中に大勢マニアがいる亀の子の部品調達状況は、スバルff-1で苦労している僕からすれば、天国だ。

 シリンダーを0.5mmボーリングし、ベアリング交換、クランク芯だしまで半年掛ったが、あとは自分で組んだ。原因である水ポンプは、メカニカルシールが見つからず、電動ポンプに置き換えた。バイパスを塞ぎサーモスタットを外したためオーバークールである。水ホースも全部交換した。

 素人修理だったが、当たりが付いてからはさすが2スト、大変よく回る。スポーツハンドルに替え、シートがへたるのを嫌いバケットに交換し、シートベルトをつけた。タイヤはダンロップR7だ。合わせリムなので、勿論チューブ入りである。

このクルマとは

 走り出しは白煙が多いので気を使うものの、温まればほとんど出なくなる。1速のギヤ比が低いので、発進は1速で35km/h@7000rpmが精一杯だが、走り出せば転がり抵抗が低いので、3、4速ギヤで街中をキビキビ巡行できる。元気よく走るには4000rpm以上を保つ必要があるが、白煙以外は他の交通の邪魔にならない。却って40km/h制限では走りにくく、ついついアクセルを開け回転をあげる。気づくと60km/h出てネズミ捕りに捕まった。

 当時、月刊自家用車でTMSCRの蟹江光正氏が試乗記に「ブレーキペダルの角度が寝すぎていて踏みにくい」と指摘されていたが、まさにその通りである。踏力全てがペダルにかからず、1/√2の入力にしかならない。余談だが、蟹江氏は60年代からバイクの試乗記を寄稿しているし、この雑誌は他紙で見られない、SCCN篠原孝道氏やPMCS鈴木信光氏も寄稿しているのが興味深い。自動車産業が潤い、提灯持ちの自動車ライターの記事が溢れ、OEMを美化する記事は材料提供側の浅薄な意図が透ける。それにより殆どは騙されるが、分かっている人達には空っぽな企業と見透かされる。

 郊外のワインディングでは、4速ギアの2-3-4を使い、想像以上に活発に走る。ヒールアンドトゥもなんとか可能だ。ブレーキを踏み、かかとであおりながらシフトダウンすると同時に舵を入れると、ロール感をほとんど感じず向きを変えられる。前輪の空気圧指定は$${0.9kgf/mm^2}$$と低いが、上げればハナはよりクイックに入る。足尾を抜け日光に向かう国道では、直線ではいざ知らず、コーナーでは前を流すスーパー7を見失うことはない。制限速度50km/hだし。

 しかし、極小排気量の悲しさ、勾配が付く道路は苦手だ。群馬は山道が多い。代表である、榛名や赤城の上りは最も楽しくない。群馬を棲家とするなら、インプレッサほどの出力は不要だが、ff-1くらいは欲しい。

 だから、関東近辺では、赤城であれば南面の国道や、奥多摩なら柳沢峠に上がる前、おいらん淵の手前までなら楽しい。抱き付き、焼き付きは怖いが、回して走る楽しみにはかえられない。20年前くらいまではおいらん淵に車を横付けできたが、道の整備が進みトンネルができると、道路は塞がれ、今は誰も由来を思い出すこともない。

 会社でお世話になった先輩が、昭和47年から49年にかけ、フロンテクーペばかりの東京プロダクションカーレース(ノースレース)に、何度かスポットエントリーしていた。フロンテクーぺはダンロップG5を履くとスポーツキットBJと干渉するのでスペーサを入れていた。1分21-2秒台で回り予選も上位で、一度フロンテクーペを抑え優勝している。逆に車検で落ちたこともあった。上州らしい。いつだったか僕にレックスの面白さを話してくれた。その時は考えてもみなかったが、その記憶が深層で醸造されていたのだろう。

 極小排気量車を目いっぱい走らせるのが面白くなってきた。楽しくない毎日に一瞬の清涼剤を与えてくれる。上り坂がなければ。

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