「快」と「壊」

残業、終電、24時間労働当たり前。作業が終わらなきゃ帰れない。仕事は終わらない。

年末年始の催しと準備が各地で行われてますが、その裏では準備のため文字通り身を削り働いている人たちがいる。

スタッフ業をしていると日々実体験として日常化する。

労基法?働き方改革?

確かに大事。
表面で、催しで「快」される人間もいる。
一方で、催しで「壊」される人間もいる。

行き過ぎた資本主義経済と評価経済の裏側を見た。

経済格差だけでなく幸福格差も生まれている世の中。

世界の真実は夜の世界にある。

それとどう向き合うか。

その世界の真実を表現し、共に考える事が表現者の仕事ではないか。

名作と言われる戯曲にはこの普遍性が描かれている。

昼の世界の表向きの華やかさだけを表現だと思っている表現者がいかに多いことか。

「目ではない。心で見るの。」

約400年前にイギリスの大劇作家が残した言葉。

表現者が考えて活動しなければ、受け手はより一層鈍感になるだけだ。

表の世界にしか関心がないのに世界の真実を表現するのが役者の仕事ではないのか。

特に役者の責任は重い。
観客への「快」とスタッフ達への「壊」を背負わなければならない。

とある社会学者が『前田敦子はキリストを超えた』という書籍を刊行している。
自分の表現にキリスト以上の責任を感じているのだろうか。

その責任を背負わず表現している役者がいかに多いことか。。

類稀な強心臓の持ち主か、または極端に鈍感で且つ天才的な演技が出来る者が必要。

若い役者を見ると小手先の芝居で自分のキャラクターを作り上げることに努力を惜しまない人がいる。

「俳優である前に人であれ」
先輩演出家から聞いた故福田恒存の言葉。

久々に身に染みました。

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