だいじなじかん 〜孤独と向き合う〜

身体も疲労でいっぱいで、頭も糖分と永遠の眠りを要求していて、でも落ち着かなくて、心が揺らいでいて、そんなグラグラでフラフラな時ほど筆は進む。何かに傷付いたり、失っている時に強くなって、最終的に幸せになる。サイヤ人理論はあると思います。エビデンスあるのかな。

初夏の夜風にあたりながら、ノイズキャンセリングのイヤホンで自己の内面に意識を向かわせ、思ったこと、自己を振り返りながら、そして頭と心で整理しながらひたすらスマホに書き殴る。
演出者として、現場で創作活動する以上に心地良いアウトプットの作業。(誤解のないように書いておくが、自身の演出論は(今のところ)芝居においては俳優第一主義なので、稽古場では自分の主張を押し殺しほとんど忍耐している。自己主張を抑制している。4月の自身主催の公演で人体実験をした。芝居以外での活動なら主張してます。)


今回の投稿はあまり中身はないです。エッセイ的なものとして書いています。


近頃は現場での創作活動、教育事業から少し離れ、主に事務仕事をしています。かと言ってその集団は創作現場よりも少人数で、手段は違えど同じ思想を共有している先輩たちに囲まれて過ごしています。
30年以上人間という職業を務めてきて、30年以上家族という1番のチーム次に2番目に最高のチームにいる。マズロー的な5段階目にいるのかな。

近頃は仕事業務以外でのモヤモヤ感に苛まれる事が多く、仕事をしている時が日常になっている。だからと言って洗濯したり掃除したり、日常が非日常になっているかというとそれも違う。10年以上演劇界に身も心も時間も投じ、ポジティブとネガティブの両極端の感情体験をしていると、その境界線は無くなってくる。全ての時間が創作活動であり、生活でもある。TeamLaboじゃないけど、あまり仕事と日常というものがボーダレスになってきた。その生活が馴染んできた。その理由はハッキリしている。失敗した時の自分に降りかかるリスクが最小限に抑えられているから。そして、リスクを背負った時の覚悟も決まったから。この数ヶ月で沢山の経験を積ませてもらいました。今も現在進行形。周りから見たら大したことないけど、自分からしたら大事件。病気と交通事故で生死の境を彷徨った時と同じくらいの人生のシーソーゲーム。←(生まれて初めてお小遣いで買ったCDでした。)

ふと思う。前に聞いた話で、オリザ氏もオフの日はありませんと高校生に話していた。実際問題としてガチで忙しいのかもしれないけど、何処かではそんな感覚に近いのかな。時間だけでなく精神的にも演劇にコミットしてきたのかもしれない。

「演劇が好き」と思ったことは一度もない。まだ人生の半分くらいしか演劇やってないけど、一度もない。経験不足。演出家や教師は向いているとは思う。それは好きというより得意だからだと自己分析。

創作活動の現場以外では気の合う仲間もいる。先輩も後輩もいる。ただ、やはり思想(超目的)は同じでも、立場が違うと目的と手段、そして芸術論においても(そこまで考えていない表現者は論外。舞台に立つ資格はない。)役者とは人種が異なるので、思考と呼吸とリズムは合わない。幸いにも、今の仕事場は5人の演出家が集まっているので話が早い。事務作業から芸術会議も捗っているので会議での課題解決と問題提起が早い。4月は本当にキツかった。孤独との戦い。普段の演出家を、そして演助として隣にいる大先輩を見ていて、本当に忍耐強いといつも思っている。マジリスペクト。
数ヶ月前、これまでは相方の作家と何とか企画して公演を打ってきたけど、1人でゼロから企画したのは初めてだった。
それでもなんとか公演を出来たのは、自分に創作活動を続けられる理由を、公演を行う理由を与えてくれた2人がいたから。それが、それだけが創作活動のエネルギーになっていた。本当に感謝。生きててくれて嬉しい!!!生きててくれて、ありがとう(byサボ)

ゼロイチ発信できる才覚は自身にはない。自分は音楽で言うと編曲者の立場が一番合っていると思う時がある。師匠も事実そう話してくれた。だからコミットするところがあってメンターにもなっている。地頭は違うし、師匠からは「あなたは演出家だよ」と言われ続けているし未だに。エビデンスはあるのか。答えはないのかもしれない。答え合わせは自分の人生を持って証明しろと言われている気もする。


この文章のように、自己体験から自分の言葉で乱雑に文章化することは好きだ。演劇のように、「他人の物語」として「具体的」に仕上げる才覚と自我はまだない。観客に対して心の裸を見せる度胸も開放性もない。修行が足りない。
おまけに概念も含まれているので、「自分の物語」を語ることができて、「抽象」度の高くて共感しやすい音楽の方が合っているといつも思っている。(この「具体」と「抽象」、「自分の物語」と「他人の物語」をキーワードにして、『芸術』と『芸能』について現代の演劇とエンタメを考えるための文章を書く予定です。)
物心ついた頃から演劇よりも音楽が身近にあった。高校生の時にギターに触れて、役者修行しながらバンド活動していた時は作詞作曲というゼロイチ発信もよくやっていた。
ただ、音楽はずっと好きでいたいので、仕事にはしなかった。仕事としてやり、自由度が無くなると嫌いになると思ったから。心の拠り所でいてほしいと今でも思っている。最近歌ってないし、ギータとjino君にも会ってない。。音楽Love。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?