2021年の振り返り〜忘備録として〜

年の瀬ということで振り返ってみました。
今年まだやり残している仕事があるクセに、一度締めないと今年は終われず切り替えができないと言うことで自分のために書いています。体裁揃えるのも面倒なので書き殴っています。

細かい仕事はあったものの、今年一年は主に二つの事に取り組みました。

1.演劇企画JOKOでの活動
2.PieceBoxでの公演(フリーランスとしての事業)
3.その他の活動
4.まとめ

公演や講師としての現場仕事はやっていますが、今年は特に現場以外での実務仕事が多く、そこを軸にまとめていきたいと思います。今年はAFFという演劇人にとっては異次元レベルでの破格のボーナスがあったので、これに振り回された一年でした。

1.演劇企画JOKOでの仕事

3月末に14年間生徒として、卒業生として関わってきたJOKO演劇学校が閉校しました。昨年の夏頃から出ていた話で、4月からの年度に備えて準備or実行していました。これまでは主に講師としての日々の授業、また年度末にある修了公演に主に演出助手として関わらせていただいきました。4月より正式なメンバーとなり、今後の事業に関する事にも関わるようになります。体感としてはこれまでとはあまり変わっていませんが、現場仕事である授業や公演に関する事以外にも、デスクワーク等を含めた実務に参加するようになりました。肩書きとしては広報担当という事ですが、あまり関係はなく去年度から進めていた継続支援事業の申請や報告、AFFのお手伝い(Piece Boxで進めていたため)、11月末の公演のための企画・運営のお手伝いや現場での演出助手、また上演台本作り。主にこのような事でしょうか。2.でも詳しく書きますが、ピスボ(Piece Box)での公演が終了し、JOKOがAFFの交付を受け、初夏の時期から企画に携わっていました。社長を軸に、自分は上演台本作り(演出作品以外では初めて)、企画・制作補佐として演出助手以外の仕事にも従事してきました。ピスボで活動している10年ほど前から行っていますが、公演規模は違います。11月の公演の向けて、コロナ禍のための準備、配信の手配も行いました。また、上演台本も担当しました。演出である会長と社長、各スタッフと相談しながら作ってきました。上演台本作りは自分が演出の時は行っていますが、書き下ろすのは初めてです。特に演技(朗読)以外に生演奏(ピアノと和楽)+日本舞踊も加わるという、ストレートな芝居ではないためハードルが高かったです。しかも劇場ではなく体育館の公演というおまけ付き。これまでの経験が活かしにくいという現場で本当に大変でした。周りのスタッフさんに怒鳴られながら、キャストには優しい言葉をかけてもらいながら何とか無事に終えられたのも周りの方々のおかげてす。感謝してもしきれません。

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2.Piece Boxでの「かもめ」公演

個人としてはこちらの方が思い入れが強いです。企画の立ち上げから一年以上かけて仕込んできた公演。相方が抜けてはじめての、約6年振りの公演。主催・制作・演出として多大な責任感と労力、資金を注ぎ込みました。元々「かもめ」自体は15年前からやりたかった作品です。それが自分の人生の、強烈に上演したいという想いが込み上げていたのがスタート。その中でキャストを含めたいくつもの出会いがあったり、上演する理由を正当化出来る段階まで来ました。コロナ禍という現代社会の事情がある中でこんな小難しい、訳の分からない作品を上演する事で観客がどう感じるかは分かりませんでした。それよりも自分の作品を上演したいという想いだけで企画しました。タイミング的にもここしかない。自分の思いだけでなく、(公演パンフにも書きましたかまた)とあるお二方との出会いが最終的な理由で無謀な事にチャレンジしました。演出だけならともかく、今回は主催や制作としての公演です。時間と体力捻出のために様々な事を犠牲にした結果、何とか上演することが出来ました。ただ、その代償は大きく、これまで時間と熱量を使い切った結果、公演後は軽いバーンアウト状態となっていました。予め数字を捻出していたので覚悟はしていましたが、いざその負担が自分の身体とメンタルに降りかかった結果、これまでに経験したことのない状態になりました。公演後JOKOの活動がなければ潰れてだと思います。その後は資金捻出のため、また自分の想いだけで協力していただいたキャスト・スタッフさんへの感謝の気持ちもありAFFへの採択のため走り回りました。終わった公演の申請なので不安もありましたが、任意団体設立(AFFは個人事業主としての公演は認めていないため)のため、定款作ったり、友人に相談したり、口座開設のためいくつもの銀行に相談したり。。税金関係や経理の勉強など多岐に渡りました。これまでは個人事業主としての企画や、また外部スタッフとして現場に参加していただけなので楽なものでした。本当にゼロイチから公演を打つためには様々なことが足りていなかったのです。第一次の申請では不採択。本当に苦しかった。。ダメ元で第二次に出し、何とか採択されました。それが11月下旬。これが決まるまでは本当に忍耐の日々でした。思い返したくない地獄の半年間でした。それ以降は実績報告のための準備をし、12/28に実績報告を終えました。まだこれから資料の修正や、終わった後の財務処理もあります。公演は終わりましたが、主催としてはまだ終わっていません。準備とその後のことも踏まえれば一つの公演でも2年間以上かかっています。それだけ時間と熱量かけて作った公演なので、報われてくれればと思っています。

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3.その他の活動

この大きな柱の二つ以外にも、様々な現場に顔を出させてもらいました。特に下半期。
昨年は「日本演出者協会」に入会させていただきました。今年は自分の活動が多忙だったため協会に貢献できませんでしたが、活動内容に興味がございます。
今年は先輩からの推薦で「日露演劇会議」にも参加しました。こちらは会計担当として役員に入りました(これまでの補助金申請のための業務が活かされてのだと思います。地味ですが…。)。先日行われたシンポジウムでもお手伝いさせていただきました。
また、ランニングスタッフ(演出部、当日制作として)で関わった現場でも様々な小劇場の方々とも出会いました。新劇の現場とは違い、個人的に新鮮な現場です。特に同世代の演劇人との出会いは年齢を重ねるにつれ難しくなるものです。そこの方々とはJOKOとの繋がりができ、来年お互いに得する演劇事業ができると思います。ありがとうございます。
また、講師としても事務所での特別ワークショップ講師としてお招きいただきました。実は以前お世話になったところだったので、再びお声がけしてもらい嬉しい限りです。


4.まとめ

1年を振り返っても今年は現場仕事もしつつ、実務的な事をしてきました。その中でも公的補助を受けるために、ピスボ(フリーランス)とJOKOでの申請、報告作業が主な仕事でした。AFFだけでなく、継続支援なども踏まえると個人で(申請のお手伝いも含めて)1500万円以上の資金調達をし、公演やJOKOの活動に貢献できたと思います。コロナ禍の中で公演だけでなく、教育事業も含めて大打撃を被った結果、これだけの資金を集めてお世話になった人たちに対して活動の場を提供し、報酬を支払う事に貢献できたことは嬉しかったです。
JOKOを卒業した15年前に「恩返し」という言葉を使いスピーチしましたが、その時は自分がアーティストとして精力的な活動をして先輩、後輩を含む関係者の方々に貢献できたらと思っていました。それが今では自分のアーティスト活動ということだけでなく、実務的な仕事で活躍の場として、そして金銭的にも各アーティスト、お世話になった人にささやかながら貢献できたのかなぁと感じます。

幸いにも来年以降、いくつか演劇に関わるお仕事をいただいています。これも周りの方々に助けられています。これまでも助けられていましたが、主催者の立場として、また業界に何年もいると嬉しいことに後輩もできてきます。自分が(今もそうですが)先輩たちに支えられてきた事を後輩にも自分の行動を持って後輩たちに見せていけるよう日々精進していきたいと思います。

長い文章になりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。

来年も何卒宜しくお願い致します。


Piece Box主宰・演出/演劇企画JOKO
小松原宏太

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