価値づけして もっとして

Twitter(新X)を初めて数年。人類みな評価者になってきているように感じています。

ドラマの今週の放送が終わると #◯◯反省会 というタグがつけられ、ここの展開はおかしい、あのドラマだったらこうしていたはずだ、などの批判が個人からネットを通じて全世界に発信されています。

もちろんダメなところだけでなく、神展開!今日もスカッとした!などと良かった所も多く発信されていて、それらあわせて誰もが『評価者』になっているように感じています。

この風潮はドラマに限らず
映画
スポーツ
漫画、アニメ
お笑い
あらゆる娯楽について評価されています。

このこと自体はめんどくせーことはあっても、決して悪いことではなく、昔よりもダイレクトに「お客さん」の意見を得ることができると言えます。


近年問題とされているのが、過剰な批判です。それは批判を超えて、暴言・誹謗中傷となってしまっています。

恋愛リアリティ『ドラマ』でヒールを演じた俳優、実写化の経緯を批判された漫画原作者など、複数の人の命が失われる事態が起こってしまっています。死してなお、「死んだもん勝ち」「それはそれ、これはこれ」と批判を続ける輩もいます。

日本では日本語のアカウントから日本の娯楽に対しての誹謗中傷が問題化されていますが、私には海外サッカーを「応援」するアカウントからの誹謗中傷が目にあまります。

ポ◯バに「役立たず」、デ◯シリオに「いらない」、シュートを外した選手に「カス」と言うアカウントからはその誹謗中傷が選手本人まで届くことはあり得ないという認識が見て取れます。

実際にその日本語の誹謗中傷が海外の選手に届くことはないのかもしれません。でも、だからと言ってその暴言をネットに、世界中に発信する必要があるの?

私はそれはただ日頃の鬱憤を晴らす行為にすぎず、ネガティブな感情や状況を生み出すしかないことだと思っています。ネットという拡散性のある、データとして残る媒体で行っているので、スタジアムで日頃のストレスを発散しているサポーターより悪質です。


最近仕事で「価値づけ」という言葉を聞くことが多くなってきました。

教育業界は社会の変化を受けてようやく変わろうとしている過渡期です。明治以来の教育方法がいまの子どもたちに合わせたもの、もっと言うと2050年に必要とされる力を身につけるために変化を求められています。

「先進的だ」とされるとりくみを実践している先生たちは既存の価値観にとらわれた人からしたら、理解しがたいものです。正当に評価されることは難しく、下手をすれば批判されてしまいます。

必要なことは「価値づけ」です。先駆者のとりくみに対して「どれだけ素晴らしいことをしているのか」「なぜこのとりくみに挑戦していく必要があるのか」評価する人が必要です。

その評価者は既存の価値観の人と先進的な考えを繋ぎ、すべての人を歩むべき未来へと導く存在だと言えます。「価値づけ」は重要です。


さまざまな娯楽においても、みんなが評価者として「価値づけ」ができたら素敵で、よりポジティブな状況になると思います。

正当な批判はあってしかるべきですが、今の世の中は批判を恐れる空気が広まってしまっています。過剰な批判によって過剰な配慮が生まれ、世の中が息苦しくなっています。逆にあらゆるルールを無視して、かなり乱暴な手段にでる人も見られます。

たとえそれが上手くいかなかったとしても、どんな行動にも意味と意図があります。そこを読み解き、価値づけすることは評価される側にとってプラスにしかなり得ません。価値づけと「こうしたらもっと良くなると思う」をプラスして伝えるとより良いと思います。

とにかくこのままの 過剰な批判✕過剰な配慮✕萎縮 では明るい未来が見えません。まずは自分の好きな娯楽からあなたなりの価値づけをしてみてはどうでしょうか。きっとそれはあなたの推しにかかわることなのでしょうから。


最後に私の好きなサッカー選手を価値づけて、この文章を終わりにしたいと思います。

どのような状況にあっても不屈の精神を持ち、背番号19とキャプテンを奪う。世話になったクラブを訴えることができる胆力があり、またそれが上手くいかないっぽかったら止めちゃう柔軟さも併せ持つ。新入りに「食事は黙って食え」と無駄に凄みをきかせる自己完結のキャプテンシー。今後も目が離せない、ボヌッチ好きだよ!!

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