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韓国創作ミュージカル「レッドブック」と独り言※ネタバレあり


今回約3年ぶりに韓国に渡った。2週間の隔離が終わった後は基本的には中国行きのための準備期間なのだが、せっかく来たからには楽しみたい、ということでミュージカルをいくつか見に行くことにした。

ミュージカルを見た経験もほとんどなく、さらにそれについて文章を書いたこともないので、解釈や読解力が低いままであるが、素敵な作品に出会えた感謝を込めて記録しておこう思う。(書きたいこと書いてたら1万字になってて草)

今回は友達に誘われて見に行った、韓国創作ミュージカル「レッドブック」

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あらすじ(ネタバレなし)

-「私はね、悲しいことがあるといやらしいことを考えるの」

舞台はビクトリア時代、ロンドン。女は男の支配のもとにあり、女が自らの身体部位、ましてや、性経験、恋愛経験を口にするなんて有り得ない、そんな保守的な時代を生きる、主人公アンナは少し変わっていた。処女ではないという理由で婚約を破棄されてしまい、仕事を探しにロンドンにやってきたアンナはひょんなことから、女性のみの文学同好会「ローレライの丘」に加わり、雑誌「レッドブック」に自らの初体験をもとにしたエッチな小説を書くことになる。型破りで刺激的なアンナの文章は瞬く間に人々を魅了し、熱狂させるが、「女のあるべき姿ではない」「社会への悪影響」として、裁判にかけられてしまう…ー

登場人物

アンナ・ノック
自由奔放な主人公。辛い時には、自らの初恋であり初体験相手である、通称올빼미(フクロウ)との思い出を考え幸せな気持ちに耽る。

ブラウン
弁護士であり、バイオレットの孫。恋愛経験がない堅物紳士。ちょっとナルシスト気味。

ローレライ
「ローレライの丘」の顧問。男性だが、かつて思いを寄せていた"ローレライ"の死以降、男性としての自分を殺し、"ローレライ"として生きている。

ドロシー
「ローレライの丘」会長。小説を書くという理由で夫に追い出され、子供、トトとも引き離されてしまった。

バイオレット
かつてアンナが働いていた屋敷の女主人であり、ブラウンの祖母。

ヘンリー
バイオレット宅の庭師、のちに恋人

ジョンソン
ロンドン一の文学評論家。ジャック&ヘンリーの伯父。※父方の姉/妹の夫、韓国語でいう고모부

ジャック&アンディー
兄弟。ブラウンの親友。3人合わせて「紳士三銃士」

ジュリア
「ローレライの丘」メンバー。ジェイン・オースティンの大ファン。彼女の「高慢と偏見」の続きが気になるがあまり自ら続きを書いている。(所謂同人活動というやつ)

コレル
「ローレライの丘」メンバー。浮気性の夫を殺したいという思いから、常に夫を殺害する小説を書いている。

メリー
「ローレライの丘」メンバー。現実には叶わない片思い中の女性との恋愛小説(多分エロめのやつ)を書いている

キャスト

アンナ、ブラウン

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ローレライ、ドロシー&バイオレット

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ジョンソン&アンディー、ヘンリー&ジャック
ジュリア、コレル、メリー
アンサンブル

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ストーリー(ネタバレあり)※長い上に自分の記憶なので多少の相違はご理解を


ハッキリした性格に、男に頼らず生きること、自らについて話すこと、ありのままの自分であることを大事にするアンナは、処女ではないという理由で婚約を破棄されてしまい、仕事を探しにロンドンにやってきた。セクハラにも正面から言い返すアンナは、逆に騒動を起こしたとして留置所に入れられてしまう。そこに、アンナがかつて働いていた屋敷の女主人バイオレットの孫、弁護士のブラウンが訪ねてくる。ブラウンはアンナにバイオレットが亡くなったこと、アンナ宛に遺産を少し残したこと、そして死ぬまでずっとアンナに感謝していたことを伝える。当時のバイオレットは、数十年前に夫と死別し孤独に暮らしながら、密かに庭師のヘンリーに思いを寄せていた。それを察したアンナは自らの経験をもとにした恋愛やエッチな話しをすることで、バイオレットと庭師、ヘンリーの恋の成就に一役買ったのだった。

バイオレットの遺産から罰金を払い、なんとか留置所を出たアンナ。向こう3か月間、一生懸命旦那を探せというブラウンの言葉も「私の考え方には合わない」と一蹴し、むしろ打ち間違いの多いブラウンの書類を見て、自らがブラウンのもとでタイピストとして働くことを申し出る。女性経験のないブラウンは嫌がるが、断る隙も与えず周りを巻き込んで既成事実を作ってしまう図々しいアンナにブラウンは戸惑いを隠せない。自らが知っている"女"のイメージを尽く裏切るアンナに振り回されるブラウン。なんとか少しでも早く別の仕事を見つけてもらおうと、本屋に連れていき「あの頑固なおばあちゃんの心を開いた君には、きっと奇跡を作り出す力がある」と中身のないエールを送る。

本屋でアンナは女性の、女性による、女性のための文学同好会、「ローレライの丘」の顧問、ローレライと出会う。奇跡を作り出す力があるというブラウンの言葉、蘇るバイオレットとの思い出、ローレライとの出会いにより、アンナは自らが筆を執ることを決心する。ところが、アンナがバイオレットに起こした"奇跡"の中身を知ったブラウンは激高し、アンナをクビにして追い出してしまう。「ローレライの丘」に参加して3か月後、アンナの初体験をもとにした作品「古びたベッドに乗って」も掲載された「レッドブック」が発売される。女性の立場で描かれる、恋愛や性にまつわる物語はその存在自体が型破りであり、刺激的で瞬く間に読者を魅了していった。そして遂にはロンドン一の文学評論家、ディック・ジョンソンからの、アンナの「古びたベッドに乗って」の書評を書こうという手紙を受け取る。

「レッドブック」の人気はもちろんブラウンも知っていた。"紳士三銃士"としてつるんでいる兄弟、アンディとジャックによりその中身を知ることになるが、「こんな下劣な本!」と自らの紳士さを示すために踏みつける。ロンドン一の評論家に評価されたという功績をブラウンに認めてほしくて会いに来ていたアンナはこれを目撃してしまうのであった。

アンナを自宅に招いたジョンソンは、「評論とは作家と評論家のセックスだ」「君はもっといろんな男を知るべきだ」「私が君のミューズになってあげよう」とセクハラのオンパレード。挙句の果てに性関係を迫られたアンナはジョンソンの股間を思い切り蹴り上げ、彼の自宅を飛び出す。

「ローレライの丘」でドロシーからアンナがジョンソン宅に行ったと聞いたブラウンは慌ててその場を後にする。その前に親友のアンディー&ジャックからの頼みで受けていた彼らの叔母/伯母の離婚案件から、浮気に買春にとジョンソンが女性関係に問題があることを知っていたためだった。

ブラウンはアンナに「ジョンソン側は今回のことを大事にする気はないようだ、この程度で済んでよかった」と話す。「強姦されかけたというのに"この程度で済んでよかった"だ!?」と怒るアンナ。「あんな小説を書くから、周りも君を誤解してそういうふうに扱うんだ、君にも落ち度はある!」「そのどんな女も、自らの身体部位を口にしたり、ましてや小説にするなんて有り得ない!」と言い返すブラウン。話にならない、帰れとアンナに言われてしまうが明日からまた僕のもとで働け、小説でもなんでも、僕の目の届くところで書いてほしいんだ、と今まで自分自身でも気づけなかったアンナへの想いを伝える。

晴れて恋人同士になった2人の幸せの時間も束の間。(恐らく)再起不能になったジョンソンはマスコミや、ロンドン市長宛に手紙を書き、さらに市民を買収し、「反女性作家」「反レッドブック」の世論を作り上げていき、とうとうアンナを含む「ローレライの丘」のメンバーは起訴、拘束されてしまう。

なんとかアンナたちを救おうと判例を調べ上げたブラウン。かつての判例から「正気を失っていた」つまり、精神疾患があり、衝動的にそのような文章を書いてしまったと言えば無罪になると、そのように供述するよう提案する。今回の裁判で有罪判決が出れば強制徴用2年、国外追放3年、君とそうやって離れてしまう僕の気持ちも考えてくれというブラウンの頼みにも、自分の小説は罪ではない、社会への悪影響だというけれど良い影響を受けた読者だっているはずだと断るアンナ。ブラウンは「そんな自己中な女はいらない」とアンナのもとを後にする。ブラウンが去った後、かつてセクハラ騒動の際に同じ留置所に居た物乞いが、アンナのファンであると声をかけてくる。「アンナの小説を読むために文字だって習ったんだよ。結末はきっとハッピーエンドにしてね、そうなれば、わたしも本当に幸せになれる気がするの!」と看守に引きずられながら叫ぶ彼女の姿を見たアンナは、ブラウンの提案を断ることを改めて決心する。

"自己中"なアンナに憤りを隠せないまま事務所に戻ったブランのもとに、亡くなった自身の祖母バイオレットの恋人、ヘンリーが訪ねてくる。彼は、バイオレットが生前行きたがっていた地を自ら巡っているとのことだった。ヘンリーは、アンナのおかげでバイオレットと愛を育めて感謝していること、愛する人の声を"正しさ"で遮ってしまわないこと、ありのままを愛し、信じること、そして「彼女の声をよく聞いてあげなさい」という助言を残していく。

裁判当日、アンナは自分は正気を失ってなどいない、自らの小説は罪に問われるものではないと堂々と主張する。ヘンリーの助言を受けたブラウンは新たな証拠を裁判官に提出する。「良い影響を受けた読者だっているはずだ」というアンナの言葉をヒントに、裁判官、看守、検事それぞれの母親、妻、お見合い相手、さらにはロンドン市長夫婦の「レッドブック」の感想を集めたのだった。そしてそのどれもが、「レッドブック」を通して"愛"を考え、学んだという肯定的なものであり、「社会への悪影響による、出版物法違反」には当たらないと主張する。

その結果、「レッドブック完結まで判決を保留する」という事実上の無罪を勝ち取ることになる。そしてブラウンもまた、アンナに自らの「レッドブック」の感想を手渡し、「僕も君の小説を通してこれから学んでいくよ。もう同じことは繰り返さない」と約束する。

その後アンナは人気作家となり、自ら"第二のアンナ"になろうとする人々が「ローレライの丘」に押し掛ける。「第二の誰かじゃだめ、自分自身でありなさい」と人々にアドバイスするローレライ。そんななか、創作活動のためにブラウンとともに旅に出ていたアンナが戻ってくる。皆に歓迎される人気作家アンナと、その恋人でありミューズのブラウンの姿で舞台は幕を閉じる。

雑記

ストーリー紹介が長くなってしまったが、これもかなり割愛したほうで、アンナやブラウン以外のキャラクター、特にローレライの事情も胸が痛むもので印象深い。

今回は3年ぶりに見た韓国ミュージカルだった。曲、ストーリー、演出、キャラクターすべてが素晴らしかった。良すぎて2週間の間に2回見たが、それでも足りない。誘ってくれた友人がアイドルグループSF9のファンであるため、2回ともそのメンバーであるインソンくんの回を見ることになった。

余談だが、最初にお誘いがきて、ブラウン役のキャスト3人のポスターを見たとき、正直「一人だけ全然…タイプじゃ…な……」と思ったのが当のインソンくんであった。実物バリかっこよくて草。というか実物と写りの乖離が酷くないか。あのポスターの撮影チームがインソンくんのアンチである可能性が高い。それくらい彼のこのポスターの写りは悲劇である。もう一度いうが、インソンくんはめちゃくちゃかっこいい。

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インソンくんの名誉のためのインソンくんタイム

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個人的にソ・ギョンス俳優が好きなのだが、今回はタイミングが合わず観ることができなかった。残念。

一部曲紹介

劇中では24の曲が使用されている。すべて紹介したいぐらいだが、今回は一部だけ紹介してみようと思う。

ありのままの自分として生き、語ることを決して諦めないアンナ。愛されなくても、理解されなくてもそれでもいい、"自分である"ことを選び続ける、それがアンナである。そんな自由奔放で、強いアンナに、現代を生きるわたしたち観客もまた彼女に憧れ、恋に落ちずにはいられない。

そんな彼女の信念、生き様、決心を特に表現するのが、ブラウンに自身の作品を侮辱され(物理的に踏まれ)自らを慰めるために歌う"나는 야한 여자(私はいやらしい女)"(SC52:50あたり)と、裁判の前に揺らがないことを改めて固く決意する"나는 나를 말하는 사람(私は私を話す人)"(SC45:50あたり) という曲である。

"나는 야한 여자(私はいやらしい女)"
사랑을 말했고 사랑을 적었지
메마른 모래를 감싸는 파도처럼
물살을 따라서 떠나는 여행처럼
사랑을 말했고 사랑을 적었네
이게 잘못이라면 이게 나쁜거라면
야한 여자야 나는 야한여자
야한 여자야 나는 야한여자

愛を語り 愛を書いた
乾いてしまった砂を包み込む波のように
水の流れに乗って乗り出す旅のように
愛を語り 愛を書いた
これが間違いであるのならば これが悪いことなのであれば
いやらしい女 私はいやらしい女
いやらしい女 私はいやらしい女


"나는 나를 말하는 사람(私は私を話す人)"
내가 나라는 이유로 지워지고
나라는 이유로 사라지는
티 없이 맑은 시대에 새까만 얼룩을 남겨
나는 나를 말하는 사람
누군가에게 이해받지 못해도
아무도 나를 사랑하지 않아도
나는 나로서 충분해
괜찮아 이젠

私が私であるという理由で消し去られ
私という理由で姿が消えてしまう
疑いなく明るい時代に真っ黒な汚れとして残される
私は私を話す人
誰かに理解してもらえなくても
誰も私を愛さなくても
私は私であるだけでいい
もう 大丈夫


一方でブラウンは、低き者に慈悲を与え()、淑女を守る()、立派な紳士()として生きることしか知らない。そうは言うものの決して"男らしくはない"ブラウン。そんな彼の歌う"참 이상한 여자(本当に変な人)"(SC34:40あたり)、"당신도 그래요(貴方もそう)"(SC39:20あたり)は攻撃性のない、無害な想いの告白だ。

"참 이상한 여자(本当に変な人)"
이해하고 싶어도 그게 쉽지않은 여자
잘해주고 싶어도 내가 필요없는 여자
자꾸만 나를 점점 더 나를
허전하게 만드는 서운하게 만드는
참 이상한 여자
이해받지 못해도 아무렇지 않은 여자
내가 아니더라도 상처받지 않는 여자
그래서 나를 그렇게 나를
이상하게 만드는 슬퍼지게 만드는
참 이상한 여자

理解したくても、それが難しい人
よくしてあげたくても、僕が必要じゃない人
しきりに僕を、どんどん僕を
虚しくさせる、寂しくさせる
おかしくさせる
本当に変な人
理解されなくても平気な人
僕じゃなくても傷つかない人
そうして僕を、そうやって僕を
おかしくて、悲しくする
そんな変な人

"당신도 그래요(貴方もそう)"
나는 내 심장이 어떻게 뛰는지 몰라요
왜 수염이 자라고 왜 나이를 먹는지 모르지만
나는 내가 맘에 들어요
나는 저 별들이 얼마나 멀리 있는지 몰라요
왜 빛나고 있는지 뭘 말하고 있는지 모르지만
내겐 너무 아름다워요
당신도 그래요 내게는 그래요
이해할 수 없어도 좋아할 수 있어요
설명할 수 없어도 당신이 좋아요
당신이 좋아요 좋아요

僕は僕の心臓がどうやって動いているのか分かりません
なぜ髭が生えて、年を取るのか分からないけど
僕は僕のことが嫌いじゃないのです
僕はあの星たちがどれほど遠くにあるのか分かりません
なぜ光り輝くのか、何を語りかけているのか分からないけど
僕にとってはとても美しいのです
貴方もそうです 僕にとってはそうなのです
理解できなくても好きになることはできるのです
説明することができなくでも貴女が好きです
貴方が好きです

正直で突発的で、芯があって、自分を大事にする術をよく知っているアンナに、今まで余計なことしか言わなかったブラウンが素直に告白する内容は、曲を聞く側も一緒になって焦がれさせる。

そんなブラウンが、考え方も生き様も全く違うアンナの考え方に最初に触れることになるのが、"사랑은 마치(愛はまるで)"(SC22:20あたり)。愛は不変であるというブラウンに対して、自分はそうは思わないとアンナが歌う曲だ。

"사랑은 마치(愛はまるで)"
두둥실 떠다니다 스르륵 흩어지는
구름의 모양을 하나로 말할 수 있나요
투명한 아침부터 어두운 새벽까지
하루의 빛깔을 어떻게 정할 수 있나요
사랑은 마치 마치 어린 아이들처럼
끝없이 자라나고 새롭게 변해가죠
사랑은 마치 우리의 만남처럼
예상할 순 없지만 기대하게 만들죠

ふわりと浮かび するりとほどける雲の形を
ひとつに言い表すことができる?
透明な朝から 暗い夜明けまで
一日の色をどうやって決めるの?
愛はまるで幼い子供たちのように
育ち続けては新しく変わっていくの
愛はまるで私たちの出会いのように
予測できないけれど 心を躍らせるの

「ローレライの丘」メンバーもそれぞれにストーリーがあって魅力的だ。新メンバー、アンナを歓迎する際に、「ローレライの丘」とはどのような場所であるのか、各々の自己紹介も含めて歌うのが"우리는 로렐라이 언덕의 여인들(我らはローレライの丘の女たち)"(SC18:00あたり)である。

"우리는 로렐라이 언덕의 여인들(我らローレライの丘の女たち)"
우리는 로렐라이 언덕의 여인들
낡은 펜으로 새로운 길을 찾아
억눌려온 욕망을 일으자
넘쳐나는 광기를 불태워
오직 나를 위한 길을 찾아
진정 내가 나일 수 있게
진짜 나를 만날 수 있는
아주 특별한 길을 찾아

我らローレライの丘の女たち
古いペンで新たな道を探す
閉じ込められてきた欲望を叶えよう
溢れんばかりの狂気を燃やそう
ただ私のためだけの道を探す
私が私であれるように
本当の私に会える
とびきり特別な道を探して

※SC=ショーケース↓

独り言

尊敬するハン・ジョンソク作家曰く、アンナは「自らを話す人」、ブラウンは「聞く人」であるとのこと。ブラウンはアンナの話を"聞く"ことによって差別意識や固定概念からの脱却、成長を遂げるキャラクターである。ところがご察しの通り、最後の20分まで本人は全然聞いていないのである。わたしはクソザコシスヘテロ女なので、どうしてもブラウンを構ってしまうのだが、それを差し引かなくてもブラウンはアンナの裁判の直前まで結構クソ。

作品を見た人であればローレライに魅力を感じる人は多いと思うのだが、実は、"ローレライ"という名は、女装した今のローレライがかつて思いを寄せていた女性の名である。その"ローレライ"もまた、自由な女性であった。求婚が後を絶たなかったが彼女は、それらを一度も承諾することはなく、そのうち町では、彼女への嫉妬や恨みから変な噂が流れるようになる。

町を去ろうとした彼女は何者かによって殺されてしまう。彼女が殺害されてしまい、そのやるせなさ、怒り、悲しみ、彼女への消えぬ思いから、女装をし、男である自分を殺し、"ローレライ"として、そして彼女のぶんまで生きることを決心し、「ローレライの丘」を立ち上げたのが、今のローレライである。

この部分は2015年の韓国での江南駅殺人事件や、最近日本で起こった小田急線刺傷事件などのフェミサイドを思い出す。

アンナやブラウンを見守り、「ローレライの丘」のメンバーを率い、アンナが人気作家になった後も、人々を受け入れる。そして何より、自身が思いを寄せていた"ローレライ"への今も続く想い。アンナが"話す人"、ブラウンが"聞く人"であるならば、今のローレライは"記憶する人"なのだろうかと、ふと考える。

ミュージカル「レッドブック」の魅力は、ハッキリしたメッセージや個性溢れるキャラクターをまずは挙げることができる。ただ、個人的に大きいのは男性によって救われない女性キャラクターだと思う。救われないというのはバッドエンドということではない。劇中、ジョンソン宅で性関係を迫られるアンナ。前後の場面の流れからすれば、ここにブラウンがアンナを救いに現れるものである。

ところが、ブラウンは現れず、アンナはジョンソンの股間を思い切り蹴り上げて出てくる。ブラウンがアンナのもとに辿り着くのは、彼女が自宅で既に休んでいるときである。

アンナが生きたビクトリア時代は、男女の領域を特に厳しく分けていた時期である。男が職場、政治の場に在るものであり、女は家庭に在るものであった。淑女の、淑女のための、淑女による手引書が出版され、女性とは"家庭の天使"であり、その存在は"相対的である"とされていた。

約200年前の話しだとしても、わたしたちの生きる現代も、正直大して変わらない。彼氏いるの?結婚しないの?と、女性に対して急かされる異性のパートナーの存在は家父長的な価値観によるもので、男の付属品となることを強制されている感覚である。誰かの彼女、誰かの妻、誰かの母親であること。"わたし"ではない、何か。男の存在によって、認められる"わたしのような"何か。

だからこそ、男性の存在、救済が必須ではないまま、困難に立ち向かい、悩み、生き抜く女性主人公の姿は、このミュージカルで伝えんとしているメッセージをより確かなものにする。

ありのままの自分を愛し、語ること、周りから変わっていると言われても、それが必ずしも悪いことではないということ、既存の社会から押し付けられる、"正しさ"や"あるべき姿"との葛藤に向き合う勇気、その勇気の先にどんな未来を描くことができるのか。そして、それらを夢見るときに、何よりも先に自分自身を、他者からの物差し抜きに、信じて、愛してあげること。それは、"女であるという理由だけで男の存在が必須ではない"とも言えるかもしれない。

ブラウンがアンナに対して"女らしさ"の強要を止めたとき、2人は初めて結ばれる。いや、カップルになっとるやんけ!と言われしまいそうだが、この2人は互いにアンナにとっての王子様、ブラウンにとっての勲章ではないのである。語彙力がなく、説明が下手でもどかしいが、異性間の恋愛という枠で考えたときに、"救い―救われる"、"所有しー所有される"ではない2人の関係性は、その枠の中でも"独立した人格"としての結びつきの要素が強いのである。

(散々ブラウン嫌な奴だったのに…?と思うかもしれないが、恋愛したことある人間ならきっと分かるはずだ…「こいつ…こ〇ろしてやる…」という気持ちと「しゅきしゅきしゅき~~~!!!」の気持ちはワンセットであるということを…)

韓国発信の作品においては、社会的なイシューを盛り込むことは珍しいことではない。江南駅女性殺害事件が起きたのが2016年、me too運動が爆発的に広まったのが2018年であり、以降韓国社会においてフェミニズム、ジェンダー平等というのは非常に重要な社会的課題である。特にアンナが直面するジョンソン宅という密室で起こる性加害や、被害者に向けられる警戒心の弱さなどにかこつけた二次加害は、韓国社会を大きく揺るがしたme too運動を思い起こさせる。(もちろん権力者からの性加害、周囲からの二次加害はもっと前から、今もずっと存在する問題である。)

ただ、ミュージカル「レッドブック」の出発は、特別それを意図したわけではないという。ハン・ジョンソク作家とイ・ソンヨン作曲家の間で「女性が主人公」「自らに近い職業である作家」というテーマのみで構想が始まったのは、もっと前である。

2015年に"창작산실(創作産室)"にて台本公募にて優秀賞受賞をし、初公演は2017年、2回目公演が2018年、今回が3年ぶりの公演となる。もちろん、回を追うごとに多少の変更は行われているはずで、それらの大きな社会的変化たちが影響していない、ということはないだろう。

だからか、愛らしいキャラクターたち、素敵な衣装とセットのなかでアンナたちの飛び回る姿を見ても、どこか自分自身や、今生きる世界とのリンクを実感する。わたしはあれだけ自由に生きることができるだろうか、あれほど自らを語る術や語彙を持っているだろうか、自分自身であれる場所があっただろうか。

大人になればなるほど、願ってもいない物差しと、"常識"は厳しくなるばかりで、それでも自己責任が叫ばれる時代に生きる多くの人にとっては、急にそんな生々しい"現実タイム"(韓国では最近현타(현실time)온다とよく言う)がきたりするのではないかと思う。

同時に、自分に"らしさ"や"資格"を強要してくる社会の存在も思い出す。明確なメッセージを乗せたストーリーと歌詞は、そんな不条理な社会に挑戦する、少しの勇気も持たせてくれる。

最後に、これは今回の記事におけるTMIだが…わたし自身、大学卒業後に入社した会社は、会社都合で辞め、その後目指した上海留学はコロナで中止となった経験を持つ。1年の空白期間を経て就活をしたが、経歴が弱すぎる者として"自己反省"を求められる日々だった。反省反省って、わたしはいったい誰に罪を償っているのか分からなかった。ただ、必死だった。

100社以上受けても受からず、わたしの国籍やルーツを揶揄されても、セクハラされても、へりくだるしかなかった。留学に行くという自己満足のために新卒チケットを手放すべきではなかったのか、退職後にさらにまた留学を夢見るなんて浅はかだったと、そうやって自分を否定する日々だった。

現在はタイミングと周りの協力で、なんとか上海にたどり着いて、快適に隔離生活を送っている。この年齢で職歴もなく、これからどうするんだ、早く結婚しろと言われても、聞かないことにする。人間、生きていれば何とかなるし、まずは今の自分を信じて、愛してあげようと思う。社会に迫られる選択は、その時にまた、自分の言葉で“わたしを話せばいい”のだから。

ミュージカル「レッドブック」は、日常の生活に疲れ、自分への愛が冷めてしまったときにその方法を思い出させてくれる作品である。ショーケースをBGMに、これから始まる留学生活を期待しながら、そんなことを思ったりした。

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