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あたたかい無関心というマナー (ママ友は業務中)

「ママ友」という言葉は思っていたより奥が深かった。このことに気づいたのは、育児を開始して3年ほど経ってからだった。

ママ友は、友達ではない。

というと、どれだけの人に頷いてもらえるだろうか。「ママ友とは同業他社だ」という言い方も聞いたことがある。

もちろん語源は「ママ・友達」の略なのだろうが、中学高校大学までの友達とはまったく異種のものだ。すくなくとも、私はそう感じる。
どちらかというと、仕事の同僚。もしくは他部署の同僚、先輩。そんなかんじの距離感。なぜそんなことになるのだろうか。

ママ友は業務中

大前提として、みんな「育児」という業務中なのである。業務中、気軽にダラダラぺちゃくちゃとおしゃべりをする余裕は(業務内容によるが)基本的には無い。

育児をはじめて驚いたことのひとつに、母親の可処分時間の少なさがある。「ちょっとお茶しようよ」と誰かに誘われたとき、産前なら2〜3時間がっつり集中してお話することができた。産後は、目を離せない児を見守りながら・世話しながら・自分の食事もこなしながらで、とにかく忙しない。
ぎゃあぎゃあ泣けば会話は中断され、紙ナプキンを口に含みそうになってはあわてて止めに入って会話は中断され、コップを倒して水をぶちまけては会話は中断される。
(上の子は3歳近くになってからやっと自分でご飯を食べられるようになって、ずいぶん外食がラクになったのを覚えている。)

お茶じゃなくても、公園や児童館でもじっくり話す時間がないのは変わりない。他の子の髪をつかむ、おもちゃを取り合いする、ころぶ……。とにかく危なっかしい我が子を見守る業務は、ハードである。

あたたかい無関心がマナー

ちょっとでもごきげんよく子どもが遊んでいてくれる間「うちの子、寝なくて……」「あっ、うちも!」などと一時的に盛り上がることはできる。しかし、そこから仲良くなれそうか見極め、名前を聞き、どのへんに住んでるのか聞き、あまつさえ連絡先を交換できるくらい交流を深めることができる人はほんの僅かだ。たいてい、途中で子どものトラブルがあったり、トラブルがあったり、トラブルがあったりする。

ママ友は、基本的には一期一会だ。
子どもは目まぐるしく成長し、習慣を作っても成長にともない数ヶ月でアップデートしてしまう。毎週児童館で会えていた人が、いつのまにか来なくなった、などという事例はよくある。0歳児なら「何ヶ月ですか?」「いま体重何キロですか?」「離乳食どうですか?」などと軽めのジャブを繰り出しているだけで交流が終わってしまう。
友達になるための時間って、じつは結構必要だったんだな、とわかる頃にはもう疲れてしまった。

出会う人みんなとお友達になることはできない。児童館や公園でできるのは、わが子をハラハラと見守り、たまにお友達に手が伸びそうになればブロックし、やり返されれば「大丈夫ですよ〜」と言い、穏やかな表情をつくること。あたたかく見守るが、基本的にはお互いに干渉しない。さも無関心であるかのようにふるまうということ。

みんな自立した大人であり、馴れ合う関係ではない。でも、子どもたちという未熟ないきものを抱えている共通項のある人たちで、必要なら問題解決を共有しあうことはできる。

ママ友ってその程度の関係だ、というのが現在の私のママ友認識である。

【後記】ママ友像はアップデートされるのか

上の子3歳、下の子0歳の現在。子どもの学友の親御さんと深く関わる機会は多くない。保育園の保護者でラインのIDを知っていたり、たまたま一緒に公園で遊んだりする人はいるが、関わらなければいけないという関係にはない。

幼稚園、小学生、中学生……と子どもの年齢が上がるにつれ、どんどんそれは変わっていくのだろうと思う。そのとき、果たして「友達」になれるのか。

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