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ついったーでいえなかったこと。

2022年、どんな年だった?
と、聞かれたならば私はこう答える。

「辛かったけど、良い年だった」
と。


どうして辛かったか。何が辛かったか。
これをTwitterで言う勇気がなかった。

恥ずかしいといえば恥ずかしいのもある。
でもそれ以上に、変に勘違いされたくない。
デリケートなものだからと、気を遣われるのが嫌だ。
わかったようなこと言われるのも嫌だ。

といった所だろうか。


あえて言う必要もないのだが、なぜ言いたくなったのだろう。
うーん、わからない。
「いらないプライドは捨てたくなった」
それが近いかな。


さてここまで引っ張ったということはやっぱり恥ずかしさがあるのだろう。
何をTwitterではいえなかったかというと、それは

『婚活』

である。



リアルで会った人には誰にでも話すし、今すぐ結婚したい!とかでもないし、別に恥ずかしいことでもないはずなのにね。
なぜこんなに万人には言いにくいのか、不思議。

一番めんどくさいのは、変な人に絡まれたり変な仲間意識でいらん人が寄ってきたりとか。
そういうのはマジでいらん。だから中途半端に言及することは今後もないだろう。


女の婚活は私の認識だとおそらくデリケートな話題に分類される。
政治と宗教並だ。下手に触れると火傷する。

だから自分が気を遣わせるのは嫌だし、かといって勝手に笑い話にされるのも嫌だ。
私が話す時は笑いますよそりゃ。でも笑い話ではない。傷つくことが余裕で多い。


結婚、すなわちその前段階の恋愛という舞台に立って、いろんな人と向き合って、いろんな気持ちになった。
恋愛ってそういうものでしょ?
色んな感情を味わうものでしょ?

私はたぶん恋愛体質じゃないし、ここ数年は生きることに必死で、これからどう生きるかってことに向き合ってて、辛かったけど彼氏ほしいとかほぼ思ってない。思う余裕がなかった。
つまり余裕がないと彼氏をほしいと思わない。

私にとって彼氏は欠けた穴を埋めるものではなく、プラスαなのである。

とはいえ、自分の家族では満たされなかったものを、わかってもらえなかったことを、自分の家庭で築き直したい気持ちがある。
私が家族にしてほしかったことを、自分の家庭でやりたい。
「安全基地になりたい」とずっと言っているけど、私自身、絶対的な安全基地がほしい。
黄皓さんが諒子さんに「世界中が敵に回っても、味方でいてくれる?」と聞いたが、私もそういう味方がほしい。


親も実家も家族も安全基地だし、友達も安全基地だと思っている。
でもたぶん、絶対的な味方じゃない。

家族とは宗教のことでずっと平行線だ。何年経っても「わかってほしい」とお互い思っている。親は宗教を信仰していていいけど、私は無理。
私はOKしているつもりなのに、親は私に信仰してほしい。信仰心のない私をOKとしてくれない。

しつこくするのはどうやら諦めた様子なので、今はお互い良い距離だと思う。
でもやっぱり、この問題がある限りは実家は絶対的な安全基地ではない。
この話をしてると泣く。もういいだろう。


友達はいわずもがな。私も友達に順位はつけられないし、友達も私を1番とかにできないはず。
1番とかは、私の中ではやはりパートナー枠になる。


幼い頃は「お母さんみたいなお母さんになりたい」と、当たり前のように自分も家庭を持つことを前提とした夢があった。子どものくせに子育てすると思った。
お母さん優しかったから。今も優しいけど。宗教絡むと、ね。

とにかくまあ、そんなことを思うくらいなので結婚できないとか思っているわけじゃない。「私なんて」とも思っていない。


しかし気づけば30代。職場に出会いはない。
コロナ禍で交流自体も少ない。

あれ?これ何もしなかったら私、いつ結婚するんだ?いつ出産するんだ???


焦るといいことないと思っている私は、焦らなすぎる自分の危うさに気づいた。

2022年は時間も余裕があることも相まって、マッチングアプリを使いメッセージやらデートやらしまくった。
「何してた?」と聞かれたら「婚活」と答えるくらいの婚活オブザイヤーである。

でも婚活がなかったら何をしていたのだろうというくらい時間があった。下手したら病んでしまうくらいだ。
だから仕方ないのだ。人生何かしらある。その『何かしら』が、2022は婚活だったのだろう。



これだけ「婚活」と書いたが、最初の方は私の真剣度が弱くて「お互い結婚願望あってもなくても、する時はするししない時はしないだろ」とか思っており(今も思ってはいる)、本気度もさして重視してなかった。
が、色んな想いをしていくうちに、自分の本気度が低いからいけないのだと思わされた。

しかし悲しいかな。
本気になるほど、楽しめていたことも楽しくなくなる。
本気になるほど、相手の嫌な面を見てしまう。審美眼が厳しくなる。

この辛さは、ここ数年の仕事とか人生の辛さに比べたら全然たいした辛さじゃない。
でもやっぱり種類が違くて、これまでがグッサリ大手術が必要なレベルの痛みだとしたら、今回はずっと毒に侵されてるとか剣山の上に立つとか、そんな感じ。痛み方も辛さもどこか違う。



そんな私にちょくちょく解毒剤を与えてくれたのが、友達である。
このいちいち言わないと生きていけんのか?というレベルの聞いて聞いてマンの話を聞き、否定せず「ぴいちゃんは大丈夫だと思う」と信じてくれた。

私の自信の根を支えてくれるのは、いつも友人である。
誰かの言葉や出来事ですぐに迷って自信を失いかけては、友達が「ぴいちゃんなら」と言ってくれる。
だから私は私でいいと思えるし、こんなに素晴らしい友達に恵まれているなら、友達が好いてくれるのに、恋人だけ変な奴とか愛されないとかはないだろう。と思える。


2022は婚活オブザイヤーであったと同時に、友達たちの有り難みをどれだけ感じるんだ!というくらいスペシャル友イヤーでもあった。

私は「人に恵まれる星」と言われており、「そういう星のもと産んでくれてありがとうお母さん」と少し前から思っていたが、それも友達にお礼を言うだけでは足りないと思ったからだろう。感謝の総量が多すぎて、ありがとうの対象を増やさないといけないレベルだ。

そのくらい、友達に救われた。
「辛いは幸せになる」
と以前もツイートした気がするが、辛いことがあってもいつも一本棒を足してもらった。

幸せ者だと何度も思った。

だから「辛かったけど良い年だった」のだ。



いや「辛かったから良い年だった」のかもしれない。
辛いのは嫌ですが。




さて、そんな2022を終えて2023年になった。
新年を迎える前から私は、しんどくなって婚活をやめた。

正確には休んだのだが、再開の目処は立っていない。
婚活という婚活は、向いていないと思った。
これまでの傾向を考えると、恋愛に限らずなんだって、必死になるほど見つからない気もする。

今の状態で婚活をしても、婚活をしている自分を好きになれる気がしない。
知らんけど。


だからまあ、毎日を楽しんで、楽しそうな場には足を運んで、仲良い人には「良い人いたらぴいを!」と言うことにした。かといって紹介も苦手なのだが。良い人がいる飲み会に呼んでおくれ。

やめたのに「やってて辛かった」とわざわざここに書くの意味不明だと自分でも思うが、書きたくなったから仕方ない。

結局何が言いたかったのが自分でもわからないが、やっぱり、いらないプライドは捨てたかったのだと思う。

この一年も、大切な時間だったから恥ずかしいものとして扱いたくないし、誇れる時間としてこれからに繋げていきたい。

きっと、たぶん、そんな感じ。





ヘッダー画像、私がnoteに共有した中で一番人気でたくさん使われてて嬉しい限りなので、私もまた使ってみた。

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