見出し画像

神戸の坂は膝にくるが、上から見える街は美しい

先日、淡路島へ旅行に行ってきた。淡路島を巡った翌日、東京へ戻る午後の飛行機まで時間があったので、神戸の観光地を散歩することにした。

外国人向けの旅行会社で働いていた時、欧米の方々には神戸はあまり人気が無かった。日本に来てまで洋館や洋風文化の名残を観たいという人はあまりいないからだ。

とは言え、私は生まれも育ちも日本。横浜元町の雰囲気は好きだし、鎌倉文学館も好きだ。何なら最近は、転生したら乙女ゲームの悪役令嬢だった等の異世界&貴族令嬢ものが予期せぬマイブーム。何故ならこういう妄想をかつてしたことがあるからだ。歳をとってから昔ハマった沼に再びハマるのは簡単だと言う趣旨の話をカレー沢先生がしていたが真実であった。

まずは朝ごはんを食してから、神戸の街の散策を始めよう。

トミーズ

朝ご飯は大阪在住の方のおすすめのパン屋さん。神戸に何店舗かあるみたいだが、一番近い店舗へ向かう。

画像18

画像1

あんトースト(130円)とたまごパン(50円)。焼かなくてもあっためなくても美味しい。あんこが甘すぎなくてよい。たまごパンは意外にもちもちで、こちらも優しい甘さ。

画像2

生田神社

朝食も済み、チェックアウトも完了し、地図を片手に街歩きに出発する。

画像3

源平合戦の折に、須磨からこの辺りまでが戦場になったらしい。平知盛、重衡がここを陣としていた。

生田の森

画像4

最後に気が付いたのだが、これは旧石器時代に友達とどハマりしていたゲームに出てくる神社と森であった。平知盛が景色に透けて見える…。闘いたくないっ!という切ないシーンだったかもしれない。昔すぎて記憶がおぼろげだ。

生田神社横の坂を登って、異人館通りを向かう。途中学校があったり、大人のホテルがあったり、世界の食材が売ってる店があったり、住宅があったり、何だか盛り沢山だ。異人館通りを突き抜けて、北野通りに入る。

関西ユダヤ教会、ジャイナ教寺院

画像5

画像6


ユダヤ教会とジャイナ教寺院は知識がないもので、入るに憚られる。ジャイナ教の建物は白い石でできていてとても美しかった。旅行客風の欧米人の男性二人組がささっと靴を脱いで階段を登って行った。

あまり人通りのない北野通りからトーマス坂へ移動すると観光客が沢山いる場所にたどり着いた。この辺りがメインの観光地なのかもしれない。

画像7

ゆるゆるとした石畳の登り坂が続く。北野広場の階段を登ると、萌黄の館が見えた。

画像8


萌黄の館

国指定重要文化財、アメリカ総領事シャープ氏の邸宅として建てられたらしい。アメリカっぽい木造建築。

画像9

色がすごい素敵だか、元々白い異人館として公開されていたのだが、平成元年に建築当時の萌黄色に戻されたらしい。よく分からない価値観で元の色に戻されたわけだが、白より萌黄色の方が可愛い。

風見鶏の館

国指定重要文化財、ドイツ人貿易商トーマス氏旧邸。ドイツについての知識はないのだが、赤レンガの外壁と風見鶏がこの地域のシンボルらしい。

画像10

暖色系の外壁で凝った作り。内装は重厚なドイツ伝統様式。

北野天神から見た風見鶏の館。こんな場所に人が住んでいたんだなぁ。素敵だが老後は坂が大変だなと思ったが、お金持ちには坂とか不便とか関係ないのかもしれない。元王族の二人もカナダのバンクーバー島というとても辺鄙そうな高級住宅街に住んでいるし。

神戸の街並みとうっすら海が見える。

画像11

日曜日なのに思った以上に混雑していなくて、景色を堪能できた。

神戸北野天満宮神社

平清盛が京都から神戸に都を移して、「福原の都」をつくるにあたり、京都の北野天満宮から勧請して祀られたと言われている。

西日本に来るとちょいちょい平清盛が出てくるので、平家の栄枯盛衰を感じる場面が多い。

画像12

画像13

また階段。

画像14

境内はこじんまりとしていて、優しい穏やかな光に包まれている。ちょっと境内の椅子で休憩だ。

さらに坂を上り、うろこの家、山手八番館、北野外国人倶楽部に向かう。途中所々荒廃している場所があって趣深い。観光地はこういう場所が突然ある。赤坂TBS横にも古い家屋があって、誰も住んでいないようだが家だけが残っていたり、池袋のサンシャインの方にも人が住んでいるが古い家屋がビルに囲まれて突然ある。

画像15

大人の事情で取り残された荒廃する建物や土地、回りが栄えてれば栄えてるほど闇が深いように見える。

画像19

うろこの家は外からはほとんど見えない。中に入るか迷ったが時間が足りなそう。

北野外国人倶楽部

画像16

北野外国人倶楽部(旧フリューガ邸)は、明治後期建築の木造2階建て、切妻屋根、2階部分の外壁は、木の柱を外部にあらわしたハーフティンバー風の外観です。入口にライオンの石像があることから「ライオンハウス3号館」と呼ばれていました。
広い敷地に建てられた邸宅には、主人用と使用人用に区別されたと思われる2つの階段が設けられ、広いダイニングには、重厚な家具調度品や17世紀フランス貴族の館にあった木製暖炉が配置され、音楽室や使用人室と合わせて、当時の華やかな暮らしを再現しています。

パスを購入するとドレスをレンタルでき、写真撮影可能らしい。誰か同行者がいたら、お嬢様ごっこして楽しみたかったな。ぬえスタイルで着物を着て、明治のお洒落女子を気取っても楽しいかもしれない。その場合には着物で坂を上るのが課題である。


入口の所にいるこちらが気になり過ぎた。

画像17


うろこの家と北野外国人倶楽部の間に山手八番館というものがあった。

そこにあるサタンの椅子と言うものを見てみたかった。あまり下調べをしなかったので悪魔の椅子かと思ったが、よく読んだら違った。それでも座ってみたい。

願い事が叶うと云われている 「サターンの椅子」
ローマ神話の五穀豊穣の神、サターンの彫刻が施された不思議な一組の椅子
(サターン=サートゥルヌス・ギリシャ神話ではクロノス)
豊穣をもたらす神の名に因み「願い事が実り叶う椅子」と伝えられています。
女性は向って右側に、男性は左側に座ります。
19世紀頃に制作され、元々はイタリアの教会にあったものと云われています


軽い気持ちで歩き出した神戸の街。平安後期の武士の時代への移行や鎖国が終わり明治時代の街の高揚を感じて、何だかドキドキした。この動悸はこの急な坂道のせいでは無いはず。

奇しくも神戸に到着したのは阪神淡路大震災から25年目の日だった。地元の方に聞けば、三宮は地震前の姿に戻ったそうだが、被害が酷かった西宮、須磨のあたりはコンクリートで埋め立てられただけで街は元には戻らなかったそうだ。

その話を聞いて、神戸がどうこうという話では決してないことを強調しつつ、世の常として(人でも建物でも何でも)平家物語の冒頭部分を思い出した。

祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

仕事も人間関係も天災も渦中にいるときは辛くて、暗闇からいつまでも抜けられないような気がするし、人が生きている時間ではとても消化しきれない悲しみや怒りを抱くこともある。

それでもそういうことはよく起こるし、起こってしまったら諸行無常という漠然とした光を目指して、諦めて泣きながらでも怒りながらでも前に進むしかないんだなと思う。

ぎゅっと諸々が詰まった今の神戸も相変わらず美しいのだろう。生きとし生けるものは醜いし、はかないし、そしてやはり美しいなと思うのだ。

いつも有難うございます!