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自分が悪いのではなく、居る場所が違うのかも、という話。

最近私は、パーマカルチャーに興味を持っている。

パーマカルチャーの考え方は、自然の摂理に沿っていて、無理がなくて美しいなと想う。(当たり前と言えば当たり前だが)

特に、
「自然界にあるもので、悪いものは何もない。もしもそれが、好ましくない影響を与えているとしたら、それは、場所(置く場所)が間違っているから。その物が悪いのではない。
その物をよく観察し、その物が生きる関係性をデザインしたら良い」
と言う考え方は、とても優しくて、特に好き。

最近の日本の教育現場は知らないけれど、私が子どもの頃は、「合わないのは自分が(=その子が)悪い」と考え、「なんとかそこに当てはまるカタチに、自分を合わせなくてはならない」という空気があった。(少なくとも私は、そのような「教育」という名の変形(変身?)を強要された、と感じている)。

でも、実は、息苦しいとか、なんか辛い、なんか合わない、なんか違和感を感じる、という場合は、自分が悪いのではなく、いる場所が違うのではないだろうか?
違和感が消えるように無理に自分を押し殺すのではなく、自分が無理なく深呼吸できるような、伸び伸び自分であれる場所に、移動してみたらいいような気がする。

合わない場所に、合わない植物を置いておくと、いずれは枯れて、死んでしまう。人間も同じじゃないかしら。

なんか元気が出ない、なんか、辛い、なんか苦しい。

そんな時は、自分に合う場所を探す時なのかもしれない。

それは決して逃げではないし、そもそも、逃げちゃダメって、誰が決めたの?

これも自然界を見たらわかるけど、ライオンが走ってくるのに、逃げないシマウマはいないよね。
「逃げたら負けだ」とか言って逃げなかったら、シマウマ食べられてジ・エンド。

そう考えると、この社会は暗黙の了解とか、常識、世間、教育、しつけ、という名の、変な洗脳がはびこっている。(特に日本はそういう同調圧力が強い気がする。韓国とかもそうらしいけど。儒教の影響なのかな?)

私たちは過去を振り返り、「軍国主義って、怖いよね〜。思考停止,洗脳怖いよね〜」「ナチス怖いよね〜。ユダヤ人だからアウシュビッツ送りでガス室とか本当、おかしいよね〜」と当たり前のように思うけれど、今の世の中だって、未来の人たちから見たら「●●が当たり前と思われていたなんて、おかしいよね〜」ということ、沢山あるんだろうな。
(例えば、すでに思い浮かぶものとして、私が子どもの頃、「24時間働けますか?ビジネスマーン、ビジネスマーン、ジャパニーズ・ビージネースマーン」というCMがあったけれど、今の感覚からしたら「働けるわけないじゃん。超おかしいよね。っていうかパワハラCM?日本のGNP上げるためのプロバガンダ?」という感じだし)

このテーマは、現在進行形で考えていることであり、特にオチはないのだけど、何というか、変な「長い物」に巻かれず、自分の感覚を大切に、自分自身を大切にして生きていきたいなと思う。

そして迷った時,色んなことが分からなくなった時には、自然の中にヒントがある気がする。

そういう意味でも今私は、パーマカルチャーなるものに興味を持っていて、もっと勉強したいなと思っているのです。

という、自分のためのメモ。

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