カルトの洗脳が解けた方が幸せなのか 9

カルトの洗脳が解けた方が幸せなのか。
カルト宗教から抜けるため。関西に引っ越すことを決意してまず始めたことは仕事探しでした。

今までパートの仕事しかしてこなかったので初めてと言っていい就職活動でした。ズームで面接をしていく中でアジアで働くという求人があり、気持ちが久しぶりに高まりました。今まで信じていたものが嘘とわかり希望がなくなっていたので、アジアに行くならそれが希望になるかもしれない。

(ちなみにエホバの証人2世は正社員をせずパートの仕事で奉仕活動に打ち込むように洗脳されているのでほとんどの方が中高年になってもアルバイトやパートをしています。これがこの組織の大きな罪、犯罪と言ってもいいと思います。人生を奪う洗脳は本当に怖いって思います。)

エホバの証人でない父の援助のおかげで20代前半にワーホリでカナダに行ったり、沖縄では観光業で働いていたんですが、その周りの職場の同僚の影響でTOEICも点数は持っていたのでそのことを真剣に考えて面接を受けました。
ただ実際に決まるかという時に辞退させてもらったのは、この40代前半で海外に英語のスキルだけで言ったとしても日本に帰ってきたら何か残るだろうか、もう一つスキルを身につけておきたいと思ったからです。

それでこれは個人的に兼ねてから勉強したかったプログラミングを学びつつお金を貯めることを2年くらいしてから考えようと思いました。これが正解だったかはまだわかりません。
でも幸運なことにそれなりにお金ももらえる仕事がすぐに見つかり関西に帰ることにしました。仕事が決まった時はとっても嬉しかったです。心から嬉しかったです。

その時のJWの反応は元JWの方ならわかると思いますが、ほぼ無反応。彼らは仕事に興味を持っておらず、会衆という組織の中で何をするかしか興味がないからです。実際今になって思いますが、仕事も神に対する奉仕とは言っていますが、組織の活動が第一なのがわかる生ぬるい働き方をする人が多いと思います。
一方観光業の仕事場の周りの反応は『おめでとうございます!』でした。『これが普通の反応だよね!』って思っていました。
必死になって探して雇ってもらえた仕事。
本当に嬉しかったです。洗脳から覚めてからは職場の人が本当にいい人とわかるようになり、働くことは沖縄での楽しみになっていました。

勉強をしてお金を貯める決意と共に、いろんな感情を抱えながら、もう二度と戻ることはないと心で知りながら桜の咲く季節の頃に関西に引っ越しました。

幸せだったか。会衆でもサプライズで送別会をしてもらえて最後なので名残惜しんでもらえるので、また仕事でも送別会をしてもらえて、最後の月は楽しかったなって思います。そして最後の夜は沖縄の那覇の焼肉で夫婦で飲んでました。寂しさや嬉しさ、これからの不安などいっぱいですが、とりあえず『お疲れ様でした。』


懐かしの那覇の景色

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