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真実が明かされると、また真実が隠される~アントン・シンドラーの捏造~

昼間の暖かさい分、放射冷却で寒々しい夜。渋谷の松濤ではある人物にまつわる熱気あふれるピアノコンサートが行われました。

ベートーヴェン捏造
ー名プロデューサーは嘘をつくー
ピアノ・コンサート

ベートーヴェンの無給の秘書として、その人生のほとんどを捧げたアントン・シンドラーについて。
今現在残るベートーヴェンの有名な逸話には、このシンドラーが捏造したものが多く残っているそう。まだ東西ドイツ時代の東ベルリンで開かれた「国際ベートーヴェン学会」で明らかになったそうです。
耳が不自由になったベートーヴェンは周囲の人々へ、自分が話す時はそのまま口頭で伝えたものの、返答については「会話帳」に記入してもらっていました。その「会話帳」の研究チームが、現存する「会話帳」の中に後から意図的に付け加えられたもの、書き換えられたものがあると発表したのです。
その改ざんを行ったのが、かのシンドラーでした。
彼がなぜそのような行為に及んだのか、それを修士論文として書き上げ、さらにエンターテイメント小説として我々にもわかりやすくまとめてくださったのが、かげはら史帆さんです。

そして、今夜のコンサートはこの書籍の内容を実際の楽曲でなぞってみようというものです。演奏は内藤晃さん。以前、調布のしらべの蔵シューマンの「子どもの情景」「献呈」を聞いて以来ずっと気になっている方です。

プログラムは、演奏の前後に内藤さんとかげはらさんがその曲にまつわるエピソードを披露。サロンコンサートならではの知識と演奏の両方を楽しめるものです。

~イントロダクション~
ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 Op.13「悲愴」ー第2楽章

メトロノームにあわせて演奏がはじまる。これはシンドラーが嫌っていたベートーヴェンの弟子であるツェルニーが決めた演奏速度、54にあわせてある。演奏の途中でかげはらさんがメトロノームを止める。まったく正確に同一のテンポでは表現しづらい。シンドラーはメトロノームを嫌い、ニュアンスによってテンポのその都度変化するものと言っていたそう。このあたりはもっともな言葉である。

~「運命」は、つくれる?~
交響曲第5番 ハ短調 Op.67ー第1楽章(連弾編)

交響曲第5番、今は「運命」という名で広く知られているが、この名前の由来にはシンドラーの捏造らしい。というのも、弟子のツェルニーがベートーヴェン自身から「あの冒頭のモチーフはキアオジという鳥の鳴き声だ」と聞いたという証言があります。シンドラーが一つ嘘をついたおかげで、すっかりどちらが正しいのかもしくは更に真実があるのか、わからなくなってしまっている。ただ、ベートーヴェンは散歩をしながら曲想を得ていたというのは事実であり、そこから考えるとあの冒頭の「たたたたー」はキアオジの「チチチチチチチー」から着想を得たというのもよくあることだと思う。
賛助出演の石田ユキさんと内藤さんの連弾で、シンドラー版第5番とキアオジ版第5番を聞き比べる。キアオジ版は軽快な印象だけれど、後につづく第3楽章と第4楽章の底辺からはいのぼって爆発する歓喜のような表現があると、シンドラーが「運命」と名付けてしまったのもわからないでもない。
つまり、シンドラーのおかげでこういった二つの説が至るところに現れるようになり、ベートーヴェンの作品がますますわからなくなっていく・・事態に陥っているのである。

この後、ディアベリのワルツの主題による変奏曲の登場人物紹介や、リースなりきり即興演奏、世界初演、シンドラーのピアノ・ソナタ、そしてベートーヴェンのピアノソナタ27番と続くけれど、今日はこの辺でとめておきます。
最期にシンドラーのピアノソナタについて一言申したいのだけれど、ぜんぜん「がっかりした」思いはなかった。我々と同じような凡夫が必死に紡ぎ出した駄曲。全体的によく思い出せないが、冒頭のあのモチーフだけはなかなか耳に残って消えない。あるいみ清々しいほどの素人っぽさ。それは、少しでも憧れの巨匠に近づきたいとあがいた事がある人なら、わかるかもしれない。
シンドラーを嫌うどころか、ますます憎めずにいる自分が、そこにはおりました。


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