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自分の悪しき特性を見直す(急接近傾向と嫌悪感情)

数日前に「依存」は私を揺らす、なんて仰々しいタイトルで文章を書いたことを少し後悔している。

依存という概念に全ての罪をなすりつけ、対人関係の構築において自分が真っ先に反省すべき点に全く言及できていなかったことに今更、気づいた。

誰に弁明しているの?とツッコむ自分もいないではないが、なんだか自分がとんでもなく卑怯で嘘つきのように思えて苦しいので、つらつらと書いてみる。
(なんだ、結局は自分のためじゃないか)

共通点⇒親近感⇒急接近

正直に言う。

誰かと新たに出会ったとき、共通点を見つけると忽ちに親近感が湧き、嬉しくなって急接近してしまう傾向が私にはある。
(最近は自重しているつもりだけど……)

そして私から急接近しておいて「距離感がおかしくなってる!」と自らの失態に気づき、慌てて心理的距離の調整に入る。
相手視点では「突然冷めたような退いた態度をとられた。なぜ?」と感じるかもしれない。
見捨てられ不安を持っている人なら、パニックに陥ってしまうだろう……。

あああ、散々母親にされて辛かったことと同じようなことをやってしまっている。
不確実な距離感。たまに近づいてきたかと思えば突然離れていく身勝手さ。
ああはなるまい、と固く誓いながらばっちりトレースしている我が身の愚かさ。

都合の悪い「鏡」を必要以上に嫌う

上記を踏まえて前回提示したAの件を考えなおしてみる。
(苦手なパターンの対人関係として一方的な依存/執着を挙げた。そのときの登場人物がA)

まず、私に急接近しようとしたAを遠ざける権利など自分にはなかった。
「人に急接近する傾向」が自分にもあることをきっちり意識したのは少し前で、その傾向を自重できるようになり始めたのはごく最近だ。

散々「一方的に依存/執着されるのは苦手」と言って、私に急接近しようとしたAから静かに距離をとり、挙げ句の果てには自ら縁まで切り、自分はお気に入りの人に対する依存欲求を抑圧しているのに〜などと言いつつ、口汚く理不尽な怒りをnote上で示したのは誰ですか?

……私です。本当にすみません。

自分の中で(当時は潜在的に)「よろしくない/まずい」と思っていた傾向、つまり「人に急接近する傾向」をたまたま持っていたAに対し、必要以上に嫌悪感情を抱いていた可能性が出てきた。

自分が直視したくない特性を持っているAは私にとっては都合の悪いものばかり見せる「鏡」になってしまったのではないだろうか……。

私への急接近を試みただけでなく、臆面もなくその特性を悪いほうへ進め、攻撃性や依存感情を投げ込むという結末まで示したA。
その姿を見た私は「自分もこのように振る舞う可能性があるのだ」と無意識に考え、恐れたと思われる。

そしてその恐怖を恐怖として処理せず、実際は限りなく似たもの同士だというのに、自分だけ被害者面をしたのだろう。最低だ。

Aの攻撃性に対しても最初は怯えつつ、最後はハムラビ法典よろしく攻撃には攻撃で対抗して泥仕合に発展したような……やり返した時点で喧嘩両成敗だというのに。

まとめ:対人関係構築の際の注意点

前回の記事で詳細に語った「依存欲求が生む悪循環」よりも、先に目を向けるべきは「人に急接近する傾向が自分にもある」ということだった。

そして自分の認めたくない特性を持っている人を必要以上に嫌うのは同族嫌悪だ、と誤魔化さずに認識することも重要だと感じる。
人よりも自己嫌悪の強度が高く、自分の中の気に食わない部分を他者になすりつけ、そこに更に自分を見出すのだから本当にタチが悪い。

最後に、対人関係構築の際の注意点を考えなおしてみる。(何度目……😥)

・共通点を見つけたからといって親近感を覚えて「過剰に」喜ばないこと
(過度な理想化や同一化を避けよ)

・自分には人に急接近する傾向がある、と自覚すること
(最初から適切な距離を意識せよ)

・同族嫌悪だと気づいたなら、自分と他者を切り離して考えること
(必要以上に嫌うな、自分の中の気に食わない部分を他者になすりつけるな)

上記は一般化できるとは思わない。
あくまで私の場合、である。

でもBPDを抱えている人はもしかしたら似た傾向を示すかもしれない。

自分の良くないところから目を逸らさず生きられるようになりたいね、と語りかけるように終わってみる。

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