育休復帰と産後クライシス

「産後クライシス」という言葉がある。
離婚率1/3の多くの要因が産後二年間に急激に夫婦仲が悪化することによるという論説だ。

産後、女性は身体的にも、精神的にも、社会的にも、嵐のような変化を強要させられる。ダメージを負った身体で、満足な睡眠を取れない日々が数年単位で続く。助けを求めようにも求められない社会に当事者として気付いていく。その状況を引きずったまま会社に復帰して、それまでは好ましく見えたこともすっかり手のひらを返して壁として立ち塞がる現実に、失望に失望を重ねる。

産後、非常事態宣言下の世のように生命を守るだけで精一杯になってしまった妻による、まだ平和な国に呑気に生きてそうに見える夫への失望を説明したものが「産後クライシス」である。

同じことが、夫でなくても、職場にも言えるのではないか。

非常事態宣言から一年、やや落ち着きを取り戻しつつあるものの、まだ復興途中の荒れた国から出勤し、仕事をする。仕事を短時間だけ行い、帰宅したら延期した復興作業。最初はやれるかと思っていたけれど、そんな日々が3ヶ月続き、半年続き、非常事態宣言した国は再び荒れてくる。一方で半年もすれば仕事のほうの要求が増えてきて、全体のボリュームが手に負えなくなっていく。

このときに、仕事で日々をともにする人々は、荒れた国を知らない。当人もあえて荒れた国の話題をそんなに出さない。
会社を1日休めば1日休んでいると思うかもしれない。実際には、荒れた国の復興作業が常に目の前にある場所で、気兼ねなく休まらないし、ともすればタスクをしないと、と動いてしまう。休むのは子どもがその場にいない時間帯だけである。土日に休みはない。

そんな背景のタイミングで、平和で呑気に見える異なる国を生きている人々の言動に失望するのは当然である。
休みのない時間を削って本質的ではない会議に参加しなければならない。なけなしの体力を削って遠方に行かなければならない。知らないうちに決まっている無理なスケジュールに乗らなければならない。そして奇妙な論理で短時間であっても一人前の仕事をするようにという言動をされてしまう。時短勤務で給料はしっかりと25%近く激減しているにもかかわらず。チームだから。チームだから?チームが私に何をしてくれるというのか。情報共有という名目で資料作りや会議に体力と時間を削りとるだけではないか。

疲弊して、もう本質的なことと生きていくために自身に長期的に必要なことと休むこと以外は何もしたくない私に、マイクロマネジメントは逆効果だ。

「産後クライシス」によれば、産後二年間の失望は、その後の平和になったあとでどんなに取り戻そうとしても、もはや取り戻せないという。人間とは感情的で、ヒストリカルな生き物である。

夫だけでなく、会社や職場や周りの人間に対しても、大なり小なり、産後クライシスによる信頼関係の毀損は起きているのかもしれない。

知らないうちに、二度と立て直すことはできないくらいに、会社や上司や職場に対する信頼を、愛着を、当事者から奪い去っていないか。もはや淡々と業務実行する、冷めた夫婦のような関係になり始めていないか。

実際、多くの子持ち女性が、「割り切る」という言葉を使う。子どもが大きくなってからも。
「割り切る」化は、単に身体的、時間的な制限のみによって引き起こされたことなのだろうか。産後クライシス的な、失望の上に失望を重ねたための学習性無力感が、要因としてあるのではないだろうか。

できれば、愛着も信頼も、長く勤めようという会社に対して、そんなに失いたくないものである。
互いにどうしたら良いのか。
答えは未だにわからない。

#育休復帰 #コラム #テキスト #産後クライシス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?