書評 「野党第一党 保守二大政党に抗した30年」を読んで


野党第一党を研究し尽くしてるジャーナリスト尾中香尚里さんの著書である。

基本的には立憲民主党へのエールでもあり、今後の立憲民主党に何が求められるかを示す良書である。

その中で触れられていたのは、平成の野党の歴史は基本的には改革保守対民主リベラルの争いであったということだ。

今の立憲と維新の対立もそうだし、かつての民主党はそれが党内対立としてずっとあり続けた。

こういう歴史を振り返ることは、非常に大事である反面、個人的にそこで思ったことを記していこうと思う 

1.なぜ保守二大政党論に期待を寄せられるようになったのか。

この本でも、社会党の万年野党体質に関しては非常に厳しい評価をしている。

ただ、ここで気になったのが、なぜ保守二大政党待望論へ繋がったのかという記述が足りない点。

個人的には2つあると思ってる。
まずは土井ブームの終焉。

土井さんは圧倒的な人気があった。
ただ、1991年の統一地方選で負けたことで、「土井おろし」が勃発し、辞任に追い込まれました。

社会党の万年野党の体質にも絡んでくることですが、土井さんがいた時に党改革ができなかったかとも大きかったのかもしれない。

民主党の時ですら労組依存と散々言われたが、社会党のときはそれはもっとだった。
なので、労組に入らないと新規参入というのは今以上に難しかったとも言える。

次にJリーグブーム。

それまで、日本のスポーツは野球が圧倒的な強者で、中でも巨人が圧倒的な人気だった。
巨人は高度経済成長時代にV9を達成したこと、テレビの普及も相まって、特に地方で圧倒的な基盤を作った。
この点でも自民党と巨人というのは、体質的にも非常に似ており、民主党はある意味でアンチ巨人なら何でもいいという性質と似てたのかもしれません。
(枝野さん、福山さん、前原さんは阪神ファンという共通項もある)

ただ、そこにJリーグというのがやってきます。
言ってみれば、日本のスポーツの構造を根っこから変えたのです。
極端に言えば、巨人かアンチ巨人に規定されたものを打破したとも言えます。
で、Jリーグが誕生したのが1993年5月15日。

その1ヶ月後に宮澤内閣不信任案が可決したのを見ると、やっぱりどっかで意識せざるを得なくて、新しいものへの期待がさらに高まったのかもしれません。

(また、この時期は相撲も千代の富士が貴乃花に負けて、引退に追い込まれたり、曙が外国人初のの横綱になったりと、世代交代や大きな変化があり、それを受け入れられる土壌がこういう所から作れたとも言える)

2.山本太郎という存在

この本の中では、民主党の保守政治家にかなり期待が寄せられてきた歴史にも触れてる。
(泉健太への評価が難しいのは、彼自身もそれなりにそういう期待をされてたという側面もあり、何なら枝野さんや福山さんもかつてはそういう側面は持っていた)

ただ、ここで気になったことがある。
だとしたら、なぜ山本太郎がこの10年生き延びたんだろうかと。

彼が政治家になったのは、脱原発からであり、もっと言えば、2013年の参院選で民主党の候補者調整失敗の棚ぼたの恩恵を受けたと言われたらそれまでかもしれません。

過大評価なのかもしれませんが、民主でも共産でもない左派にターゲットを定めた数少ない政治家であり、それが下野したあとの民主、民進、立憲がずっと悩まされる要因になってると思うからです。

90年代後半には、保守二大政党が持て囃されて、それに抵抗する形で民主党が作られましたが、やっぱりそのどちらにもついていけない人が一定いるんじゃないかと思います。

それが90年代後半には共産党の躍進の原動力になったのかもしれませんし、今なられいわが一定のボリュームを得るまでになった要因かもしれません。

もっと言えば、野党の保守政治家が過剰に期待された反動なのかもしれません。

最近思うことは、ここにケリをつけないとなかなか立憲民主党のさらなる発展は難しいんじゃないかということです。


3.国民民主代表選

これは時間の都合上書けなかったので、致し方ない面がありますが、
この本が完成したあとに国民民主党の代表選挙が行われた。

この本を読んで思ったことは、前原さんに関して指摘された「ALL for all を掲げてるのに、なぜ新自由主義の維新に接近しようとしてるのか」というものは、やっぱり無理があったということです。

同時に前原さんは改革保守を主張し、非自民・非共産に頑なに拘ったのを考えると、

当時の京都で、非自民・非共産というのは非常に守備範囲が狭く、言ってみれば結集しやすかったのでしょう。
(だからこそ、改革保守に流れざるを得なかったのかもしれず、それが泉健太という人の立ち位置を難しくしてるのかもしれない。)

ただ、京都の自民党は大物政治家の引退、京都市長選でも保守分裂の公算が出始めてることで以前より弱くなっており、共産党も高齢化や除名問題できつくなっていることから、以前のような構図では無くなってるからこそ、前原さんの主張が余計に響きにくくなってるのかなと。

(ただし、政策的には前原さんと枝野さんは基本的に一致しており、違うとしたら政局へのスタンスぐらい。)

一方で、玉木代表は民主リベラルと改革保守を融合させた政策が多い。

どっちにも与したくないというのが透けて見える。

こうやって見てると、民主党の縮小再生産とも言える。


国民民主党についても触れてないわけではないが、基本的に旧国民の話であり、新国民は2021年衆院選以降、かなり性質が変わってきてるのも確か。
連立話や矢田わか子の首相補佐官入りは、旧来の民主党・民進党支持者なら激ギレしてるかもしれないが、今の国民民主を支持してる人はむしろエールを送るというところからも考えないといけない。

4.自己責任社会と支え合い社会

尾中さんは著書の中で「目指す社会像」ということを強調してた。
何かと言われる直諫の会でも、青柳陽一郎氏は神奈川県連の大会で「サッチャーの時代は終わった」ということを言っているので、そこら辺の基本認識は共有されてるので、心配はない。

これが、ちゃんと伝わってるのかどうかの問題はあるが。

ただし、思うことがある。立憲民主党が子育て・教育政策に力を入れることに案外疎外感を感じる人もいるのではないかと。

夫婦別姓や同性婚は、もちろん推進すればいいが、それも所詮は家族を前提にしてるというのをどこまで理解してるのか気になる。
極端に言ってしまえば豪華な付録みたいな感覚であればいいと思う。

自民、立憲、公明、共産…
保守かリベラルか問わず、家族を前提にしてるので、独身というものにあまりにもスポットが当たらなさ過ぎてて、それがいまいち対立軸になりきれてないんじゃないかと。

で、れいわ新選組は家族や子育てにほとんどと言っていいほど触れていない。

枝野さんはそれを意識してるのか、住宅政策や非正規公務員の問題に触れてたが、

ホーユーの給食の問題で露呈したように、民間委託の問題点、人気取りのために「給食費無償化」を求める圧力の狭間を見てても、ここら辺にもっとアプローチしないといけないのではないかと思う。

支え合う社会を目指すのはいいんだが、そこにエッジか効く何かを載せないと難しいんじゃないかと。


この、尾中さんの本は、コアな支持者や関係者にこそ読んで欲しいものだと思う。

それをさらに政策面で進化させていくことが立憲民主党の役割になってくるだろう。



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