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「建築」「建物」のあり方を考える

帝国ホテルの旧本館。
かの著名な建築家、フランク・ロイド・ライト
よる設計として知られている。
よって、通称「ライト館」と呼ばれている。

その旧本館で使われていたという
机と椅子が、帝国ホテルのロビーに
展示されていた。
「ライト館」は、マヤ文明をイメージして
設計
されたそうだ。
そのイメージを踏襲して、展示の床面には
それらしき模様が施されており、机と椅子
との調和も取れている。

現在の帝国ホテル本館は三代目。
昨年の3月に、四代目に建て替える計画
発表されたのはご存知の方も多いかも
しれない。

完成予定が2036年というから、
まだあと14年も先である。
コロナ禍で稼働率に苦しんでいた事態を
打開すべく、タワー館の客室をサービス
アパートメントに変更
したところ、
瞬殺で売り切れた
のは記憶に新しい。
そのタワー館の建て替えを先行実施し、
その後本館の着工となる。

この本館のデザインを担当するのが、
上の記事にある通り、田根剛氏である。

1979年生まれというから、43歳。
若干26歳でエストニア国立博物館の
設計を任されて以来、世界を股にかけて
活躍してきた。
今はパリを中心に活動されている。

そんな田根氏のインタビューを、
10日ほど前の読売新聞で拝読した。
印象的だったのが、彼がたどり着いた
結論、持論を述べているところ。

スタイルを街に押しつけてはいけない

読売新聞(6月5日)

スター建築家と言われる人たちがいる。
その建築を見ただけで、
「あー、○○さんの作品だね」
と分かるような人。
それはそれで立派なあり方かもしれないが、
その街に溶け込むかと言われたら、
必ずしもそうではない。

建築は、もっとその街や、そこに住む人を
支えるべき存在
ではないか。
ひいてはその社会を支え、つくっていく
存在
であるべきではないか。

そのためにも、その場所でしか発見できない
記憶をたぐり、その場所のために行う建築を
「発見」
する。
その場所ならではのアイデンティティーを
つくっていく。

そんなことに思いを致し、
自分なりの方法論を確立した様子。

確かに、有名な建築家の作品がドーンと
お目見えすれば、「人寄せパンダ」として
機能し、しばらくは賑わうのだろう。

しかし、お祭り騒ぎが一段落したら、
その建築物が街に溶け込んだかどうか
問われることになる。
あまりにもその街から浮いてしまい、
単に「消費」された状態となって、
街自体の魅力を下げかねない。

建築というのは、ある意味インフラである。
「社会資本」「社会基盤」と言い換えた方が
いいかもしれない。
それゆえ、刹那的な、「消費」されてしまう
ようなものでは困るのだ。

ぼくの仕事は考古学者に近い

同上

「温故知新」という言葉がピッタリ来る。
古い記憶を掘って掘って掘りまくり、
そこから新しさが生まれ出づる。

古代から積み上げられてきた人類の叡智を基に、いまとは違う豊かさを感じ、考えられる、そんな場所にしたい

同上

田根氏のたどり着いた境地、考え方に
深く共感する。
帝国ホテルの見事な人選にも
拍手喝采を送りたい。
完成が今から待ち遠しい。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。