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後継者の正しい選び方

近年、日本では「事業承継」について
語られることが多くなっているのは
ご存知の方も多いだろうと思う。

多くの中小企業は、家族でやっていたり、
一人会社だったりして、経営者の年齢が
上がってきてもはや仕事を継続するのが
難しくなってくると、さて、誰に、どう
やって引き継ごうかということが問題に
なるのである。

売上があっても利益が出ていないとか、
そもそも売上も利益もごくわずかという
ことであれば、単純に畳んでしまうと
いうのがシンプルな結論。

しかし、曲がりなりにも売上と利益を
あげて来て、世の中に必要とされてきた
会社であれば、やはり誰かがその事業を
継いで、世の中に貢献し続けて欲しい

ところである。

これが、大企業となれば、さすがに
後継者がいないという状況にはなく、
「我こそは!」という候補がひしめいて
いるに違いない。
当然、出世競争が社内で繰り広げられた
末に、誰が社長の座を射止めるのかが
社内だけでなく社外からも大きな注目を
浴びることになる。

VUCAと言われる非連続の時代。
これまでやって来たやり方をそのまま
踏襲するだけでは、経営者としてとても
勤まらない時代。

そういう時代に合って、後継者はどの
ように選ぶべきなのか。

先日拝読した『シン・君主論』には、
日立製作所の話が出てくる。
最近の日立グループの躍進ぶりは、
色々なところで取り上げられている
が、その基礎を築いたのは間違いなく
川村隆・元会長中西宏明・元会長
お二人と言われる。

このお二人の共通点。
それは、日立の中で本流ではなかった
ということ。
「冷や飯」を外で食べてきたからこそ、
本丸に戻ってから、客観的な目で状況を
分析・把握し、本質的な改革を断行する
ことができた
ということだ。

同じような事例として、AGCも挙げる
ことができる。
「旭硝子」の方が、まだ通りがいいかも
しれない。
そのAGCの、島村琢哉会長が社長に就任
した際の経緯に関する話を、親しい方から
伺う機会があった。

旭「硝子」という位なので、事業の核は
当然ながらガラス。
島村さんが入社した頃の同社では、
「ガラスでなければ人にあらず」
という言葉がある程、ガラス部門の力が
強かったそうだ。

そんな状況下にあって、島村さんの配属は
当時マイナーな化学品。
塩ビなどの素材を取り扱う仕事。
一度その分野で仕事をし始めると、
他の分野に異動することはほぼない
カルチャーのようで、それ以降化学品
一本のキャリアだったようだ。

しかし、島村さんはその配属に腐ること
もなく、着々とキャリアを重ねた。
インドネシアの現地JVで社長を務める
などして、化学品部門の業績を押し上げ
続けた。

時代が進むにつれ、ガラスの市場における
需給は大きく波打ち、東欧や中国などの
廉価品に押され、収益が悪化していく。
当然、AGC内でのガラスの位置付けも、
花形から「構造改革の対象」へと変化した。

ガラス部門はそれでも祖業であり、
「コア」事業。

そのガラス事業を改革することは、
ガラス一本でやってきた人間には
難しい。

恐らくそのような判断があったに
違いない。

加えて、東日本大震災の時に、部下を
必要以上に心配させないよう、目の前の
重要な仕事の手を止めないように、
しっかりとマネジメントをしていた
様子が、前社長に認められた。

そうして、島村社長が誕生するに至った
ということである。
日立の川村さん・中西さんと同様に、
本流からは外れたところで粛々と実績を
上げ続けていた人を、上がしっかりと
見ていて抜擢をした
というのが、
素晴らしいところ。

その人事が見事的中していたことは、
AGCの現在の業績が絶好調に見える
ところ、特に化学品の利益貢献度の
高さと伸びが著しい
点からも推し量る
ことが可能だ。

「かわいい子には旅をさせよ」
昔から言うが、これは経営者育成にも
そのまま当てはまる、ということなの
ではないだろうか。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。