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元祖・パラレルキャリアといえば

「パラレル」という言葉には、
「平行」「並行」という訳が
充てられている。

「パラレルキャリア」となると、
「並行してキャリアを持つ」という
ことになり、これを一言で表すと
「複業」という単語がしっくり
来そうだ。

この言葉、言い出しっぺはドラッカーだと
言われている。
『明日を支配するもの』の中で、
「もう一つの世界」を持つことを
推奨しているのだ。

背景として、組織が続く時間よりも、
人間が生きる時間の方が長くなってきた

という現代の社会状況がある。

もちろん、すべての会社、組織に
当てはまるものだとは思わない。

しかし、日本においても昭和の時代には
妥当と思われた60歳定年という「常識」が、
制度疲労を起こしている
のは間違いのない
ところであろう。

「副業」を持つことだけでなく、
NPO活動ボランティア活動に生きがいを
見い出すこともまた、パラレルキャリアの
一つのあり方である。

そんなわけで、このパラレルキャリアと
いうコンセプトは、比較的新しい概念と
して認識されていると思われるが、
職業は世襲が当たり前だった江戸時代
既にこれを地で行っていた人がいる。
私と苗字が同じ、平賀源内だ。

彼が生涯に携わった事業、職業は、
正確には数え切れない。

本業は、「本草学者」というのが定説。
「本草学」というのは、薬草になる植物を
育てたり、研究する学問
だと思えば良い。
当時はまだ医薬品会社など存在しないので、
その代わりを果たしていたと言える。

その本草学者という枠に収まらず、
彼が手を出した仕事を一部列挙してみよう。

・科学者(エレキテル修復)
・戯作者(小説家)
・浄瑠璃作者
・俳人
・画家
・精糖産業
・たたら製鉄業
・窯業(「源内焼」という名の焼き物)
・コピーライター(「本日土用丑の日」)
・鉱山開発(金銀銅)
・木炭生産
・国産毛織物
・展示会プロデューサー

ここに列挙しきれていないものも
まだあるが、一旦止めておく。

いわゆるシリアルアントレプレナー
(連続起業家)
と呼ぶにふさわしい。
次々と、興味の赴くままなのか、人に
乞われるままなのかは分からないが、
とにかく凄まじい数の仕事をこなして
いたのは間違いない。

これを見るに、好奇心の旺盛さ
群を抜いていたのだろうと推測する
ところである。

パラレルキャリアを考えるにあたっては、
この「好奇心」がポイントだと思う。
自分自身の「好奇心」が発動するものを
いかに見つけ、その「ワクワク」する
心の赴くままに行動
していく。

パラレルキャリアが世間でよく話題に
のぼるからと言って、それを追求する
ことは義務でも何でもない。
だからと言って、何も考えないという
のも、今後の社会生活における一抹の
不安を掻き立てるところだ。

まずは、自分の好奇心を満たすもの
何なのか、それを自身で掘り下げてみる。
そして、源内さんがあれこれ手を出して
みたように、好奇心の赴くままに手を
出してみる

それが重要だと思うのである。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。