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白石正明さんが退職する

白石正明さんが退職する。

といっても、出版に縁がない人だと、もしかすると「誰のこと?」と思われるかもしれない。医学書院で「ケアをひらく」というシリーズ(2024年3月現在シリーズ43冊)を手掛けてこられた編集者である。

※精神看護2024年3月号は白石さん特集号である。率直にいって頭のおかしい企画だと思う。

1999年、僕は新卒で医学書院に入社した。そこで、白石さんに出会った。それ以来、僕は意識的にも、無意識的にも、白石さんの背中を追い、あるいは白石さんの影から逃げ出そうともがいてきたように思っている。

といっても僕は白石さんから、何かを手取り足取り教えてもらったことはない。直接の上司になったのも、入社から10年経ったあとだ。にもかかわらず、今日までの25年ほどの間、白石さんは僕にとって最高のメンター(という表現は苦手なのだけど、しっくりくる言葉があまりない。要するに「指針」みたいな人、ということです)であり続けた。

なんでそうなんだろう、と思うと、ひとつの事実に突き当たる。それは、白石さんが、僕の編集者人生のなかで初めて、「仕事を任せてくれた」人だったからだと思う。

当時でも、実際の年齢を聞いてひっくり返るくらい若々しかった白石さんは、入社直後の僕らをよく、ランチに誘ってくれた。当時の白石さんはちょうど、広井良典先生の『ケア学』という書籍、すなわち、「ケアをひらく」シリーズの第1作を手掛けている最中だった。

入社1年目の右も左もわからない僕に、白石さんは、ケアをひらくシリーズの著者たちのインタビューまとめを、次々任せてくれた。いま思うと恥ずかしいクオリティのまとめだったと思うけれど、できあがったまとめを読むと、白石さんは「ありがとう」「いいインタビューだったね」と言ってくれるのだった。

僕は幸運にも、出版業界の歴史の中でも稀有なシリーズである「ケアをひらく」シリーズの誕生のときから、白石さんの近くにいることができた。それは僕の仕事の、いや人生にとって、あまりにも貴重な時間だった。

といっても、当時のひよっこ編集者の僕には、白石さんの仕事の何がすごいのかは理解できていたわけではない。ただ、あまりにも無垢の状態で出版業界に入ったためか(※僕はもともと出版業界に強い憧れを持っていたわけでも、無類の読書家でもなかった)、ただ「すごいことが起きている」ということだけは、肌感覚で理解できた、というだけだった。

そんな白石さんの仕事に触発されて、僕は仕事に打ち込むようになった。(もしそうじゃなかったら、僕は万年定時退社で、アフター5はパチンコとビリヤード、そして卓球に明け暮れる人生を送っていたことだろう)

その結果、企画した本が、岡田慎一郎さんのデビュー作である『古武術介護入門』である。

この本は結果的に、専門書では異例のamazonトップ10入りをするなど、ヒット作になった。医学書院という専門書出版の中では異端中の異端の変な企画を、「おもしろいじゃん」「書籍いけるよ」と背中を押してくれたのも、白石さんだ。

白石さんが「ケアをひらく」シリーズの新作を出すたびに、僕は新しい著者に出会い、インタビューをさせてもらうことができた。内田樹先生、福岡伸一先生、春日武彦先生、熊谷晋一朗さん、綾屋紗月さん、立岩真也先生、川口有美子さん、川嶋みどり先生……。こうしたそうそうたる方々に会い、インタビューをさせていただくことができたのは、ひとえに白石さんのおかげだ。

とりわけ、僕の編集者人生にとって(それは同時に、ケアをひらくシリーズにとっても、なのだと思いますが)大きな企画が、「べてるの家」に関連したものだ。

僕の根っこのところには、「言葉(本)で世界は変わらない」というニヒリズムがあると自覚しているのだけど、べてるの家は、思想レベルでも、実践レベルでも、それを軽々とちゃぶ台返しをしてくれる存在だ。

ランチのとき、白石さんがべてるの話をしているときは、正直なところ、そこまで革命的な何かだとは思っていなかった。でも、実際に浦河のべてるの家に出張取材に行かせてもらい、べてるの家の人たちと実際にふれあい、向谷地生良さんや、川村敏明先生に話を聞き、幻聴妄想大会に出席するなかで、20代の小生意気な若造だった僕の心の中の「伽藍」は、ガタガタと音を立てて崩れた。

誰が偉くて、誰が偉くないのか。何が有用で、何が無益なのか。主体と客体、受動と能動、意識と無意識。そういった体系が崩れ、崩れたにもかかわらず、それこそが「本来」なのだと感じられる、不思議な浮遊感があった。

※べてるの家の精神科医・川村敏明先生のインタビュー。私のインタビュー仕事の中でも、指折り印象に残っている仕事です。

べてるの家の企画に関わることができたから、その後の編集者人生は確実にいい方向にいったと思えるし、同時に、だからこそ僕は、15年目にして、医学書院を出て、夜間飛行に行くことになった、とも感じる。

「ケアをひらく」シリーズのキーワードのひとつは「越境」だ。越境というのは文字通り「境界線を乗り越える」ということだけど、境界線を乗り越えるためには、その境界線が「乗り越えられるもの」として見えている必要がある。というよりも、それが「壁」ではなく「境界線」に過ぎない、ということに気づく必要がある。

この世界は実在するか、なんていう問いを立てる哲学者もいるし、僕もときおり、「ほんまに存在しているんかいな」と思うことがないわけではないけれど、この「存在している世界」の本当の姿を正確に理解している人間なんていない。

だから、この世界に存在ている「越えがたい壁(に見えるもの)」のほとんどはただの「境界線」に過ぎない。そして、境界線は越えられるし、引き直すことができる。

僕は境界線を越え、あるいは引き直すことこそが、企画であり、編集なのだと思う。それは書籍であれ、ビジネスであれ、同じだと思う。アイデアを形にする教室でも、いつもそういう話をしている。

白石さんはこんなふうに語られることを好む人ではないし、ましてや僕に語られることはあんまりうれしくないだろう。それに、退職するといっても、まだケアをひらくシリーズは、未完の企画が少なくとも数冊あると聞いている。だから、白石さんの旅路はまだ終わらない。願わくば、また白石さんと仕事のご縁がつながるとこれ以上うれしいことはない。「鳥居君、これお願い」と。

白石さん、本当にお疲れさまでした! そしてこれからもご活躍を!

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