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汚れたものを焼き払ったあとに何が生まれるだろう?

僕が子供時代を過ごした80年代の京都では、まだ「空き地で遊ぶ」という感覚が残っていた。空き地には乾燥してガビガビになって劣化した成人向け雑誌や空き瓶、もはや正体不明となった家電の残骸が散らばっていた。

遊び場所としては危険だし、教育的要素はゼロ(に見えるだろう。少なくとも、今日的視点では)だったけれど、あの頃の光景は、今でも鮮明に思い出される。

空き地の脇を流れる用水路なのか、ドブ川なのか、そういう場所も遊び場だった。川は生活排水で汚れていたけれど、汚れた川の中では、たくましくオタマジャクシやヤゴが生きていた。排水の油でテカった水の中で生きているオタマジャクシは、大人から見れば「汚い」存在だったろうけれど、子供の私たちにとっては宝であり、限りなく美しかった。

「汚いもの」が「不要なもの」になるのは大人の世界の理屈に過ぎない。子供はむしろ、汚いもののなかで育つのだ。

最近の話だけど、尼崎の下町=ダウンタウンから生まれた「汚れた」芸人が、日本の芸能界のトップに立ったそのあとに、「汚れている」がために追い落とされることになった。

『ワンピース』の世界では、ゴア王国の貴族たちが「汚いもの」を王国の外部であるグレイターミナルに追いやり続けた結果、そのゴミ溜めの燃え上がる炎の中から、エース、サボ、そしてルフィは育ち、旅立っていった。

汚れたものを焼き払えばきれいになると信じている人たちは、見事に期待を裏切られるだろう。その期待を裏切るのは、その人達が「きれい」だと信じている、子どもたちなのだ。

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