見出し画像

AIは○○を持つことができるか? chatGPTの可能性と限界

ここ数年、AIがさまざまな分野で話題になっています。昨年リリースされたmidjorneyが先鞭をつけたお絵かきAIの分野は、すでに身近なものとなってきます。そして、今年に入ってからは、chatGPTが話題をかっさらっています。

先日のアイデアを形にする教室でも少し取り上げましたが、これからのビジネスにしても創作にしても、AIの進化抜きに考えることは難しいでしょう。

ここでは、編集者としてのぼくの現状認識と今後の予測、現時点での取りうる戦略について書いてみたいと思います。

まず、現状について。gpt3、そして先日リリースされたgpt4が、AIの進化の歴史に大きな一歩を刻んだことは間違いないと思います。これは、昨年話題となったお絵描きAIのmidjorneyも含めて、AIが私たちのビジネス、あるいは生活に浸透してくる一歩を踏み出したことを表しているように思います。

もちろん、今のところ、chat GPIにしても、ミッドジャーニーにしても、キャッチアップしているのはアーリーアダプター層だけです。でも、何年かのうちには一般層も、良きにつけ悪しきにつけ、この大きな流れの中に入ることになると思いでしょう。

たとえば、「検索する」という行動が20年かけて一般の人々に浸透していったのと同じように、「AIに何かを投げかける」という行動様式が、次第に私たちの中に浸透していくことになるでしょう。

では、AIの浸透によって、何が起きるのか? 少なくともツールとしてのAIがもたらす未来像については、すでにギーク的な人々によって、十分に語られつつあります。いわく、これまでの職業は駆逐される。検索は廃れる。すべてはAIに置き換えられる。うんぬんかんぬん。

こうしたツールとしてのAIの議論は、それはそれで重要です。ただ、ぼくはそれとは別に、重要な側面が今回のAIを巡る変化にはあるように感じています。

それは、一言で言えば、「知性とは何か」ということについて、より解像度高く考える機会が与えられた、ということです。こう言うと、なにか哲学的で抽象的な議論のように感じるかもしれませんが、創作分野においては非常に実践的な問いでもあるし、ビジネスにおいても、これからの戦略を練る前提になる問いだと思っています。

たとえば、このような問いかけです。私たちは、どのようなものに「知性」を感じるのか? ということです。

今回、私たちは半導体の電気信号にすぎないはずの「chat GPT」に「知性」を感じました。これは、ひっくり返せば、わたしたちが「知性」だと感じているものの少なくとも何割かは、半導体の電気信号によって生み出せる、ということでもあります。

一方で私たちは、chatGPTとの会話に違和感を覚えます。「人間ではない」と感じる。その違和感がどこから生じているのかということが、今くらいAIが進化してきたことによって、だいぶ輪郭が見えてきたように私は感じています。

論理的な構成力については、すでに平均レベルの人間を超えているのに、わたしたちが「人間的でない」と感じるポイント。それはたぶん、AIには「欲望」がない、ということだと私は思います。

思想家の東浩紀さんがchatGPTに「何か俺に聞きたいことある?」と質問してロクな答えが返ってこなかったとツイッターに書いていましたが、これはAIに対する、非常に批評的な問いかけだったと思います。

今のところ、midJorneyにしてもchatGPTにしても、「欲望」を持っているように見えません。他者に対する興味、関心がありません。そして、私たちは、他者に対する欲望を持つものに対して、「人間らしさ」を感じるのだと思うのです。

他者に対する欲望と知性はどう関係しているか。
欲望を半導体で生み出すことができるのか。
問いはまだまだ無限に湧いてきますね。

アイデアを形にする教室

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?