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2020/02/11 不在と向き合う/ひとモノガタリ《フジファブリック 志村正彦》

帰宅後、ライブDVDを流しながら片付けをしようとテレビをつけたとき、偶然始まったのがNHK総合の「ひとモノガタリ」というドキュメンタリー番組だった。今日の放送は「若者のすべて~失われた世代のあなたへ~」と題された、フジファブリックの志村正彦をめぐる人たちの物語。思わず、そのまま見入ってしまった。凄くいい番組だった。

フジファブリックの志村氏が2009年のクリスマスイブに亡くなって10年が経った。今回の話は、この10年を志村氏の音楽と共に生きた人たちを追ったものだ。ひとりは、志村氏が「フジファブリック」を結成した当初のメンバー。キーボード担当の小俣梓司氏。もうひとりは、仙台に暮らす志村氏と同世代の女性。

「茜色の夕日」をめぐるエピソード
小俣氏は、志村氏と一緒にバンドを組み上京したけれど、プロのミュージシャンになりたい志村氏と袂を分かち、自身の夢である弁護士への道へ進んだ。番組内で、富士吉田での凱旋ライブを観客として見た当時の気持ちを小俣氏はこんなふうに話した。

「すげえ頑張ってるな」と。曲だって、あんだけ何曲も何曲も作りこんで。あいつが1曲作るのにどれだけ大変か、見てますから。あいつは本当に夢かなえたな、すごいなということもありますし、「負けてらんねえな」という気持ちがありましたね。

ここから発奮した小俣氏が弁護士の職を得たのは、志村氏の急逝から5年後だった。憧れの職に就いても知識だけではこなせるわけではない現実に直面するとき、小俣氏は志村氏の歌を聴くという。

すごい大変だったと思うんです、正彦は。
あいつはあんだけ頑張ったんだしな。そんだけ俺は頑張ってないなって。
そう思ってその曲を聴くことはありますね。まだ頑張れるって。

「若者のすべて」をめぐるエピソード
仙台に住む30代の女性
大学に入ったときには就職氷河期で、希望した会社には入れなかった。30代になって婚活をしたけれどうまくはいかなかったという。「普通に結婚して家庭築いて子供産んでてみたいな、それが当たり前だと子供の頃は思ってて。でも、年重ねていくごとに、子供の頃になりたかった大人には今なれてないです」と彼女は話した。でも、「「若者のすべて」に出会えたおかげで、私の暗く平凡な毎日にも光がさしてきました」と。

プロになる夢を叶え、速度を上げて走っていた志村氏が急逝したとき、一番無念だったのはきっと本人だろう。ともに走っていた仲間も、家族も、ファンもそれぞれに悲しみややるせない想いを抱えているだろう。
わたしはリアルタイムで彼らの音楽を熱心に聴いたわけではなく、「フジファブリック」は名前を聞いたことのあるバンドの一つ程度でしかなく、曲も代表的なものを知っているくらいだ。だから、バンドや音楽のことをあれこれ言う言葉は持ち合わせていない。でも。

人間の生老病死はどうにもならない。愛別離苦は地獄だ。
それでもわたしたちは受け入れながら生きてゆかねばならない。大切な人とその人の死が自分の今生にどのような意味をなすのかは、自分次第だ。だから、残された者は、あえてさよならを言わずに、時間をかけてその人の不在を受け入れながら生きてゆく。肉体的な死は避けられないが、残された者が「不在の実感とそこにある意味」を忘れないかぎり、その人は形を変えて生き続けるのだと思いたい。そのことが、残された者の生きる力になる。

夕方5時のチャイムに集い、志村正彦の音楽ともに生きる人たちもきっと同じなのだろう。
でも、やっぱり不在の実感はいつまで経ってもせつない。


番組中、印象に残った志村氏の言葉、この動画で見られます。彼の言葉が胸に迫って、泣いてしまった。

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《2020/02/11 補記01》
この番組はNHKオンデマンドで、2020年2月12日18時~26日まで見逃し配信があるそうです。ご関心あるかたは、是非。

《2020/02/13 補記02》
番組内で登場した仙台の女性「宙の音」さんの記事が、本記事にリンクされていたのでご紹介。


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