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田畑 実戯曲賞/二次選考まで

残ってたようです。
田畑 実戯曲賞がそもそもなんぞや?と思われた方は人間座さんのHPをご覧ください。
地味に応募していました。ただただ無心に野望もなく書けるものでもなく、それなりに書けた自負があれば人間ってのは欲が出て、意外とイケるんじゃ?と思ったりするもので……送っていました。受賞結果そのものはTwitterのタイムラインで流れてきた。受賞して日の目を浴びる西さんには「おめでとうございます!」と即リプした気がする。

自分が受賞まで届かなかったことには悔しさはない。むしろ西さんにリプをした直後脳内から忘れていた。が、今日コメントが記載された旨が流れてきて、覗いてところ
二次選考まで残っていた……!?
それだけで震えてる。先輩方に読んでいただいて、中身は触れられてないが、文章能力が成熟していると菱井さんからシンプルなお言葉をいただいて、シンプルに心が震える。指先も震える(アル中ではない)

作品自体は2018年の秋、2019年の初夏に上演している。ある程度、出演者に応じて改訂も加えており、なんだったら応募はその二回分の本を読み直して、どちらがシンプルで無駄がないかを比べながら混ぜて繋いで、ヒロイン コトリの補足を入れて……たぶん、ページ数は120頁前後くらいになってたと思う。
上演に至る前の初稿としては2018年の8月に仕事と別作品の演出と同時並行で、何故か3週間という謎の速さで脱稿したことを記憶している。

本作品は読まれる人にはバレてるかもしれないが、演劇界の大御所である岩松了さんが岸田國士戯曲賞を受賞された際の「蒲団と達磨」に大きな影響を受けている。
本筋を語るに語れない主役の男女のやり取りを、周りが好き勝手語らう中にその語れない部分について語ったり語らなかったりする。単純な読み物として岩松さんの作品は難解であることをよく耳にするが、上演するにあたって俳優たちがその敢えて書かれてなかったり、散り散りにした要素を繋いでいく形が……僕の中では「戯曲」とはこういうものであると一つの指針となり今回の「夜明け前にコーヒーを飲むな、」が書き上がっている。

上演に向けて読み合わせした時は俳優陣が「なんのこっちゃねん」と湧いてたことを覚えてる。それに対して明確な回答はしていない。
プロットを始め台詞もだが、全体の流れを気にしながら執筆しているが、登場人物個々については人間として破綻のないようドラマを与えたぬらいで、どういう意図で台詞を吐いてるかについては一緒に創作しましょうか……実際は寄り添ってもいないのだが……要所要所での点だけ指定をして、背景や内面はある程度当てがいてるし、皆々様どうにか繋いでくださいとか。
今思い返すとロクでもないのだが、過干渉すると演じてる側も楽しくなくなってしまう……
いや、何の話だ。その想像(創造)する部分があってこそ、それが戯曲が用意すべきものであると考える。
基本的に内容で伝えたいことについては用意していない。用意してこういった場所で開示して明記したら、それが作者の回答であるとして、それを前提に構えて本を読んでしまうだろうから。だから、漠然とした不穏な雰囲気が漂う男女の場面があって、何かから逃げるように面白おかしく日常を送る喫茶の場面があって……今作についてはそれだけで良い。
その二つがそれぞれを補填し合うように見れたら見やすいであろう、というような一種のガイドは用意しているが、それが何を伝えたくて本が存在してるのか。本から何が読み取れるのか等は読んだ方が好きに解釈してもらえたら良いと思う。

や、そもそも読者の数が指折りしかおらず、演じてくれた方含めてようやく10人超える数の人の目にしか触れられてないわけだが……
この読み物の文に惹かれて購入を検討される方はおられるのだろうか? もし、おられたら軽い気持ちで読んでもらいたい。読み終えたらそっと目を閉じて寝てもらっても、本の世界を想像してもらっても良い。一瞬の暇つぶしでも書き手としては充分に満足です。そこから何か触発されて手が動くようなことがあれば……驚嘆します。

田畑 実戯曲賞の選考に携わった先輩方、選考作品に挙げていただき、ありがとうござます。
上演に携わっていただいた関係者各位、それを目撃された皆々様の感想あっての応募でもありますので、改めてお礼申し上げます。

粛々と次回作に向かおうと思います。

生きる糧となります。喫茶のお茶代……ひいてはアレです、執筆のために頂戴いたします。つまり、ふへへへカフェインだ