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君は産声をあげるだろう

※息子は空に還ったけれど、息子と生きた時間を残しておきたくて、振り返りながら書いています。

臨月に入ったばかりの週末、自作のケーキで少し早めのクリスマスを祝って、さあ心残りはないぞと入院への気持ちを固めたその翌朝。布団から出たくなくてごろごろしていたら、下半身にたらりと不快な感触があった。えっ漏らした?出血?よく見ると透明な液体がたらたらと流れ出て、力を入れても止まらない。破水だった。

病院に電話して夫を叩き起こし、タクシーに飛び乗った。予定入院だからいらないかなと思いつつ陣痛タクシーを予約した数日前のわたし、本当に偉い。

当然の如くそのまま入院になり、モニターやら点滴やら色々繋がれて陣痛室に入った。そのドタバタの裏では日曜の朝にもかかわらず産科、小児科,心臓血管外科の間で緊急カンファレンスが行われていたそうで、各科の医師たちが順番に説明に来た。

陣痛より前に破水が起こることを前期破水といい、羊膜の内側が外の世界と筒抜けになることで感染症を起こすリスクがある。産科の医師によると、同じ前期破水でもなるべく長くお腹にいてもらう場合もあるそうだが、今回は週明けすぐの出産を目指して誘発をかけることになった。さっそく子宮口を広げるバルーンが入れられ、点滴で陣痛促進剤が投与される。骨盤が割れそうな痛みがいったりきたり、すでにだいぶ痛いがまだまだこれは陣痛ではないらしい。

産科当直医と入れ替わりに、いつの間に駆けつけてくれたのか小児科主治医が説明に来た。息子は三尖弁の逆流が強く、生まれたそばから心不全や肺うっ血で危険な状態になる可能性が高いという。挿管や投薬は必須、場合によっては心臓マッサージもすることになるが、それでも救命できないかもしれない。生まれた直後を乗り切れれば、先の検診で説明された通り生後数日で手術をすることになるが、これも体調が安定すればの話。手術は難しいと判断されたらお看取りということですか、と尋ねると、主治医ははっきり「そうなります」と答えてくれた。

生まれたそばから、あるいは数日で、我が子を看取ることになるかもしれない。挿管すると声が出せなくなるので、産声もきっと聞けないだろう。とても怖くて不安なはずなのに、例によって、自分ごとではなくどこかの患者さんの話として考えてしまう。

一方、面会時間が終わって病院を出た夫は、川崎大師に行っていた。息子のためにお護摩を受けに行ってくれたのだ。夫が送ってきたお札の写真には病気平癒の文字と、息子の名前。出生届はまだなので正式ではないけれど、病気が分かった時に決めた大事な名前。筆で書かれたその名前を見た瞬間、ふいに涙が出てきた。これは他の誰でもない、うちの子の話なのだ。まだお別れしたくない。生きてほしい。一緒に生きたい。

初日は夕方までで一旦促進剤を止め、翌朝から改めて投与が始まった。いよいよ本番だ。ここからは面会時間に関係なく夫も立ち会うことができる。ある程度陣痛が進んだところで無痛分娩の麻酔を入れてもらえると説明されていたが、誘発が始まったそばから骨盤が粉々になりそうだ。合間で産科の医師が内診に来るのだがこれがまためちゃくちゃ痛い。夫に腰をさすってもらいながらずっと呻いていたら、昼頃に医師から麻酔入れましょうかと提案があった。助かった。

麻酔は人類の叡智だ。麻酔を導入して何度目かの陣痛が来る頃には、強めの生理痛程度に和らいでいた。つまりはそこそこに痛いのだが、痛みをゼロにするとお産がうまく進まなくなってしまうので、このくらいがちょうどいいらしい。いつの間にか移動してきた分娩室はやたらと広く、奥には保育器や赤ちゃんの蘇生用ベッドが用意されている。頭上には手術室で見るような無影灯、枕元には酸素の配管。ハイリスクなお産をたくさん扱う施設なので、状況に応じて人や機械を集められるような広さと、ある程度の処置をその場でできるような設備を用意してあるのだろう。

この日のうちに、できれば日勤帯での出産を目指していたのだが、お産はそんなに甘くない。夕方になり、麻酔科の医師は追加の麻酔薬を入れて分娩室を出ていった。遠くで他所の赤ちゃんの産声が聞こえること数回、一方うちの息子はまだ出てこない。

消灯時間を過ぎて病棟がいくらか静かになった頃、耐え難い吐き気に襲われた。妊娠高血圧が心配になるが血圧は正常。夕飯を全部吐き出して、もはや胃液も出なくなって、それでも吐き気は止まらない。水を飲みたいが飲むと吐いてしまうので、夫が手拭いを濡らして口元を湿らせてくれた。息子が少しずつ頭を出し始めたが、嘔吐すると引っ込んでしまう。苦戦していると、分娩当番の医師の後ろに見覚えのある姿が見えた。直近の検診で「見込みがあるからこその入院」と説明してくれた、あの医師だった。なかなか産まれないので手伝いに来てくれたようだ。

のちに夫も「あの先生が来たら空気が変わった」と言っていたこの医師、本当にすごかった。特に変わったことはしていないはずなのに、明らかにいきみやすくなったのだ。小児科の医師たちがわらわらと分娩室に入ってくる。いよいよだ。必死でいきんで、なんとか頭が出たところで誰かの「ケンコウナンザン」という声。肩甲難産、と脳内で変換した頃には局所麻酔が追加され、会陰部に鋏が入っていた。できれば会陰切開は避けたかったが、一刻を争う肩甲難産でそんなことは言ってられない。

息子は産科の医師から小児科の先生に手渡され、そのまま奥の処置用ベッドに連れて行かれた。

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