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葉子、と。

よく晴れた4月25日に



 4月25日、日曜日午前10時過ぎ。快晴。
 もうすぐ五月だというのに昨日まで何日も冷たい雨が降った。今朝も霜が降りるほど冷え込んだのだけれど、天気予報によれば霜を置きみやげにして、雨と寒気団は去っていくという。

 烏丸通りの北の突き当たり、烏丸通り北大路の交差点からから少し西へいったところにあるスターバックスで尚美は本を読んでいた。
 この店には窓際に長いカウンターがあって、そのいちばん奧が尚美のお気に入りの席。ここで本を読むしレポートも書く。
 街の光とざわめきを感じているのが好きで、ファミレスやミスドや大通り沿いの喫茶店を何軒も試して、結局ここのスタバに落ち着いたのだった。

 アパートからも大学からも自転車で行ける距離であることと、大型書店とCDのチェーン店と、とびきりおいしいチーズケーキの店とがスタバからすぐのところにあったことも決め手になった。地下鉄の駅もバスのターミナルもある。ここは京都市北部の交通機関の基点となっているのだった。

 テーブルにバックを置き、その上にさっき買ってきた新刊本が袋に入ったまま置かれている。そして尚美が手にしているのは古ぼけた緑の本。古書店で100円で買ったものです。それは元々あったであろう函もカバーもとれてしまった昭和38年発行の世界現代文学全集の一冊。読んでいるのはヘッセの「シッダールタ」だった。


 そもそもその古書店には波多野についていったのだった。彼は卒論のために正岡子規を読み込んでいるのだけれど、図書館の本だと書き込めないしコピーも面倒なので、ずっと正岡子規全集を全巻揃いで探していたのだ。それが見つかり、とりあえず手付けを払いに行くところだった。波多野が奧で支払いを済ませている間、尚美は店内を探索。なにげなく見た100円均一と書かれた段ボールの箱の中に「シッダールタ」はあったのだ。
 …高橋健二・訳…
 尚美には閃くものがあった。葉子が好きな本としてあげていたのだ。「確か新潮文庫であるはずなんやけど」と葉子は言っていたのだけれど、同じ本では?と尚美は思ったのだった。
 確か葉子は、「なんだかね、唄っているような訳なの。それがおもしろくて」と言っていたはず。

 呼びかけるような訳文の独特のリズムにはまった尚美はどんどん先へ進んでいく。
 例えば
 …おお、ゴーヴィンダよ、それをぼくは知っている…
 のような。
 

 肩をぽんっと叩かれて顔を上げると波多野が立っていた。
「お待たせ。ずいぶん長くいるの?なんだか夢中になって読んでるから」
 尚美は黒い長袖のTシャツにメッセンジャーバッグをたすきがけにしたマサルを見上げた。最近、痩せたような気がする。それでもよい姿勢と吸い込まれそうな黒い瞳は健在だ。思わず触れたくなるような磁器のような白い肌も。
「こないだ古本屋さんで買ったやつ。まるで歌ってるような台詞回しなの。なんだか癖になりそう」
「ああ『シッダールタ』か。確か葉子さんのお気に入りとかいってなかった?」
「そう」

 波多野はフレイバー珈琲を注文し、尚美は「シツダールタ」を閉じて、二人で窓の外を眺めていた。行き交う人の影が二人の上を通過していく。尚美は光の波がガラスをくぐって二人を包んでくるような感覚になった。
…いいな、こんなふう…

「正岡子規のほうは、どう」
「ああ」
 珈琲を一口飲んで、少し考えをまとめるような沈黙のあとマサルが話し始めた。
「今は中江兆民とのいきさつについて考えてるんだ。同時代の文学と哲学のそれぞれ牽引者で、ふたりとも不治の病、結核に冒されていて、二人ともそれで死んでいくんだけれども。
 …中江兆民に『一年有半』というエッセイがあってね。つまり余命一年半と宣告された兆民が病んだ自分を見つめる文章を書いているんだよ。つらつらと書きながら『いつ死んでも自分は平気だ』という境地に達するわけ。
 そのことについて子規は『仰臥漫録』で触れていて、結構きつい事を書いているんだよね。病気を売り物にするな、みたいな、ね。
 ぼくなりの『読み』だと『いつ死んでも平気だ、といえることが凄いんじゃなくて、どんなふうになっても生きていることが凄いんだ』って子規がいってるように思えるんだけど」
 
「正しいとか間違ってるとかの話じゃないわけね」
「うん。解釈はいろいろだし。子規は兆民の態度に羨望しているんだという人もいるし、いや子規は兆民を激しく否定しているんだという人もいる。死と病に対する態度としてなんだけど」
「波多野さんはどう思うの?」
「余命宣告された人間が人生に対してどういう態度をとるかだよね。…それぞれじゃないかな。それぞれが自分自身とどう折り合いをつけるかだと思う。兆民も子規もとても説得力があるよ。宣告されていない人間の方が人生に対して無自覚じゃないかと感じたし」
「中江兆民って…ルソーの『契約論』を訳した人、ぐらいしか知らない…」
「うん。で、明治の日本に向かって『日本にはいまだかつて哲学はない』といってのけた人だよ。『無仏』『無神』『無精魂』という主張。最近の政治状況見てたら日本に哲学はないままなのかという思いもするけど」
「うーん」
「そういう人に向かって子規は『理は分かるが、美は分からない』人だといったんだ」
 尚美は明治期の哲学、文学にどんどん分け入っていこうとしている波多野の、少し早口になる話し方が嫌いではありません。

 珈琲を飲み終えたところで二人は立ち上がった。ふたりは葉子と亨と待ち合わせをしていた。場所は北野天満宮。毎月25日は縁日で、境内と周囲の道路には露店が並び大勢の人で賑わう。今月は珍しく25日と日曜日が重なり、普段は仕事でこれない亨も今日はゆっくりできるから「いっしょにぶらーっとしない」という葉子からの誘いだった。

 北大路バスターミナルからバスに乗り、混雑する北野天満宮前を避け、二つ手前のバス停で降りると二人は北側から歩いて境内に向かった。碁盤の目の街だからこそできるやり方である。
 空は相変わらず抜けるような青。風は乾いていて少しひんやりしている。北から東側に回ると道路は通行止めになり、両側にびっしりと露店が並んで人があふれかえっていた。今日は外国人が多いようだ。
「どれが京都在住の外国人かあててやろうか」
 と、波多野が尚美の顔を覗き込みなが悪戯小僧のような眼をして言う。
「私だってわかるとおもう。例えば…ほらあの人」
 尚美が視線でさした外国人が草木染めの布の店の前に佇んでいた。
 金髪、青い眼、黒のパンツに紺のセーター、素足にサンダル、あごひげ。
「ぴんぽん」
「あの人も」
 炭のような皮膚の色、黒縁の眼鏡、ジーンズに白いズック。
「あ、手ぶらの人間を選んでるだろ」
「ううん、京都にいる外国の人は痩せてる人が多いから、それが基準…って、あてずっぽうだけど」

 葉子と亨と落ち合う場所は園芸の出店が多い東側のエリアです。尚美と波多野が人の海をゆらゆらと歩いていくと、その手前、本殿の門の近くで帽子を売っている露店に二人がいました。

「へへ。見いつけた」
「こんちわ」
「あ、お二人さん相変わらず仲がいいわねえ」
 尚美はバス停からずっと波多野の腕に自分の腕を回し、ぴたりと身体をつけていた。
「どう、似合う?」
 そういいながら亨が帽子を被って振り向きました。ここはボルサリーノとダックスのカジュアルなハットばかり売っている露店である。
「いけてますよ」と、波多野。
「なんかハットをあみだにしてぶらぶらしたい気分なんや」
「ふふふ」
 葉子は黙って笑っています。
 亨はお金を支払い、その場で頭に載せました。
「さあぶらっといこか」
「わたしはね、トマトの苗を買おうと思ってるの」と、葉子。
「私も何か欲しいなあ」
 と、尚美。その時波多野の目は古本の露店に向かっていました。
「波多野、尚美ちゃんについていき」
 亨にそういわれて波多野は苦笑い。

「あら、あの指輪、綺麗ね」
「ほんとに」
 アクセサリーの露店に向かう葉子と尚美。

 マサルの背中を亨が黙ってぽんっと叩きました。四人は人の海に融けこんでいったのだった。

                          (了)    

●「シッダールタ」ヘルマン・ヘッセ/高橋健二訳(新潮文庫)
●「世界文学全集 Ⅱ-16 ヘッセ」(河出書房)昭和38年発行


緑の眼


 灰色の天蓋から細い雨が点線のように降りてくる朝だった。
 
 ベランダに出て空を見上げる葉子の顔に、滴がぴっぴっと弾ける。
「今日どうやろう。行ける?」
 葉子はダイニングに戻り、珈琲をいれている亨に声をかける。
「うん、ええよ」
 膨らんでくる珈琲の泡から目を離さずに亨が答える。ラジオからは終日の雨を予報する声が部屋に流れている。

 葉子がことのほか天気を気にしだしたのは上賀茂の大田神社で杜若(カキツバタ)が見ごろになったというニュースを聞いてからだった。太古からその地に群生しているという青紫の杜若は結婚する前から二人で毎年見に行っていた。ただし条件つき。必ず雨の日に見ること。それは亨が言い出したことだった。
 結婚してからは亨の仕事が休みの日であることも条件に加わったけれど、今年も雨の日を待っていたのだ。


 バスで賀茂川を渡り、終点の上賀茂神社からは歩きである。傍らを水路が流れる古い道を東へ、郵便局の前で北へ。静かな住宅街を行った。点線だった雨は絹糸のようになり、少し強くなった。
「亨さん、いつだったかここに来た雨の日に画家の名前をゆうてたでしょう。誰だっけ」
「ターナー。晩年やけど。ほら混然一体となる感覚」


「あ、そうやったそうやった。さっきからなかなか名前が出てきいひんかって…。あの時の雨は激しかったね」
「うん、覚えてる。あの日は水煙がたってた。一面の濃い緑に青紫の花がいくつも浮かんで、しかも全体がぼやけて」
「うん、そうそう。なんだかすごかった。全部溶け出したような感じ。綺麗やった。亨さんが『雨の日がええんや』てゆうてたん、なるほどと思たもん」
「…綺麗やったな」

 亨が「雨の日の杜若」を最初に経験したのは小学四年生の時だった。自転車で市内のあちこちに「遠征」する楽しさを覚えた頃で、その日も友達と上賀茂神社を目指して走ってきて、大田神社をたまたま見つけたのだ。
 その時は夕立に遭った。あわてて友だちと境内に駆け込み雨宿りをしながらみるみる表情を変えていく杜若の群落を、じっと見てた。
 晴れている間はきらきら輝いていた緑の葉は影を帯びて深い色に沈み、鮮やかに眼に飛び込んできていた青紫の花はその緑の海を漂うように揺れだした。じっと見入っていると、その緑の下にまるで何か生き物が潜んでいるような感覚に襲われた。雨で生き物が覚醒し動き出したような感覚。そうしているうちにこんどは群落全体が生き物のような感覚に襲われた。色は水煙の中で溶けあって一塊になったよう。雨が激しくなればなるほどその感覚が強くなった。
 …眼や…
 亨は直感した。
 杜若の群落全体の中に眼がある。眼だけがある、と感じたのだ。そしてその眼に射すくめられているのを感じた。だけれど心には怖さと同時に、とてつもなく美しいものを見ている感情が湧き起こっていた。


 二人の行く左手に大田神社が見えてきた。鳥居の手前に群落がある。今では開発が進み、それほど広くはないけれど、かつてはこの一帯にもっと広く群落していたという。
「あ、綺麗に咲いてる」
 柔らかな雨に濡れて杜若のたくさんの青紫が今にも空中に流れ出ていきそうに見える。
「静かな優しい雨やな」

「亨さん気いつかへん?」
「え」
「私たちが結婚してからずっと優しい雨なの。出かけるときに激しくても私たちがこの場所にくると優しいの。つきおうてるころは激しかったけど」
「そういえばそうかもなぁ。昔は激しい雨で風景が渾然一体となって、なんだか凄みがあったよね。そやけど…うん。確かに今日も優しい雨やね」

 亨は一面の緑を見渡した。青紫の花が浮かんで微かに揺れている。そういえば以前のよう「眼」を感じることはなくなった。沼は静かに眠っているようだ。

 ツバメが雨を切って低空を鋭く滑っていく。その時何かが一瞬光り、消えた。緑のうねりは黒い影を孕んで雨の中に沈み込んでいく。亨はじっと杜若の群生を眺めていました。「眼」の事はまだ葉子に話していない。 

                             (了)


雨が上がったら


 五月だというのに真夏のような暑さが一週間続いた。おかげで花村家のベランダではミニトマトが早くも実をつけはじめ、大宅さんの庭ではゴーヤがどんどんと蔓を伸ばし始めていた。

 たしかに日中には真っ青な空から強い光が街を灼くように降り注ぐのだけれど、毎日午後四時頃になると、きまって空にシェードがかかったように灰色が流れだした。
 空の南の際、大阪の方向には青空が微かに残り、西の愛宕山の方向からは光が差しさえするのだけれど、京都市街の上空の灰色はどんどん濃度を増していき、やがて夕立が降り出すのだった。

 だいたいその時刻は葉子が買い物から帰る時間帯だった。空が暗くなるに従って、葉子の視界の中には小走りで帰りを急ぐ人や洗濯物を取り込む人が頻繁に登場するようになる。そんな街を歩いていると、葉子は少し気忙しくなりながらも、妙にわくわくしてくるのだった。地面を叩きつける雨の強さも好きだし、何かもがすっきり洗われるような感覚もいいし、それが短時間に終わるというのもいい。おまけに止んだあとのすっかり澄んだ空気も素晴らしいし。

(ほら稲びかり。)
 今日も葉子は家に向かって歩いていた。
 少し遅れて地響き。

 そしてからからに乾いた鋪道に黒い染みが、びしっびしっと打たれていく。
 今日も夕立が始まった。
 雨はあっというまに激しくなり、路面はまるでドラム・ロールのような音を立て、あたりは真っ暗になった。

 葉子の行く手に両手で白い植木鉢を持った女の子が一人立ち尽くしていた。少し困った表情の顔が雨に洗われて、白いシャツと赤い地に青と緑のチェックのスカートが雨に浸食されていっている。葉子は思わず傘を差し出した。
「はい。もう大丈夫」
「あ…」
 女の子はまるで言葉をそこで忘れてしまったような声を出した。

 白い植木鉢には斑入りの大きな緑の葉に囲まれて鮮やかなレモンイエローの花が咲いている。
「濡れちゃったわねえ。ん、カラーの花?」
「…はい」
「きれいな花やねえ。でもこれ持ってたら傘、させへんね。ちょっとうちに雨宿りしていき。すぐそこやから」
「…あの」
「ええのええの。この雨、じきに止むやろし。それまでね。こんな雨の中歩いてたら風邪ひいてまうよ。お家はどこ」
「西町です」
「うん、まだ距離あるやん。このあたりは隠れるところがあれへんし。さ、行こ」
「ありがとうございます」
 女の子の声がやっと言葉を結んだ。

                   ※


 波多野は珈琲を啜りながら思いを巡らしていた。見つめる窓の外では晴天が一気に崩れ、雨が降り出したところだ。机の上には読んでいた文庫本。そしてぶ厚い辞書。数枚のメモと万年筆が置かれている。

…「町」と書くべきか「街」と書くべきか、いつもそこで迷ってしまう。…
                   (「78」吉田篤弘)
 大好きな作家の、文庫本に書かれたその一文が「思い」の始まりだった。それはちょうどマサルが京都の事を書くときに迷う事と似ていたからです。
 「78」という作品のなかでは、「港町」というように海に近づくほど「町」と表記したくなる、と書かれていた。海から離れ、海を望むように地点に立つと「街」だ、と。

 京都の場合は海はないけれど、「町家」という言葉があるし、「町」と書く方がふさわしいとマサルは思う。だけど京都の中心を思うと「街」と書きたくもなる。その違いには何か生理的なものさえ感じるのだった。

 それで波多野は白川静先生の「字訓」を引っ張り出した。漢字にどれほど豊かな感情と意味が込められているか、鮮やかに説いてくれる白川先生の著作は高価ではあったけれど一冊は手もとに置かねば、と手に入れていたのだ。

 それによると「町」は古代の区画整理における田畑の「あぜ」が由来だった。「町」の大きな括りが「坊」であり、現在でもその名残の地名が残っている。 一方「街」は道路を主とする意味だった。

 しかし、成り立ちはそうだとしても、波多野にはその使い分けに何か皮膚感覚に近い感覚があるように思えるのだった。多くの作家たちはそれぞれこだわって使う漢字がある。そのこだわりに似たものがあるように思えるのだ。波多野か好きな吉行淳之介であれば「影」ではなく「翳」であるとか、「体」ではなく「躯」を使うように。
 マサルはメモ用紙に「町」と「街」と書いてみた。

 なるほど「町」には「田」という字が隠れているし、「街」には「行」という字が隠れている。
 …うーん。「行」か。「街」という字には流れるイメージが貼り付いているのかな…

 マサルは外を見た。雨は上がっていた。
 マサルは本を閉じ、机を片づけ、珈琲を飲み干した。立ち上がりマグカップを洗い、水切りに入れると、チェックのシャツを羽織り、紺のキャップを被って外に出た。

 ピーナツバターを買いに行くのだ。朝食のトーストにピーナツバターを使うのだけれど、波多野はクランチタイプが好きで、尚美はクリームタイプが好きなのだった。ちょうどクランチが空になったところで、これからは尚美の好みに合わせる事になっていたから。

 雨上がりの「街」をゆっくりと歩いていく。今歩いている道は、昔からあったといわれている道。ゆったりと曲がっている。このあたりは碁盤の目の市街地からほんの少しはみ出たところです。至る所に古道の名残が残っているのです。寺へ通じる道、神社へ通じる道、あぜ道…。

 栗の花の匂いが強く薫ってきた。小川が流れている谷に向かって歩いていった。谷底に向かうにつれて今度は強い香水の匂いがたちこめてきた。ここから川を渡り、向こう側の坂を上ったところに一条通がある。坂を行く黒いピンヒールと黒いストッキング黒革のミニスカートが見えた。
「うーん、ここは『町』かな」

                   ※

「はい。ちょっとじっとして」
 葉子は女の子の髪をキッチンの椅子に座らせて、ごしごしとタオルで拭いていた。女の子は葉子のトレーナーを着ていて、シャツとスカートは急速乾燥中。
「大丈夫?」
「はい」
「五年生?六年生?」
「五年生です」
「雨、もうすぐ止むから、ね。ほらあったかいミルクでも飲んで」
 葉子は自分の買い物をテーブルに置き、自分もホットミルクを啜ります。
 玄関には女の子が大切に持っていたカラーの白い鉢が置いてあった。
「大切な花なん?」
「はい」
「へえ。よかったらわけ聞かせてよ」
「え…。えーと。あのー同級生の友達が転校するんです。その子に去年この鉢を渡してたんです。うちではどうしても花が咲かなくて…。その子は枯れそうになった花や捨てられた苗とかを育てるのがバツグンやって、学校の花壇とかの手入れもいつもしてて。うちのんもでけへんかなあ、て聞いたら、ええよ咲かしたるよ、てゆうてくれて」
「へえ、バツグンなんや」
 女の子はこっくりと肯きました。
「咲きそうなになってたんやけど、私をびっくりさせようとおもて、綺麗に咲いてから渡したかっんや、て今日学校まで持ってきてくれたんです」
「でもそんなに急な転校なん?」
 女の子はまたこっくりと肯きました。
「もう授業の途中で帰えらなあかんぐらい急やって…大阪のほうとしか聞いてへんし…」
「ふーんそうなんや」
「なんや嬉しいけど、悲しいような気持ちになって、ぼおっとしてて…」
 顔に照れたような淋しいような笑いが浮かんでいる。 
「そうかあ。大事な花やね」
 女の子はまたこっくりと肯きました。
「あ、そうそう家の人は?電話しとかな心配しはるよね」
 女の子は机に置いた携帯で時間を見ると「まだ仕事やし」と呟きました。

                   ※

「あ、葉子さん」
「あら波多野君」
 二人は谷底の小さな橋の上で出会った。葉子は白い植木鉢を持った女の子と小川を見ているところだった。
「なにしてるんです?」
「へへ、薄暗くなってきたからね。ここ蛍が飛ぶよねえって話してたん」
 隣で水色のランドセルを背負った女の子がにっこり笑っている。
「蛍?こんな川で、ですか」
「そうよお。毎年飛ぶんよ。ねえ」
 女の子が肯いた。
「今度一緒に見ようてゆうてたん」
 坂の上でバスが止まる音がした。
「あ、お母さん帰ってきはったよ」
 女の子が白い植木鉢を抱えて走っていった。坂の上には市バスの「お尻」が見えている。
 葉子と波多野がゆっくりと坂を上っていくと、坂の上に女の子とお母さんらしい女性の姿が現れた。会釈をして葉子たちを待っているようだ。


「雨上がりは空気が綺麗やね」
「でもこの匂い、なんとかなりませんかね」
 二人は小さく苦笑いしながら坂を上っていったのだった。

                              (了) 


 傷


 六月も終わり近く、桂の若葉も肉厚になり葉脈もふかくなった。そして、その心臓に似ているという輪郭がくっきりとしてきた。
 桂の木はお寺の西側にある漆器工房の玄関先にある若木で、四年前に家を建て替えたときに植えられたものだった。高さはまだ3メートルほど。
 樹の緑の中でも葉子はことさら桂の葉が好きだ。楠や椿のような艶はないけれど、風景に溶け込んでしまうような緑だから。それよりももっと好きなのが陽に透かしたときのこの木の緑。その明るさ。それはこの若木でも味わうことができるので、葉子は晴れた日にはいつもこの木のそばに行くのだった。
 梅雨の晴れ間だった今朝も見ることができたのだけれど、葉子は見なかった。少し亨のことが心配だったから。それは二十六日から続いていた。

「『みな月』食べてね」
 夕食の後、葉子は小皿に和菓子をのせて自分と亨の前に置きいた。
「麦茶でいい?」
「うん」
 亨はテレビの阪神対中日戦をぼんやり見ながら、まるで気のない返事だ。
 と、ふいに我に返ったように
「あ、今日は三十日やねんな」
 葉子に顔だけを向けて確かめる。

「そう」
 氷に見立てた白い生地の上に小豆ののった「みな月」という和菓子を、夏越しのお祓いとして六月三十日に食べる習わしが京都にはある。
「気分はどう。少しは楽になってきた」
 そう言いながら葉子は、椅子に座り亨の顔をじっと見つめた。
 この日は気温が三十度を超える蒸し暑い日だった。前日、夜遅くまでサッカーワールドカップの日本対パラグアイ戦を見ていたための寝不足とも相まって、亨の顔には疲れた表情が浮かんでいた。しかし理由はそれだけではなかった。
 六月二十六日、配達のために智恵光院通りを今出川から丸太町に向かって軽四トラックで南下しているときに突然、胸がつかえるような気分の悪さをおぼえ、それがなかなか治らなかったからだ。

 通りの名前にもなっている智恵光院というお寺は青空駐車場が境内をいびつな形に浸食していて、通りから見るとどこからどこまでが寺の境内なのか一瞬わからなくなる。ビルの狭間に雑然とした継ぎ接ぎの土地が放置されているような印象を亨はいつも感じていた。

 そのとりとめのなさは南北に西陣を突っ切って走るこの通りの、どこか底が抜けたような茫漠とした雰囲気にも通じているようにも感じていた。しかしその日の亨はそれが無性に気に障ったのだった。もちろんそんな風に感じる自分にも不審な眼を向けていたのだけれど。

 軽四は下立売(しもだちうり)通りとの交差点で止まった。道なりに南下すればすぐに丸太町。右に曲がれば江戸時代から続く山中油店がある。その店には…。
 と、そこまで何となく思いが回った時、もしやそれが原因では、と気分の悪さの原因にに当たった気がした。車を駐めて山中油店に確かめに行ってもよいのだけれど、下立売り通りは一方通行なうえにとても狭い通りである。亨は信号を越え軽四を停めると、スマホからインターネットにアクセス。キーワード「西陣空襲」を打ち込んだ。

 亨の「予感」は的中した。しかしネットで確かめた情報を前にして、亨は、じゃあその「何を」今、感じているんだろう。そもそも本当に空襲が言いようのない気分の悪さの原因なのかどうか、考えてみた。だけど「やっぱりそうか」と感じる自分がいる…。

 昭和二十年六月二十六日、正午頃。京都市内は米軍による空襲を受け、智恵光院通りに沿うように七発の爆弾の直撃を受けた。
 京都では爆撃による火災の延焼を防ぐために市内のいくつかの箇所で道路を強制的に拡張する「建物疎開」が行われていた。智恵光院通りもその一つだったのだけれど、まるでそれをあざ笑うかのように智恵光院通り付近、つまり西陣の真ん中が爆撃されたのだ。 即死四十三名、重軽傷者六十六名。


「みなさん京都でも空襲があったんですよ」
 小学校の授業で先生がそう語りかけてきたことを亨は思い出していた。そして山中油店にはその時の爆弾の破片が展示されていることも。爆撃された地点の中にはいまだに「街の隙間」のままになっている所があることも。それこそ現在、駐車場として使われていたり。
 中学生の時に自転車に乗って見に行ったその「現場」はどことなく寒々しい気が漂っているようだったことも。
 …なんだこの気分…
 自分はいったい何に感応したのだろう。車の中で亨は、自分の体と心を覗き込んでいた。


「西陣の空襲のこと、まだ気にしてるん」
 みな月を食べながら葉子が亨の顔を見つめています。
「うん、まだちょっとな。たしかに学校で教えてもろてたけど、普段意識せえへんやん。覚えてへんやん。それがあの日はどうしたんやろ。何か穴が開いたままになっていて、そこにはまり込んだような気分ていうか…なんていうんかな…気分が悪いというか、ちょっと治しようがない哀しい気分になって…」
 亨が何に感応したのか、葉子にも亨にも何となく分かる気がした。なにせ爆撃された同じ日の同じ場所なのだから。
 だとしたらこれは癒しようのない傷なのだろうか。  

「うちのお父さんがようゆうてた。よその人から『よろしいなあ京都は空襲がなくて』なんて言われるけど、そのたびに、そうやないんですって説明するんやて。西陣だけやないし」
「そう馬町(東山五条を下がって東側の付近)でもあったしな」
「なにより京都は貴重な文化財があるから米軍が爆撃を控えたという説にがまんならん、て。そんなこと絶対にありえへんて言うてはった」
「『説』ていうなら原爆の投下候補地やったというほうが当たってるかもしれへんよな。でも葉子、京都の空襲を『癒されない傷』というんやったら日本も世界も傷だらけだよね。それこそもっともっと治しようのない傷に溢れている…」
「うーん。…そうやねえ」

 会話は途切れ、二人は「みな月」を食べ、麦茶を啜った。
「爆撃のあった日の前日は北野の天神さんの縁日やし、四日後は『みな月』をたべる日やったんやね」
「そう。今と変わらへん」
「そんな日々も壊れたんやね」
「そう」


 静かな夜。葉子は明日の朝、晴れたのなら、亨といっしょに桂の若葉を見にいこうと思うのだった。あの葉から透けてくる明るい光を浴びたい、と。

                               (了)

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