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葉子、と。

夏の終わり


 八月中旬、兵庫県で多数の犠牲者を出した豪雨が、その凶悪な雲を引き連れて京都までやってきた夜、花村家の月下美人は11個もの花を咲かせた。部屋中というよりも家中が甘い香りでむせかえるほどになり、亨と葉子はたまらず鉢をベランダに戻したぐらいだった。
 雨の飛沫を浴びながらゆっくりと花は閉じてゆき、今年の月下美人は終わった。

 次の日の朝、花骸を捨てたあとも月下美人の薫りが残るベランダに、乾いた涼しい西風が吹いてきた。葉子はしばらくその風を浴びていた。久しぶりの優しい風の感触だったので。
 昨晩の豪雨の被害を伝えるラジオの声が外まで聞こえてきた。それを聞くともなく聞いていると、福知山の友人が心配になった。
 昨晩の大雨による被害は兵庫県中部の佐用町で最も酷く、その東である兵庫県の朝来でもかなり降ったようだった。友人が農業をしている京都府福知山市天座は朝来に近かったのだ。
 携帯をかけてみると、煙草と酒と太陽に灼けた声はしかし、元気いっぱいだった。確かに豪雨ではあったけれど天座は大丈夫だったとのこと。ただ稲の生育状況はあまりよくないという。

「ところで葉子ちゃんのとこ、ゴーヤ食べる?」
「もちろん。二人とも好きですよ」
「あんな苦いの、好きなん。ふーん。じゃいくつか送るわ」
「はあ…あ、ありがとう」
 たしかに好き嫌いとどの野菜を作付けするかは関係無いといえば無いのだけれど、なにかヘンだな、と思いつつ、やっぱりお百姓さんにだって嫌いな野菜があるんや、と葉子は妙に納得したのだった。
 福知山では夜になると、もうクツワムシが鳴いているという。
「体があいたら被災地にボランティアでいこうと思うんや。ほなね」
 友人はそういって電話を切った。
 
                  
                 
 数日後、亨のその日の仕事はクーラーの取り付けだった。
「突然クーラーが止まったの」と連絡してきたお得意様(犬と暮らす婦人。庭にはたくさんの植栽がある)は「明日からお盆休みやったんですよ」という亨の言葉に目を丸くして「ああ間に合ってよかった」というのだった。そして「私はいいんやけどこの子がね」と犬の頭を撫でるのだ。
 犬は十八歳。腰椎が悪く、真っ直ぐに歩けなくなっていた。「この子が暑さを我慢できないから」、と。

 クーラーは1997年製。亨はポンプが壊れているのを確認し、そして今日取り付ける新しいクーラーのパンフットを婦人に渡した。
「最近の製品は昔のに比べて電力消費が少ないんですよ」と、説明した。ふーん、という婦人の声はパンフと一緒に床に向かって降りていく。
 古いクーラーをはずすと隠れた壁紙にはカビがついていた。それを見ながら亨は「それに内部を自動で掃除する機能もついてますから」と付け加えた。
 表に回り室外機をはずすと、中には観葉植物の蔓が侵入していた。蔓を引き抜いていると全身から汗が噴き出し、夏の光線は容赦ない眼を刺してくる。たまらず顔を上げタオルで汗を拭うと一瞬、ひやりと乾いた風が触れていった。
 (あれ?涼しい)
「このへんちょっと綺麗にしますね」
 そういって亨は室外機周りの蔓や雑草を引き抜いていく。少し開いた窓から「まあそんなことまでやってくれはるの」と、婦人。
「機械の中まで蔓が入ったらまずいんで」

 庭がずいぶん荒れてるな、と亨は思った。婦人は亨の目線を観察でもしていたのでしょうか、亨がそう思った瞬間「犬が年をとってから庭のことまで手が廻らなくなってねえ。枯れちゃっても仕方ないわよね」と、いうのだった。
 全体に雑草が生い茂り、例えば塀の横の木槿の根元には白く丸まった花がらがたくさん転がっていて、いくつかは茶色に溶けだしていた。また日陰には蘭系の植物の鉢がいくつも並んでいるのだけれど、どれもこれも節から高芽ができ、白い根が空中に噴き出していて絡みあっている。そして多くの古い茎が痩せて艶を失い枯れつつあった。
 それぞれの鉢に白い小さなプレートが刺してあり、名前が書いてある。
 オンシジウム、デンドロビウム、シンビジウム…。
「ふむ。じうむじうむじうむ、と」
 そんな亨の呟きが聞こえたのだろうか、婦人が外に出てきてその鉢の一つを持って家の中に入っていった。ずいぶん急いでいる様子。無言だった。
 
 亨の作業は順調に進み、やがてクーラーが動き始めた。
「助かったわ」
 ほっとした表情の婦人は、手に小さな深緑色の鉢を持っている。テーブルの上には新聞紙が敷かれ、安全剃刀と土が載っていた。

「これね、庭を綺麗にしていただいた御礼。デンドロビウムの株分け。綺麗な花が咲くから。ね、邪魔やなかったらもらってちょうだい」
 亨が作業している間に、婦人は高芽をひとつ、古い茎の節から白い根ごと剃刀で切りとって小さな鉢に植えつけていたのだ。
「少しずつでもこういうことやんなきゃね。あなたがせっせと庭の掃除をしている姿を見てたらなんだか恥ずかしくなっちゃってね。犬のせいばかりにして私、何にもしてなかったわ。あなたにこの鉢を渡そうと思ったらできたんだもの、ちょっとずつでも綺麗にしなきゃね。」
 そういって、にこり、と笑いかける婦人に、亨は、ぺこりとお辞儀をして鉢を受けとったのだった。

                   

 花村家のテーブルの上に小さな深緑色の鉢が置かれていた。デンドロビウムの新しい葉はてらてらと光っていて、茎はどこまでも伸びそうな精気を放っていた。
 今日は八月十六日。お盆の最後を彩る五山の送り火の日だ。去年は波多野と尚美といっしょに近くの高校の屋上まで行ったけれど、今年は二人とも里帰りをしていた。

「洛星高校の屋上に行く?」
「うーん、今年はなんだかぶらぶらしたいな」

 八時の点火のだいぶ前に二人は外に出た。目指すは嵯峨野。五山の中で滅多に見ることが出来ない「鳥居形」を久しぶりに見てみることにしたのだ。  嵐山行きの電車に揺られて終点まで。駅からぶらぶらと嵯峨鳥居本の山へ歩いていった。同じ市内でもあきらかに闇が深い中を。
 嵯峨野には平安時代からの史跡もたくさんある。そのうえ大覚寺の裏山の菖蒲谷池周辺からは先土器時代の石器までたくさんみつかっていた。なにより開発規制のために大きな建物もネオンも一つもなく、自然環境にかぎっていえば京都市内で、古の雰囲気をいちばん残しているともいえるのだ。
「嵯峨野ってなんだか歴史が剥き出しになってるみたい」
 と、葉子がいうと
「いい田舎が残ってるよね」と、亨。
 そして二人とも夜を歩いているだけで何故か懐かしい感覚になるね、と。

 やがて行く先の山肌が明るくなった。どうやら送り火の点火時刻になったようだ。闇の空に白い煙が見えた。暗い通りのところどころには人が塊になってさらに深い暗がりをつくっている。その人のかたまっているところが送り火の見えるポイントなのだ。デシカメのフラッシュが光っている塊もある。その一つの塊に二人は近づいていった。


「もっと先に行く?」
「ううんこのへんでええやん」
 住宅街の路地のむこうに、鳥居の形に燃え上がる山肌が見えました。
「ああ久しぶりに正面から見たなあ」
「うん。子供の時以来かなあ」
 近所の人や僅かな観光客たちなのでしょうか、集まっている人たちの声がくぐもって聞こえた。
…何だか夢の中のような…
 葉子はちょっと不思議な気持ちになった。みんな確かに何かしゃべっているようなのだけれど言葉になっていないのである。人たちはみな闇の中にいて顔が見えない。その人たちがゆうらゆうらと揺れながら、なにごとか声にならない声で囁きながら送り火を見ているのだ。
…え?これは?この人たちは?…
 なにかわけのわからない違和感と予感に体と神経が反応し、葉子は亨の体にぴたりと寄り添った。すぐにがっしりした亨の大きな手が葉子の肩を抱きとめてくれた。

「葉子、さすがに嵯峨野の夜は涼しいなあ」
「うん」
「もう夏も終わりやな」
「うん」
 葉子は亨のシャツの裾をきゅっと握りしめるのだった。

 (了)

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