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葉子、と。

きゃらぶき


 日曜日、葉子と亨はテーブルを挟んで座り朝食後の珈琲を飲んでいた。
「ねえ亨さん、今年はツバメが多いと思わへん?」
「あ…そういえばそうかなあ」
「うちの周りをたくさん飛び回っているんよ」
「例の『甘夏作戦』は関係あれへんよね。ツバメが食べるのは虫やし」
「うん。そういえば去年、万年筆屋さんのシェードの下に巣を作ってたでしょ。結構大変だったんだって。虫を追いかけるのに必死で、時々体にぶつかってくるんやって」
「ひなが待ってるし、一生懸命なんやね。だけど速いからなあ…けっこう怖いかも」
「おばさん、大変なんやからっていいながら楽しそうなん。今年もけえへんかなあ、って」
「来るよ、きっと。必ず来るよ」

 さわやかな好天になるでしょう、とラジオから天気予報が聞こえていた。花村家では朝から窓を開け放っていて、通りからは薔薇の香りが流れてくる。
「薔薇、さすがにいい香りしてる」
「この香り、今年、初めてとちがう?」
「うん、大宅さんが去年の春に香の強い新苗を植えはって、花を咲かせないで一年間じっくり育てるから来年期待してて、て言うてはったん。たぶんそれやわ」
「ここまでこれだけ薫ってくるんやから、家の前はすごいやろね」

「さて、と」
 葉子はそう言うとキッチンに行き、山蕗(やまぶき)が水に浸けられている大きなボールをテーブルの上に持ってきた。昨日、福知山で農業をしている友人から送られてきたもの。何か収穫があると、いつも宅急便で送ってくるのだけれど、今年は山蕗がいつになくたくさん入っていたのだった。


「友人」は六十代の男性。かつて、二人の呑み友達でした。突然農業をする、といって京都から福知山へ移住して五年が過ぎています。

「たくさん山蕗をいただいたので『きゃらぶき』をつくります。『わたしんち』のやり方でするから、ちょっと面倒なの。亨さん手伝ってね」
「うんわかった。なにしたらええのん」
「もうさっと湯がいて水にさらしてるから、あとは皮むき」
「こ、これ全部!」
「そう。2キロはあるかなあ」
「げええ。日が暮れちゃうよ。これは人を呼ばなあかんよ」
「ふむ、やっぱりそうか…ということは…あのふたり?」

 亨は携帯を耳に当てています。
「あ、もしもし花村やけど。…うん、おはようさん…あのさ、ヤマブキの皮むき手伝ってくれると嬉しんやけど…うん、うん…いや『山吹』やのおて『山蕗』…うんうん…いや黄色い花の山吹と違(ちご)て、山の蕗。わかる?あれ!て、おまえ山育ちやんか。人をもて遊んだらあかん。…うんうん、みんなで昼ご飯でどう…うん。ありがと。あ、それと人が多い方がええんやけど…うんうん、じゃ、ね」

 およそ十分後に波多野が、十五分後に尚美が花村家にやってきました。早速キッチンのテーブルにつき、皮剥きに加わります。葉子が剥き方を説明します。
「茎の端から爪を立てて、上から三分の一ぐらいのところまで薄皮を剥いていくの。そう、四分割ぐらいで。で、ぐるりが剥けたら、その端を束にして一気に下に引き下ろすと綺麗に剥けるから」
「『きゃらぶき』って、どんな…」と尚美。
「『きゃらぶき』って蕗の佃煮みたいなものなの。うちは本来のやり方どおりに皮を剥くんやけど、今は剥いていないのが多いと思う。だけど感触が全然違うの。炊いたら食べてみてね」
「はい。…だけど多いですねえ」
「2キロもあんねん」亨が口を挟みます。
「時間を決めましょ。二時間でやります!!」
「はっ、隊長」と、亨。

 四人は世間話をしながら皮剥きを続けます。亨が波多野に見しゃべりかけました。
「そういえば、ネットの歌姫、最近聴いてるの」
「最近更新ありましたよ。『グッナイ・アイリーン』いいです」
「それトーコさんのこと?わ、聴こ聴こ」
 葉子がノートパソコンを小さな机ごとテーブルの横に運んできてYouTubeにアクセス。すぐに歌声が流れ出しました。

「優しい声」と尚美がぽつり。
「わたしも好き」と葉子。
 男ふたりは黙々と皮を剥きながら耳を立てて。

「お、ボールの底が見えた」
 二時間近く皮むきを続け、ボールの蕗が減り、アルミバットに皮が山盛りになった。
 亨の嬉しそうな声に全員が反応する。
「こうなったら速いよね」
 その言葉どおり四人のピッチは速くなり、始めてから二時間にならないうちにすべての皮むきを終了。葉子が即座に炊き込みにかかった。
 大きな鍋に昆布だしをはり、そこに蕗を入れ、醤油をどほどほと入れ炊いていく。
「蕗の佃煮だと実山椒もいれるんやけど、『きゃらぶき』はいれへんの。シンプルでしょ」
「わあ楽しみです」
 亨と波多野は珈琲を淹れる用意を始めた。
「葉子さん、あと一時間ぐらいだよね」
「うん」
「コーヒーでも飲んでゆっくりしててよ。お昼はどこかに食べにいこうか」
「天気がいいですからね。ほんとに爽やかだし、ちょっと歩いてもいいですよね」
「いいわねえ。出来上がるまで待っててね」

 葉子を台所で、三人は居間の絨毯の上に腰を下ろして珈琲を飲んでいた。
「いい風やなあ」
「暑くもなく寒くもなくからっとしていて…。こんな日は一年にそんなにたくさんないですよね」
「ほんまになあ…映画やったらここで三人とも、うたた寝をしてしまうんや」
「ありそう」
「で、クスノキの葉音だけが聞こえてきて…」
「ほんとに眠たくなっちゃう」
 
 尚美は広隆寺のことを亨に訊いてみた。
「こないだ勝さんといってきたんです。御火焚きの護摩木、納めてきました」
「あ、そうなん。じゃあ11月に一緒にいこうか。えっと22日は何曜日やろ」
「日は決まってるんですか」
「うん、毎年一緒」

 11月22日は月曜日だったので、亨はその日の仕事の予定をはずすようにカレンダーに書き込む。
「あの日は境内も混み合うよ。普段はとても静かなお寺だけどね」

「ええとても静かでした。それに清潔で」
 亨のCDコレクションを波多野が見ていた。
「何か聴く」
「これいいですね。カーティス・フラー」
「村上春樹の本がでるまで手に入りにくかったんだよ。でた途端にオリジナルジャケット仕様のCDが再発されたんや」
「リクエストが多かったんでしょうね」
「なんて曲ですか」と、尚美。
「FiveSpot Afterdark」
「アフターダーク」
「そう」
「そういえば今月末に新刊でますよね。読みます?」
「もちろん。ぼくより葉子が大好きなんだ。おまえは」
「読みますよ。でも図書館かな」
「だったらうちの貸してやるよ。人気があるから図書館やったらなかなか廻ってこないんやないかな」
「ありがとうございます」
「じゃあ私はその次に…」
「いいよ。いいよね葉子さん」

「いいいわよお」
 葉子がそう言いながら水飴をスプーンで掬いながら答えます。
「え、水飴いれんの」
「うん、最後の味付け。まろやかになるの」
 葉子がそう言った二十分後に「きゃらぶき」は炊きあがり、少ししてカーティス・フラーのトロンボーンも鳴り終わった。

「さあできたわよ。味見して」
 全員が小皿にとって口に運びます。
「あ、やわらかい」
「うん、やわらかい」
「ほんと、やわらかい」
「でしょ」
 四人で皮を剥いた成果がはっきりと出ていた。

 もうすぐ昼ご飯の時間。行き先を決めずに四人は外にでた。少し強いぐらいの風が吹いている。


 大宅さんの家の前に来ると薔薇が強い香を放っていて、その横でインゲンがするすると伸び、ツルが支柱を越えて、宙でくるくると踊っていた。
「豆のおいしい季節よねえ」と、葉子。
「ソラマメゴハンつくろうかな」
「じゃあ、晩ご飯それにしよう。ぼくがつくるよ」
 亨が風に顔を上げて言いました。
「手伝いますよ」と、波多野。
「『きゃらぶき』にあいますよね」
 尚美がそう言うと、みんなが肯くのでした。

 四人は風の吹いてくる先へ歩いていきます。
…お昼はサンドウィツチかな…
 葉子はそんな気分をみんなに言おうとしていた。

                         (了)

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