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葉子、と。

スワロウ・テイル


 2009年7月22日、日本の陸上で46年ぶりに皆既日食が観測された。もっとも皆既日蝕を完全に観測できたのは硫黄島で、他の地域は部分日蝕となった。もっとも曇り空か雨で見えないところがほとんどだったけれど。
 京都では8割程度の日食が予測がされていた。


 前日から続く梅雨末期の雨は降ったり止んだりを繰り返し、朝の空は一分の隙もなく灰色に覆われていた。葉子と亨はいつものように朝の準備をし、食事を摂り、いつものようにその日を駆動させていく。机の上には今日のために準備した遮光グラスが二つ置いてあります。
「京都も八割欠けたら暗くなるんやろか」
「そんなにならないんと違うかな。それにこの梅雨空やったら暗くなっても雲のせいなのか日食のせいなんかわからへんよ」
「そうやね。今日はもうあきらめたほうがええね」
「木漏れ陽狙いって言ってたやん」
「そうそう、桂とか欅とかイチョウとか…大学の横の並木道と光雲院の土壁と…ポイントも決めてたんやけど。影の隙間の光が全部欠けてるのって、想像しただけでおもろいもん。…だけど、ま、しゃあないね」
 
 ところで昨晩、尚美と波多野が祇園祭の「ちまき」を届けてくれた。亨と葉子はもう何年も宵山にも山鉾巡行にも出かけていない。京都を代表するお祭りではあるのだけれど、案外、京都市民の中には祭りにでかけない人が多い。もちろんほとんどの人は宵山の群衆に埋まって、四条通りをゆらゆらとそぞろ歩いたり、鉾や山の偉容に感心して見入った経験を持っている。亨と葉子も子供の頃から十代のある時期までは熱心だったのだけれど、歳とともに四条にはでかけなくなりました。仕事や家事が優先されることがいちばんの理由ですが、祇園囃子が聞こえない自分たちの町でさえも、祭りの雰囲気が染み渡っている気配があるので、それを感じるだけで十分、と葉子たちは思っていた。高校生や中学生の女の子が少し俯き加減に浴衣姿で出かけていく夕暮れがあれば、もうそれだけで。


 ただ「ちまき」だけは別なのだった。多くの京都の家では玄関の上にこの「ちまき」を張り付ける。これは、「神さま、この家のものは『蘇民将来の子孫』なのです。どうか無事息災にお守り下さい」という厄よけの「目印」なのだ。毎年これを新しいものに取り替え、古くなったものは神社に持っていく。亨は仕事の出がけに新しいものと取り替えた。二人が持ってきてくれたのは月鉾の「ちまき」だった。
 そして宵山の夜には「お祭りの食事」も。鱧の落としや鱧きゅう、鱧の照り焼きに、鱧寿司など。そしておいしいお酒。もちろん波多野と尚美も招いたけれど。


 静かになった部屋に午前の時間が流れていく。葉子は洗いものと掃除をすませると、シャワーで体の汗を流した。それから葉子はお気に入りの白いシャツを着て自分のために珈琲を淹れようとしていた。
 台所の外には再びベランダに置かれた月下美人があり、新しい花芽が二つでていた。葉子が何かの気配を感じて窓の外を眺めると電線に燕が一羽、留まっていた。また細かな雨が降り出しているのに頭を上げたまま動く気配がない。
 …どうしたのかしら…
そう思いながら珈琲を淹れる作業に集中する。ポットを置き、カップに珈琲を注いでからもう一度電線を見た。燕はまだ居る。カップの横には昨日から夢中になっている江國香織の文庫本が一冊。
 だけどどうも燕が気になる。

 葉子の想像力が動き出した。
…餌がとれないで途方に暮れている。相方が帰ってこないので心配してあたりを伺っている。ヒナに何か困ったことが起こった…。どうしても悲観的な想像になってしまう。

 …何故あなたはそこから動かないの。ひなは待っていないの。また雨が降ってきたらずぶ濡れになるでしょう…と。
 燕は動かない。

 珈琲を飲みながら文庫本を数ぺージ読み、もう一度窓の外を見た。雨は止み、燕は電線にまだ留まり続けていて、灰色の雲がその向こうで流れ始めていた。燕が飛行する時、Wにひらく尾が今はしっかりと閉じられ、まるで淡い灰色の背景に刺さっているように見える。なんてスマートなんだろう、と葉子は少し見とれていました。

 突然、雲からわき出たように電線の向こうに燕が現れた。くるりと旋回している。
…あら、つがい…と、葉子が思った時、電線の燕が飛び立ちました。待っていたのかしら、と思わずベランダに出て燕の行方を追いました。雲がもの凄い速さで動いています。
「ああっ」
 葉子の口から思わず声が漏れた。雲が一瞬、ちぎれた向こうに欠けた太陽が見えたのだ。その下を二羽の燕が滑空していく。

「どうもお」という声が道路からした。紙でてきた四角い遮光グラスをかけた大宅さんが空を見上げて指でO.Kサインをつくっていた。
「あらあら」
 葉子の口元はたちまち緩んでいった。

                           (了)  


私の/放浪する/半身


 八月になっても梅雨は明けていなかった。今日もどんよりと曇って蒸し暑く、時折、ばらばらと強い雨が降ったり止んだりしている。今年の梅雨は、いったん降り出すと空が割れたような勢いになり、京都でも各地で被害がでているほどだった。今日もそんな不気味さを孕んだ予報がでているなか、波多野は大学の図書館で過ごしていた。

 もちろんすでに夏期休暇にはいっているから、キャンパスにはそれほど人影はない。それでも図書館は結構な数の学生たちで賑わっていた。
 波多野と同じように卒論の調べ物をする者や、論文を書いている者、司法試験の勉強をしている者など。だけれども、やはり「波多野と同じように」下宿の電気代を節約する、あるいは暑さから逃れるというのを第一の目的としている者も大勢いて、そういう連中はラウンジでゆったりと新聞各紙をひろげていたりした。

 マサルは二階の日本文学系の書架近くのテーブルに陣取り、ノートを広げ、本を読み耽っていました。もちろん卒論の課題と考えている正岡子規の全集も積んであるけれど、ここのところ毎日読んでいるのは文庫本と新刊。新刊は高村薫「太陽を曳く馬」だ。この本までの「晴子情歌」「新リア王」という三部作の先行する二冊を再読し終え、書架に戻したところだった。文庫本は伊東静男詩集。これは自分のものを毎日持ち歩いていた。 
 高村薫三部作に登場する、人格が引き裂かれるような悩みと苦しみを抱えたある登場人物の生き様にひかれ、夢中になって読んできたのだけれど、作品中に登場するたくさんの本の中の一つに伊東静男があり、その詩から引用されたフレーズが頭にこびりついていたのだった。

     私の放浪する半身 

 これがそのフレーズだ。さてどの詩のどこにあったのか…覚えはあった。(それは波多野の持っている伊東静男詩集のいちばん最初の詩だったから。)

 マサルは伊東静男については高村薫を読む以前からその詩を読んでいたし、また彼の「子規の俳論」は卒論のために、なんども読み返していまた。「子規の俳論」は伊東静男の京大文学部国文科における卒論でもあり、彼はこの論文により首席で卒業したのだ。


 マサルの頭の中では、伊東静男が京大卒業後、大阪の住吉中学に赴任し、その教え子に庄野潤三がおり、おおいに薫陶をうけた彼がのちに小説家となり、その庄野潤三の「家族小説」の作品群を愛読する自分がいて、現代の作家の中でも特に庄野潤三作品を、それこそ「愛している」ように読んでいると表明している江國香織がおり、その江國香織作品を葉子が大好きである、というところまでの微かなループができていた。
 そこで夢中になっている小説の中にひょっこり伊東静男が現れたものだから、ちょっとした一撃をみまわれたのだった。

 『私の放浪する半身』とは誰か。何なのか。いつか高村作品を離れ、小説のような説明も指示もない詩の中をマサルはいったりきたりしていた。詩は伊東静男の代表的な詩集「わがひとにあたふる哀歌」に収められた「晴れた日に」という詩である。
(作者注:以下引用部分の著作権については作品発表後50年が経過しているため、文化庁の手引きを参照の上、消滅しているものとします。)


   老いた私の母が
   強いられて故郷に帰っていったと
   私の放浪する半身 愛される人
   私はお前に告げやねばならぬ
   誰もが
   その願ふところに
   住むことが許されるのではない


 『私の放浪する半身』は、この詩のキーワードとして二度登場する。詩句の前後を読んでいるとそれは
「愛される人」であり「命ぜられてある人」のようだ。そして
「誰もが その願ふところに 住むことが許されるのではない」ので、遠くに離れて住んでいるようだ。そしてそれが
「愛されるために お前は命ぜられている」のである。


   私は言ひあてることが出来る
   命ぜられてある人 私の放浪する半身
   いったい其処で
   お前の信じまいとしてゐることの
   何であるかを


 やがて「引き裂かれたもの」という言葉が波多野の中に沈んでいった。「恋人」と読む人もいれば、「兄弟」と読む人もいるだろう。いや「親子」でさえあり得る、とマサルは思う。そしてこの詩の持っている「空気」や「心への手触り」に浸っていったのだった。

…もしこれが一人の人間の中での出来事だとしたら。例えば破れた魂であるとか…
  そう思いつくとこんどは「お前の信じまいとしてゐることの 何であるかを」という言葉が想いの中に沈んできた。
…信じまいとしていること…

 波多野は詩集を机の上に置き、窓の外の濃い緑の桜葉を見つめた。自分自身が雪深い田舎の出身だからか、「月山」であるとか「晴子情歌」などの雪の描写のでてくる作品には特に惹かれる。だけど伊藤は九州・諫早出身であり、それ以外は京都と大阪で暮らしている。
 しかしこの詩は雪深い土地が舞台だ。四月にまだ一メートルの雪が里道に残る土地…。そこに「私の放浪する半身」はいる。読んでいるうちに自分の心が共振しそうになるのは、自分がまるで雪深い故郷に自分が魂の半分を置いてきたからだろうか、そかんなことを波多野は考えるのだった。

…やはり「引き裂かれた愛する人」なんだ!…
いきなり頭の中で直感が光った。
…だとしたら「半身」とは、なんて直截な、なんという烈しさだろう…

「どうしたの」
 波多野の口が半開きになっていたからでしょうか、波多野が声のほうに顔を向けると尚美が怪訝そうに覗き込んでいた。波多野が毎日図書館にいることを知っていたので、尚美は時間が空いているときは必ず顔を出していたのだった。

「ちょっと詩の中に入り込んでいたんだ」
 尚美が詩集を取りあげ黙読する。何度読んでるんだろう、と波多野が思うほど尚美はそのページから顔を上げなかった。 
「幾通りもの読み方が出来そうな詩」
「詩の感情を掴もうとして…掴まれていたのかな…」
「『信じまいとしていること』に想像と思考が伸びてく」
「例えば君が…」
「どうでしょう」尚美が波多野の言葉を遮って言った。まるで「私が半身なの?」といわんばかりの眼で見返しながら。

「もう何時だろ」
 溜息をつきながら波多野は話題を変えた。
「お昼前」

 二人はランチをとるために外に出た。
 雨が上がり、のっぺりとした灰色の空が解れていた。青空さえのぞき、光線が走り出している街の向こう、比叡山の下あたりから斜め上に向かってかかる虹を尚美が見つけた。
「へえ珍しい。二本の虹」
 二人で並んで窓の向こうを見ると、普通の虹の上にもう一つの虹が薄く見えます。
「確かに滅多に見られないんだけど、比叡山の方角には時々でるよ。メスの虹だよね」
「メス?」
「虹には雄と雌があるんだ」
「生きものなの?」
「虹って虫へんの漢字だろ。中国では龍という見立てなんだよ」
 そういうと波多野はノートに漢字を三つ書きました。
「これが雄の『虹』、こっちがメスの『蜺』。『霓』とも書く」
「虫へんに児?」
「そう『児』の旧字。『児』って、古代中国の子供の髪型からできた漢字なんだ。ほら、古代にまん中で分けて両側をまとめて立てるような髪型あるやん」
「大和朝廷のころ?」
「そうそう。それが『児』の原型。それと虫とを組み合わせて双頭の龍である『蜺』としたんだ。日本ではツクツクホウシがこの漢字」
「国文だとそういう…」
「じゃなくてもわかるよ。面白い本があるんだ。このことをきちんと書いた白川静先生は京都の大学にずっとおられたんだよ」
「おもしろそう。その本、持ってたら…」
「ああ、どうぞどうぞ」

 波多野は虹を見つめた。その向こうに薄い副虹のあるメスの「蜺」。色の順番が虹とは逆になっている。今にも消えそうなぐらいの「蜺」だ。
 波多野の頭に再び「半身」という言葉が閃いた。今見ているのは虹と虹の半身のようなものだ、と。

…私の 放浪する 半身…

 まるで合わせ鏡のような「もう一人の自分」。 あるいは故郷の美山にいる何者か、それとも今横にいる尚美なのか。それとも…。そしてそれが今にも消えそうな「虹の半身」と同じようにやはり「強いられた」存在だとしたら。妙なさみしさが心にひろがっていった。それが何か、言い当てることが出来ないままに。

 波多野は尚美の横顔をみつめていた。

                             (了)

●参考文献
伊東静男詩集(思潮社・現代詩文庫)
字解・白川静(平凡社)
常用字解・白川静 (平凡社)
庭のつる薔薇・庄野潤三(新潮文庫)巻末に江國香織との対談
晴子情歌・高村薫(新潮社)
新リア王・高村薫(新潮社)
太陽を曳く馬・高村薫(新潮社)

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