見出し画像

街函

遠い鐘


 ある冬の朝のこと。よく晴れて空気が澄んでいた。玄関横の狭い一角で育てている薔薇から花を切り取ろうとしていると、向こうから黒いコートをしっかりと手で押さえて歩いてくる小柄な老婦人の姿が目に入った。ご近所の鈴木さんである。少しうつむいて、一心に歩いておられる。剪定鋏を宙に止め鈴木さんが顔を上げられたらご挨拶を、と思った。
「こんにちは」
「あ どうも、お寒いことでございますねえ」
 笑顔でなんども頷かれる。いつものゆっくりとしたとても丁寧な言葉づかいに、こちらの言葉と気持ちも、ゆっくりと落ち着いていく。それがとても心地よかった。
「おや、薔薇でございますか」
「ええ部屋に生けたものが枯れてきましたんで」
「いつも前を通る時の楽しみでございますのよ。どうも最近はお切りになるのが早くて満開の薔薇が拝見できないで残念に思っておりました」
「ああ、つぼみが綻んだくらいには切りますから」
「ああもったいない」
「申し訳ないですねえ。春や秋ならもっと頻繁に蕾ができるのですが冬は数が少なくて。そうですねえ、これを切ってしまうともう多分来年の春まで咲かないでしょう」
「まあ」といいながら鈴木さんの口元はずっと笑顔のままで、眼鏡の奥の細い目も優しくこちらを見つめている。
「わたくしね」と鈴木さんがおっしゃる。
「お出かけしたんでございますのよ。それがバス停の直前でお財布を持っていないことに気がつきましてねおほほほほ」
   取りに帰りますの」
「それはそれは」
「もう最近こんなことばかりが増えて。もう、すぐ忘れちゃうんですの。ああやだ」
 鈴木さんの頬が少し紅く染まって、眼鏡の奥の目が一瞬、きつくなった。けれどすぐにいつもの笑顔に戻り、目も柔らかな細い目に。
「だけど私は自分を偉い、と励ましておりますの。よくぞバスに乗る前に気がついたって。だって乗っていたらたいそう悲惨なことになっておりましたでしょう」
「ふふふ、そうですねえ」
「ほほほ、ねえ。ですから私は偉いとほめておりましたの」
 ぐおーん
 遠くで鐘の音が響いた。
「おや、今頃鐘が鳴りましたね」
「ほんとに、どちらでしょう」
 この辺りは古いお寺が多く、どこにも立派な鐘楼が置かれている。そして毎日どこのお寺のものなのかわからないけれど、鐘の音が聞こえてくるのだった。しかしそれはきまって午前七時である。
「どこのお寺にしてもこんな時間に変ですね」
「誰かがいたずらしたのかしら」
 鈴木さんは、ああいけないいけないお手間をとらせましたと会釈しながら、そのままお宅のほうへ歩いて行かれた。
 私は薔薇を一輪切り、窓辺の出窓に置いた、去年なくなった犬の遺影の横に活けた。薔薇の名前はプリンセス・ドゥ・モナコ。四季咲きで、しっかりした苗に育ってくれたおかげで、犬の遺影の前からこの薔薇が消えたことはない。
 鈴木さんは私の家の左手の、古いお寺の横の緩い坂道を少し下がった突き当たりにある。かつて我が家に犬が二頭、あちらにも犬が二頭いて、散歩で出会ううちにいろいろとお話をする間柄になっていた。ただこの数年間で鈴木さんは二頭の犬を亡くし、昨年はご主人を亡くされた。仕事をリタイアされたご主人はいつも二頭のテリアを連れておられたけれど、その二匹が亡くなってから、ミニチュアシュナイザーを飼われ、今では奥様とその犬だけがお屋敷に住んでおられる。私はといえば、その間に犬が一頭亡くなり、残ったもう一頭と暮らしている。
 次の日。
夕方、玄関前を掃除していると、向こうから鈴木さんが黒いコートの前をしっかりと押さえて歩いてこられる。まるで昨日のビデオテープでも見ているようだ。違うのは昨日は光が後ろからで、今日は前からというぐらい。もう一つは手に「かぼす」のはいった透明なビニール袋をもっておられたこと。小柄で背筋がぴんと伸びて歩く姿はいつものとおり。けれど今日も何か思い詰めたように歩いておられる。
 
「こんにちは」
「ああどおもでございます。ああよかった。こちらをもらっていただけないかしら」
 と、小走りに私の前にきて手に持ったかぼすの入った袋をぐいと差し出される。
「いえいえこんなもったいないです」
「助けてくださいませ。庭で、もうとれてとれて仕方がなくて、お友達に配っておりますのよ。それでも余って余って…ええ」
「はあ…はあ」
 鈴木家の庭には山桜、ヤマモミジ、椿、山野草などが育てられていた。ないのは薔薇ぐらいのもの。そういえばかぼすの木もあった。以前にも種が落ちて庭に自生しだした山桜の苗を捨てるのに忍びないからもらってくれ、とご主人に呼ばれてはその立派な庭にお邪魔したことがある。
「じつはまだありますの」
 まるで悪戯っ子のように鞄のなかから小分けして袋に詰めたかぼすを見せられる。
「あらまあそれを…」
「そう、配ろうと思ったの。そしたらまた…財布を忘れましておほほほほほ」
「ははははは」
「でも私は偉かった」
「乗る前に思いだした!!…ですね」
「そうでございますのよ。じゃごめんあそばせ」
 ぐおーん
 遠くで鐘がなった。
「あれ、またなりましたね」
「あらほんとうに」
「おかしいな、また悪戯でしょうか」
「悪戯ばかりしていると『つかずの鐘』になりますのに」
「ほんとにそうですねえ」
 鈴木さんはとことこと坂を歩いて行かれる。財布をとりにお家へ帰るのだ。

 「つかずの鐘」とは、京都では、ことに西陣界隈では有名な報恩寺の梵鐘のことである。場所は上京区小川通り寺ノ内。ちょうど表千家の不審庵から南へずっと下がったあたりにある。かつてそのあたりは西陣織の織屋がたくさんあったのだという。で、その始業や終業などの合図に使われていたのが報恩寺の梵鐘だったのだ。
 昔、ある織り屋に仲の悪い丁稚と織子(おりこ)がいた。ある時、夕べの鐘はいくつ鳴るかということで言い争いになった。丁稚は八つといい、織子は九つといった。で、負けた方は相手のいうことをなんでもするということになった。本当は九つだったのだが、悪賢い丁稚は寺男に今日だけは八つにしてくれと頼み込んでいたのだった。果たしてその日の夕べの鐘は八つしか鳴らなかった。それみたことかと丁稚が織子を責め立てると、織子は梵鐘に帯を掛け首をくくって死んでしまったのだ。それが世間に知られることになり、寺では夕べの鐘を突かないことになったという。
 「つかずの鐘」のいいつたえを思いだしてから、何故そんなことで首をくくるのだという思いが脳裏から離れなくなってしまった。
 …まるで「今」といっしょじゃないか…
 イジメにあった子供たちの痛ましい自死の報道を何度も聴いたり見てきたせいだろうか、何故、という思いがなかなか消せない。

 いったい丁稚は織子に何を要求したのだろう。まだお互い子供である。法外な要求をしたところで、親に言いつけたり、何より織屋の親方に言いつければ一喝されてそれで終わるはずだ。金の無心にしたってお互い金の持ち合わせなどないことはよく知っているはずだ。俺の嫁になれなどといわれたって子供にできるはずもない。なんだろう…。そう、それに悔しくてもぐっと耐えて一日待てば鐘は九つ鳴ったのだ。何故だ。何故そんなふうに首をくくってしまうのだ。
 いやいやそうではない。何かをされたから死んだのではない。悔しかったのだ。夕べに九つ鳴るというのは当たり前のことだ。毎日鳴っているのだから間違えるはずもない。 だから織子は寺男もぐるだということに気がついたのだ。そうに違いない。

 言葉の暴力や肉体の暴力には立ち向かえるし、逃げることもできる。しかし、深い絶望に捕まったら人は…どうだろう…命を投げ出してしまいかねない。深い絶望が冬の夕暮れのように織子を突然襲ったのだとしたら。
(注・丁稚は店の雑用や使い走りをする。織り子は織機について織る職人)
 

 思いが止まらなくなってしまい、なんとしてもそのあたりの事情が知りたくなった。明日は報恩寺へでかけてみよう。由緒書きが掲げられているかも
しれないから。
 仕事を退職して数年。時間は山ほどある。

 翌日はとても冷え込んだ。強い北西の風が吹き渡る空には雲一つなかった。
 我が家から報恩寺へ行くには、長い坂道をずっと下っていけばよい。古くからの区画のままに、平安時代から現代までの各時代の建築物が混在する何ともいえぬ雰囲気が漂う通りである。艶や脂っ気が抜けた骸骨のような家並みが続くかと思えば、老賢人のたたずまいを思わせるお寺があったり、戦後昭和を代表するようなコンクリートの打ちっ放しの家がある。それでいてどの家の前にも犬矢来があったり、鬼門に南天を植えていたりするからおもしろい。西から東へ、灰色の海をサーフィンするようにでこぼこ道を自転車で軽く飛んだりしながら下っていった。
 広い堀川通りを渡ると、左手は茶道の千家さんの庵を中心とした町並みで、右手は西陣のはずれの下町風情。お寺がたくさんある。だからそんな中にある報恩寺は、きらびやかな観光名所のお寺とは違い、つつましい寺である。境内を未舗装の駐車場にしていたり、土地が様々に小さく切り取られていたりもする。
 門の前で自転車を降り、「つかずの鐘」に向かって歩いていった。

 つかずの鐘の前に立って熱心に案内文を読んでいる老婦人がおられる。灰色の髪、今日はその上に青い羽根のついた黒い帽子が載っている、黒いコート、黒い鞄、小さな体の背筋はピンと伸びていて、眼鏡のレンズに反射した光がこちらの眼を刺してくる。
 あ、とたぶん声が出ていたろう。
「鈴木さんじゃありませんか」
 くるりと体が振り向き、いつもの優しい細い眼がこちらにまっすぐに向けられた。
「あらまあこれは奇遇でございますこと。あ、奇遇じゃないわね。おほほほほ」
「どうも鐘の由来が気になりましてね。年金生活者は時間だけは不自由しませんもので」
「同じく、でございますの。実はこの本にも出ていましてね、どうも合点がいきませんのよ」
 鈴木さんは黒い鞄から一冊の本を取り出された。
    
『京都・観光文化検定試験公式テキストブック』と書いてある。いわゆる「京都検定」の公式テキストである。「京都検定」とは京都商工会議所が2004年から始めた、いってみれば「京都通」にお墨付きを与える検定である。年に一度試験があり、一定の点数を獲得すると、一級から三級までの級が与えられる。三級は択一試験で比較的与しやすいけれど、二級はやや難しくなり、一級は論述式の問題までありかなり難関である。
 昨年は全国から多くのかたが受験にこられたという。この資格があるからといって何か特別な職業につけるわけでもなく、具体的な恩恵はなにもない。にもかかわらず今年も受験者は増えた。
「鈴木さんも『京都検定』受けられたんですか」
「ええおもしろそうでしょ。京都のことも勉強し直せるかと思いまして。合格するかどうかは二の次。実はもうやさしい方は去年、合格しましたのよ」
 鈴木さんは主婦でもいらしたけれど、水彩画家でもあり俳句もつくられる。犬の散歩で出会うたびに展覧会の招待券をいただいたり、句集をいただいていた。やりたいことはどんどやられるのだ。
「読ませていただけますか」
「はいはいどおぞ」
 

撞かずの鐘(上京区小川通り寺ノ内 報恩寺)
 西陣にある報恩寺の梵鐘は、朝夕の織屋の仕事の交代を告げる。「八半」という織屋の15歳の丁稚と13歳の織り
子はいつもいがみあいをする仲であった。ある時、夕べの鐘はいくつ鳴るかということで、織り子は九つ、丁稚は八つと言い張り、負けた方は何でもすると約束した。実際は九つであったが、丁稚は寺男に八つにしてくれと頼んだ。鐘を聞いた丁稚が織り子をせめ、織り子は鐘楼に帯を掛け首をくくって死んでしまった。その後はお寺も夕方の鐘を撞かないこととし、以来、撞かずの鐘と呼ばれるようになった。
(2005年4月6日発行 改訂版京都・観光文化検定試験公式テキストブックより)

「お会いするたびに鐘が鳴りましたでしょう。で、悪戯してたら撞かずの鐘になるって。わたくしも小さいころに聴いて覚えておりましたんでございまいすけれど、子細が知りたくなりましてねえ。だけどもこの文章では何故死んだのかもうひとつ納得がいきませんのよ。で、こちらにうかがったわけなんですの。あなたさまもそうですの」
「どうでしたか」
「うーん。いいえ、大筋ではあっておりますのよ。だけど肝心なことが書いてございませんの」
冷たい風が二人をまくようにして吹き抜けていく。

「ご覧になって」と鈴木さんに促されね報恩寺の案内板の前に立った。


重要文化財  報恩寺梵鐘 

 平安時代鋳造の名鐘この鐘には「撞くなの鐘」或いは「撞かずの鐘」という悲しい伝説がある。
 昔からこの付近一帯の織屋では朝夕に鳴る報恩寺の鐘の音が一日の仕事の始めと終わりの合図であった。ある織屋に仲の悪い丁稚と織女がいたが報恩寺の夕べの鐘がいくつ鳴るかについて賭をした。丁稚は八つといい、織女は九つと言い張った。
 悪賢い丁稚は寺男に頼みこんで今夕だけは八つで止めて欲しい願いを約束させた。何も知らない人のよい寺男は簡単に引き受けてしまったのである。さて夕になり鐘は鳴り始めた。丁稚と織女は一つ二つと数え始めたが、どうしたことか鐘は八つで終わってしまった。
 
 百八煩悩を除滅することを願って撞くので百八が基準であり、十二分の一の九つが正しいのである。十二分の一、六分
の一、四分の一、二分の一等に分けて撞くこともある。
 賭に負けた織女は悔しさ悲しさのあまり、鐘楼に首つり自殺するに及びその怨霊のたたりが鐘を撞くと不吉なことが生ずるので厚く供養して菩提を弔い、朝夕に鐘を撞くのを止め、除夜と寺の大法要にのみ撞くようになったというのである。
 除夜に参詣の皆様には一つずつ撞いて戴いている近年である。
(報恩寺・梵鐘の案内文・原文のまま)

 微妙に違いますねというと、その言葉にとびつくように鈴木さんは、花村さん、どこが気になりましてとおっしゃる。やはり職子と職女の違いでしょうか。たとえ同じ職種を表しているにしても「子」と「女」では受ける印象からして全然違いますというと、うんうんと声こそお出しにならないけれど頷かれる。

「そうでございますの『女』であることを、公式テキストはその意味を薄めていますでしょ。たしか私が聴いて覚えている昔話でも職子でした。だから『女』であるということはとても大事なことでございますの。それにしても」と一度言葉をくぎられて、「バカでございのすねえ」とおっしゃるので、思わず顔をまじまじと覗き込むように見てしまった。
 
 「わたくしがいちばんむっと来ましたのは『人のよい寺男』という表現ですの。そういうの『人がよい』といいますかしら。だって地域一帯の生活の大事な区切りの鐘でございましょう。どあほうの丁稚にそそのかされてほいほいのるのは共犯でございましてよ。かわいそうに」
 私には別な感覚がわき上がってきていた。何故そんなことで死ぬのだろうという「引っかかり」に今まで考えもしなかった「女」という言葉が割り込んできて動かない。
 黙りこくってしまった。

「女性の屈辱」というと考えられることが一つしかなく、それを鈴木さんに語るなんてとんでもないことだと思えた。そういうふうに、すぐに言葉を結ぼうとする自分が馬鹿に思えた。まずそうとしか捉えられない自分に嫌気がした。鈴木さんは「共犯」という言葉を持ち出して織女が殺されたように言っているのに。
 だけど私は、「こんなたわいもないことでと」しか言えなかった。
「こんなことでねえ」鈴木さんが言葉を拾ってくれた。
「急に何もかもがいやになったんでしょうか。それとも憤死というべきか…。そこまで烈しい心の持ち主というべきか」
「いえいえ子供なんですよ。死ぬという実感がない。怖いもの見たさの延長で死んでしまったり、不遜なぐらい死を恐れないのです。花村さんはお子さんは?」
「いえ、おりません」

 私は結婚生活を八年送り離婚した。原因は私の無頼な生活による。子供はいない。
「わたくしは五人を育てましたの」
 鈴木さんの旦那さんが亡くなった時、すでに五人の子供たちはみな自立していて、ご夫婦は犬との生活を送られていたのだ。
「子供は愚かで、泣き虫で、嘘つきで、残酷なものでございますのよ」
「可愛らしく見えますが」
「そうそう、それなのに本当に可愛いんですの。だから一生懸命、半人前のものを完成形に育てますのよ」
     
 風が強くなった。境内にも墓地にも誰もいない。境内を区切った月極駐車場には車が数台駐まっており、ご住職のお宅もあるのだけれど人の影も声もない。風の唸る音ばかりが聞こえる。
     
 こんなことも思った。
 西陣の厳しい労働に、織女は心理的にも体力的にもぎりぎりのところで働いていたのではあるまいか。今様に言えば突っ張っていなければとてもではないけれどもたないような。「公式テキスト」の「伝説」によれば十三歳だという。子供とはいえ西陣の織子といえばこれから一家の大事な稼ぎ手になりうる存在であったろう。自負もあったのではないか。常に負けられないところにいたのではないか。だから悔しさが尋常ではなかった、と。
 それを鈴木さんに述べてみた。
「それはそうかもしれませんけれど、どちらにしてもこんなことで命を棄てるのは愚かなことです。子供が黙るのは最大の反抗、自死するのは最大の抵抗…だとしても死んじゃいけません。わたくしはね」
 鈴木さんがこちらに向き直った。
「『撞かずの鐘』の伝説を思いだして、あれには何か含むところがあるのかしらと思いましたの。ひょっとしたら悪戯ばかりする子供を戒めるための『伝説』なのかとも思いました。だけどこの鎧戸のように封印された鐘楼を見ていますと、たぶんほんとうにあったのでございましょうねえ。ごらんになって、わざわざ織女に一分の落ち度もなかったと但し書きするような念の入れよう。懸命に供養されたんでしょうねえ。しかも今も続いているんですね。…子供は愚かで無垢で可哀相。親の嘆きはたいへんなものだったでしょう」
「鐘を撞かないというのは、寺も町も恥いったのでしょうか」
「この案内によれば怨霊とありますね。恥ではなくて怖れでしょう。さあ花村さん冷え込んで参りましてよ。こんなところに立ち尽くしておりましたら風邪をひきます。参りましょう」
 確かに「怖れ」であろう。まるで帷子のように板で囲いこまれた鐘楼をみると何かをけんめいに封じた跡のように思える。自然に手をあわせるかこうべを垂れるかせざるを得ない気が人の影も声もない境内に満ちてきたように思えた。
 なむあみだぶつなむあみだぶつ
 冷え切った空からは雪が降り始めた。ぼくは自転車を押し鈴木さんと並んで帰路についた。
「今日はバスなのですね。バス停まで一緒に参りましょう」
「私たちのこないだ聞きました鐘はどうやら××寺のようですよ」
「ははあするとあれは悪戯ですね」
 横を歩く鈴木さんを見た。首に金色の細い紐がかけられていてそれがコートのポケットの中へと続いている。たぶん老人無料乗車証をパス入れに入れておられるのだろうと思った。これなら忘れないだろう。
 雪が烈しくなり東から西へぬける寺ノ内通り南側の、先日降ってまだ融けていない雪の上に新しい粉をふりかけたように積もり始めていた。鈴木さんはお構いなしに雪の上を歩いていく。私は自転車を滑らすまいとうつむいて歩いていた。ふたり同時に滑った。お互いがお互いの腕を掴んだ。大丈夫ですか、と同時に叫んだ。そして見つめ合った。
 鈴木さんの眼はとても深い色をしていた。
                           (了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?